ひとつのたまご

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中編



(4)

 その次の日、彼はとても満足しておりました。
 だって、手に入れた食べ物はぜんぶ自分のものにできますし、赤いものの速さに応じてゆっくり這うこともないですし、寝床も一匹分でよいのですぐにみつかるのです。赤いものと居る時より、生きていくのがうんと楽になったのです。
 くちくなったおなかを安全なはっぱの上に横たえて、彼は幸せにうとうととしておりました。ああ、なんてすてきな生活なんだろう。もっとはやくこうしていればよかった。そう思っておりました。
 しかし、です。
 そんなまいにちを三日ほど過ごすうちに、彼はなんだかそわそわとしてくる自分を感じておりました。ずっとそばにあったきゅうきゅうと鳴く暖かいものが今はそばにいないことが、何故だかひどく気になりはじめたのでした。
おなかがいっぱいになってもそれは続きました。ぴゅうと冷たい風が吹くたびに一匹であることを痛感しました。はっぱのかげで赤いものの瞳のような色のお月さまを見上げるとなんだか悲しい気分になりました。身の置き所がないような、喉の奥がぎうぎうに絞られるような、そんな苦しい気持ちでいっぱいでした。
きゅうと鳴くとかならずきゅうと返してくれました。ぴゅうと風が吹くと寄り添ってくれました。赤いものは、無条件にじぶんのそばに居てくれる「当たり前」のような存在でした。
生まれて初めて切なくなって、彼はお月さまに向かってきゅうと鳴いてみました。
お月さまは答えてはくれませんでした。

(5)

次の日。
いてもたってもいられなくなった彼は、赤いものを置いてきた場所に戻ってきました。しかしそこにはもう赤いものはおりませんでした。きゅうきゅうと呼んでみましたが、答える声はありません。しばらく辺りを這いまわって赤いものの姿を探しましたが、やはりどこにもその姿はありませんでした。
 おなかを減らしていないだろうか。あぶないめにあっていないだろうか。
 そう思うとたまらなくなりました。自分に置いて行かれて泣いたのではないだろうか。悲しい気持ちできゅうきゅうと自分を呼んでいたのではないだろうか。そう思うとさらにどうしようもなく切なくなりました。
 しょんぼりと首を落として枯葉の中に顔をうずめます。そうして少しだけ泣きました。


 その時でした。とつぜんひどい痛みが身体を襲ったかと思うと、彼の身体は空中になげだされたのです。彼はそのまま空を飛び、大きなくすのきにびたんと身体を打ち付けました。
ぽとりと地に落ちた彼が見たものは、とても大きくてとても毛深い生き物でした。その大きさといったら、彼の何十倍もありそうなほどで、むき出しの爪や牙は彼の身体をやすやすと切り裂けるほどするどく尖っておりました。
にゃあとそれは獰猛に鳴きました。その声に彼はぶるりと震えました。この世に生を受けてから間もない彼でしたが、それでもこの目の前の生き物がひどく厄介なのはすでにわかっておりました。とてもすばやくてなんでも食べる、そのうえ「遊び」で彼らの同族をいたぶり殺すという厄介な生き物でした。

彼は鎌首をもたげてしゃあと威嚇しましたが、目の前の生き物はなんの恐怖も抱いていないようでした。ぎらぎらとした瞳のなかにある瞳孔が糸のように細くなります。しかしふりあげた前足は、さほど力が入ってはおりませんでした。一撃で彼を裂くことのできるその足は手加減の色が見えます。けれども彼はその前足に投げ飛ばされ、ころころと地面を転がりました。そうかと思うと反対の方から前足がとんできます。わずかに出されていた爪が彼の身体を裂き、それにひっかけられてさらにころころと地面を転がりました。
その生き物はおなかがすいているわけではないようでした。すぐに彼を食べるようなことはせず、前足の爪でちょいちょいと彼をいたぶり続けます。あまりの体格差に彼は何もできずにおりました。その前足に噛みつこうにも、相手はとてもすばやくてそんな隙もないのです。
もうだめだ、と彼はかすむ意識の中で思いました。そうして赤いものに会いたかったなあと思いました。ああ、でもこの場に赤いものがいなくてよかったなあとも思いました。

すると次の瞬間、毛むくじゃらの生き物が変な声を上げました。そうして何かを振り落とそうとするようにぴょんぴょんと不器用に飛び跳ねます。彼はぼろぼろの姿のまま、かすむ目をあげました。そうして見たのは、毛むくじゃらの生き物の後ろ脚に噛みついている、彼とそっくり同じ姿をした、あの赤いものの姿でした。


毛むくじゃらの生き物はぴょんぴょんと跳ね回り、そうして前足で赤いものを払い落としました。赤いものが地面に叩きつけられます。きゅうと悲鳴のような声がしました。
毛むくじゃらが怒りのこもった瞳を赤いものに向けます。そのとき彼の頭の中によぎったのは、いまなら逃げられるという「生き物」としての考えでした。赤いものに気を取られている今なら、きっと自分は安全に逃げられる。
けれども次の瞬間彼の身体を突き動かしたのは、その考えではありませんでした。たぶん、生き物としては失格の選択だったでしょう。彼は、赤いものを助けるために毛むくじゃらのしっぽに死に物狂いで噛みついたのでした。

毛むくじゃらが悲鳴を上げます。そうして彼を振り落とそうとぐるぐるとまわり始めました。彼は顎に力を込めてぎゅうと瞳をつぶります。ぜったいはなすもんかと思いました。
けれどもその思いもむなしく、その前足によって彼は再度空に投げ出されました。爪が刺さってとんでもない激痛が身体を襲いました。
毛むくじゃらが恐ろしい鳴き声を上げます。そうして口の中にある牙で彼をひき千切ろうとしました。





「あっ、こら! 」

 そのときなにやら声がしました。

「だ、駄目だよ。そんなちいさな蛇の子で遊んでは駄目! 」











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