ひとつのたまご

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前篇



(1)

そこはとてもせまくて、あまりにも窮屈すぎました。
だから彼は、自分自身をぎゅうぎゅうにとじこめているそれにむかって頭を打ちつけました。
一回。
二回。
そんな行為をいくどか繰り返したところで乾いた音がして、閉じ込めていたそれはぱりんと割れました。
はじめて触れたそとの世界はとてもつめたくて、そうしてとても大きなものでした。


せまい場所からはいだして、彼はしばらくじっとしておりました。そうするとゆるゆると白みがかっていた視界が晴れてくるのを感じました。彼がはじめて目にしたものは、目の前に散らばっている彼を閉じ込めていたもののかけらでした。おもい頭をひねって閉じ込めていたものを見ると、それはまだ半分ほど形をとどめておりました。
そこで彼は見え始めたばかりの金色の瞳を見開きました。いままで彼が居た白くてまるいもの、その破れた場所からちょこんと顔を出している赤いものが目に入ったからです。
 
 赤いものも白いものから外に出ようとしているようでした。いっしょうけんめい身体をくねらせて、邪魔な白いものを破ろうとしています。
 彼は疲れている身体をひきずるようにしてその前に這って行きました。なぜだかその赤いものをほおってはおけなかったのです。
赤いものは小さいけれどひょろりと長い身体をしておりました。それをじいっと見ているとひどく親しくて懐かしいような、そんなきもちが湧きあがってきました。
ひゅうと風が吹きます。それは彼の身体の熱をうばっていくほど冷たいものでした。外の世界はとてもひろくておおきいけれど、とても寒いところでした。
彼は赤いものをみながら思いました。

ああ、これはいままで自分のそばに居たものだ。いっしょに白いもののなかにはいって一緒にくっついていたものだ。だからとてもせまかったけれど、とてもあたたかかった。

なんだか切ないような気持ちがおなかの奥から広がってきて、彼は生まれてはじめて声を出しました。きゅい、きゅい、と。
すると赤いものも彼に向かって声を出しました。きゅい、きゅいと。

赤いものの瞳はまだ開いていませんでしたが、彼をきちんと認識しているようでした。赤い小さなあたまをこちらにめぐらせて白いものを破ろうと身体をくねらせます。彼はそのぎりぎり近くまで這っていくと、そのさまをはらはらしながら見上げました。がんばれ、がんばれ。きゅい、きゅい。
 
やがて白いものが破れ、赤いものが水とともにぽとりと落ちてきました。彼があわてて傍に這って行くと、赤いものがきゅいと声を上げました。そうして彼の頭にその顔をすりよせてきます。うっすらと開いた赤いものの瞳も彼と同じきれいな金の色をしておりました。


(2)

 そとのせかいは広くて大きくて自由でしたけれど、危険でいっぱいでした。生まれたばかりの彼にとっても、それはとても大変なことでした。それに外の世界ではすぐにおなかがすくのでした。そうなると安全な木の洞や葉っぱの影から出て、危険でいっぱいな世界にたべものを探しに行かなければなりません。
 きゅい、とそばにいる赤いものが鳴きます。この赤いものはずっと彼といっしょにいました。うまれるまえからいっしょに居たのですから、彼にとってもそれはとても自然なことでした。
 赤いものが隣にいるとなぜだか安心できました。きゅいきゅいと声を掛け合うと嬉しくなりました。雨が降って寒い風が吹いても、二匹でぴったりと身を寄せ合っているととてもあたたかなのでした。


 そんなある日、二匹が並んでちまちまと這っていると、ふいに声をかけられました。二匹はびっくりしましたが、その声の主はは彼らと同じような姿をしたものでした。

「これはこれは、まだ赤ん坊蛇じゃないか。こんにちは」

 きゅい、と赤いものが答えました。まだよくしゃべれないのですが、こんにちは、と言ったのでした。

「子蛇が二匹いっしょにいるなんてめずらしいね。つがいというわけでもなさそうだし。あんたたちふたりともちいさな雄の子なのだろう? 」

 二匹はきょとんとしました。そうして拙いことばで、じぶんたちは生まれる前からいっしょに居たことをはなしました。白い、たまごの殻の中にずうっといっしょに詰まっていたことを。

「それはとてもおかしなことだ」

 目の前の大きなものはちょっと不審そうに言いました。

「卵の中に二匹の蛇がいるなんて聞いたことがないよ。蛇は一匹で生きていけるものなのだから。万が一そうやってたまごに詰まっていたとしても死んじまうはずだ。あんたたち、本当に蛇なのかい? もしかしてあやかしなんじゃないのかい? 」

 なんだか気持ち悪いね。
 大きなものはそう言ってぶるりと震えると、さっさと去って行ってしまいました。

 そのうしろすがたを見ながら、赤いものが寂しそうにきゅい、と鳴きました。
 

(3)

 赤いものは彼よりも身体が小さくて、動きが遅い生き物でした。だからでしょう。彼よりも食べ物をとるのがへたくそでした。
その日も彼はうまく食べ物をとらえることができましたが、赤いものはとらえることができませんでした。きゅい、としょげかえる赤いものの前に、彼は自分のくわえている食べ物を置きました。自分のものはまたとればよいのです。赤いものがうれしそうに食べ物をのみこむようすを見ながら彼はそう思っておりました。

しかし、です。
それが毎日毎日続くと、しだいに彼はいらいらしてきてしまいました。
赤いものはどうして自分のように動けないのだろう。食べ物に噛みついても毒が効きにくいのだろう。もっとすばやく回り込めないのだろう。
いつものように赤いものに食べ物を譲りましたが、やはりおなかのそこからむかむかとしてくる気持ちは膨らんでくるばかりでした。。だって、また自分のものをとるのだってとても体力を使うのです。とれないことだってあるのです。そんなとき、おなかをぺこぺこに減らして夜を過ごすのはとてもつらいことなのです。
それをなんとなく感じたのでしょう。赤いものはきゅいと鳴き、彼をつぶらな瞳でみつめました。ほんのすこしだけ首を傾げます。そうしてそのまま食べ物を飲み込もうとはしませんでした。
ふたつに分けるということは蛇である彼らにはできません。蛇は何かを噛みきる牙というものを持たないものなのです。だからそのひとつの食べ物は、どちらか一匹のものでした。
結局、彼は赤いものにその食べ物をゆずりました。

その日の夜、彼はとなりで眠る赤いものをみながらやはりおなかを減らしておりました。だからでしょう。お天道様の高いお昼間からずっと彼のいらいらは続いておりました。あのあと、結局彼は食べ物をとることができなかったのです。赤いものは気持ちよさそうに彼に寄り添ってくうくう眠っております。赤いものは食べ物をおなかに入れることができたので、心地よく眠っているのでした。それを見ているといっそういらいらが募るような気がしました。

「それはとてもおかしなことだ」

 ふいに彼の頭の中に、いつか会った大人の蛇の言葉が浮かび上がりました。

「卵の中に二匹の蛇がいるなんて聞いたことがないよ。蛇は一匹で生きていけるものなのだから」

 そうなのです。彼一匹なら、生きていくのはもっと簡単なはずでした。食べ物をとっても、それは自分一匹だけのものです。おなかいっぱい食べられるはずなのです。そうして、それが「蛇」にとってはふつうのはずなのでした。
 

 彼はとなりで眠っている赤いものを一度だけ見やりました。そうしてしばらく考えて、やがて一匹だけでここから去ることにしました。
もう赤いものの面倒をみなくていい。
そう考えると、なんだかいらいらがなくなって、心の底からせいせいするような気がしたのです。

 だから赤いものを置いて巣穴から這い出した時、彼はちっとも後悔などしておりませんでした。


振り返りも、しませんでした。









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