ともに、はなを。

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 ふいに風がつよく吹いて、少女の白い髪をあそばせました。
北の方から南の方へ。ついこのあいだまで生きるものを冷たく凍えさせてしまうような温度をもっていた風ですが、ここのところはふんわりとやさしいものに変わりつつありました。
 少女はほんのすこしだけ足を止め、ほんのりと霞んだ空を見上げました。冬の間どっしりと腰を据えていた灰色の雲も、ようやくどこかに移動を始めたようでした。
 少女はぼさぼさに乱れた髪を抑えると、背に括り付けているものをよいしょと背負いなおしました。

「紫さま、大丈夫ですか? 」

 いつのまにかふうふうと意気の上がっていた少女の右肩で、小さな青い蛇が声を出しました。

「ありがとう、大丈夫だよ、青坊」
「でもとっても重そうですぜ。その竹筒、もう少し減らしてもいいんじゃねえですか」

 左肩に頭を乗せていた赤い蛇が、少女の背にあるたくさんの竹筒を見てげんなりとした声を上げました。

「ひとつで十分じゃあねえですか」
「そんなことないよ」

 紫とよばれた女の子はにこりと笑うと額の汗を拭いながら言いました。

「だって大事な大事なものをもらいにいくのだもの。これくらいのことをしないとばちがあたるぐらいだよ」




 そのあやかしの名は楼楼と言いました。生まれたのはうんと昔。それがどのくらいかわからないほど彼女は長く長く生きておりました。
 春の風が吹きぬけ、彼女はあくびまじりにううんと背伸びをしました。冬の間眠っていた身体は、しかし春の風にゆり起こされて徐々に熱くなってきておりました。
 彼女がいちばん美しくなるのはこの季節でした。だからでしょう。この人を寄せ付けない山の奥、ひっそりと生きている彼女のもとに来るあやかしはあとを絶ちませんでした。
 彼女を見て、うっとりとその美しさに酔いしれていくのです。中には 彼女自身を無理やり自分のものにしようとする輩も大勢おりましたが、そのようなものたちは彼女が返り討ちにしてやっておりました。自らの手や足をもぎとろうとするなんてなんと非礼極まりないやつらなのでしょう。
 彼女はあやかし。あやかしとしての生を受けた時から、そうして誇り高く生きていたのです。

 ふわあとあくびをひとつして、楼楼はうつくしい自らの身体をうっとりと眺めました。この山で、いえ、このあたりで一番うつくしいこの身体は、あたたかな風を受けて今なによりも美しくなろうとしておりました。


「楼楼さま、こんにちは」

 そんなときひとつのちいさな声が聞えました。みれば自分の足元あたりに、真っ白なあやかしが一匹立って彼女を見上げておりました。

「今年もきれいだね。ひとつまえの山のてっぺんからも見えたよ」
「なんだ、お前さんかい」

 楼楼は横柄に頷きました。それは彼女のうつくしい外見に比べると、いかにもみずぼらしい一匹のあやかしでありました。蛇骨族という弱い蛇のあやかしの、それは生き残りでした。
 この地の蛇骨族は愚かなことに手をだし、栄華を極め、そうして衰退していきました。楼楼はこの地でそれをじいっと見ておりました。見つめながらも馬鹿なこと、とつぶやいておりました。長い長い彼女の生にとってはそれはあまりに一瞬で、砂の籠城のように儚い事柄でした。

「あいかわらずみずぼらしい姿だねえ。なんとかならないのかい」

 思わずつぶやくと、娘の身体に巻きついていた赤い子蛇が声を上げました。

「なんだと。紫さまはみずぼらしくなんかねえぞ」
「ん、なんだいなんだい。この生意気な子蛇は」

 楼楼は眉根を寄せました。娘の肩にいる二匹の子蛇はあやかしではあるようでしたが、彼女にしてみればなんとも弱くてちいさな生き物でありました。

「青坊と赤坊っていうんだ。去年も一緒に来てたよ」
「そうだったかねえ」
「うん。話ができるようになったのはつい最近なんだけれど」

 蛇骨族の少女は嬉しそうにそういい、両肩の子蛇の頭を指の先で撫でました。きゅうと愛らしい声をあげる二匹の蛇をみおろしながら、楼楼はふんと息を吐きます。

「そんなことはどうでもいい。さて、ここに来たってことはいつもの要件なんだろう」
「うん」

 少女は頷くと、背負っていたものを地面におろしました。
 風呂敷をほどくとそこには大量の竹筒がおさまっておりました。それこそ、少女のちいさな背には不釣り合いなほどの量でした。いえ、それだけではありません。その竹筒の中に納まっているのは大量の水なのでした。ずいぶん重いはずのそれを、この少女は背負ってこんな山奥までやってきたのでした。

「まったく、あんたもよくやるよ」

 嘆息交じりにそういうと、少女はその赤い瞳を笑みの形に細めました。

「だって楼楼さまの花はとてもきれいなんだもの。どうしてもみせてさしあげたいんだ」

 そういって少女は竹筒の栓を抜き、楼楼の足元にまきはじめました。竹筒からこぼれでる水はこのあたりでは味わえない涼やかで整った味がします。
 楼楼は瞳を閉じ、その味を満喫することにしました。楼楼はその資質ゆえこの地から離れることができないあやかしでしたから、年に一度この娘が持ってくるこの水を、じつのところとても楽しみにしていたのです。


「今年の水はおいしかった? 」

 すべての竹筒が空になったところで、少女がふうふうと肩で息をしながら尋ねてきました。
 楼楼は瞳を開け、ふんと鼻を鳴らします。

「まあまあだったね」

 しかしそういいながら、ひとつの腕をついと伸ばしてやりました。

「ほら、手をお出し」

 慌ててその両の腕を差し出す少女のちいさな手に、楼楼は腕の先の、ひとふりの小枝を落としてやりました。みずみずしいつぼみのたっぷりついた、それは一本の桜の小枝でした。
 少女はまたたきをし、その桜の小枝をそうっと握りしめました。
 そうしてまるで桜の花が咲きほこるかようにぱっと微笑みました。

「楼楼さま、ありがとう」

 みずぼらしいはずの娘の笑顔は、一瞬ではあるものの自分の身体のようにうつくしいものに見えて、桜楼は少しばかり苦笑しました。この地を生きる儚いものといったら、時折このようなうつくしさを作り出すのだから不思議なものでした。

「今年も時貞さまにお見せしたかったの」

 ここからすこしはなれた東の地。
 そこに眠る、楼楼が知る限りもっとも邪悪で「いきもの」の秩序に反したみにくい存在の名を少女は口にしました。
 だというのにまるで宝物のようにつぶやかれるそれに、桜楼は思わずため息をつきます。
 まったく、本来なら恐ろしくも醜い「まがいものの神」などには近寄りたくなどありません。
 けれども数年前のこの時期、突然やってきたこの少女は楼楼に頭を下げて頼みこんできたのでした。
 あなたさまのうつくしい花を、どうしても見せてあげたいひとがいるのです、と。





 月の光に照らされた石塚の前に、紫は水の入った竹筒を置きました。
 そうしてそこに、桜楼という老いたうつくしい桜の木魂からもらった小枝をさします。
 その瑞々しいつぼみのいくつかはほどけかけ、薄い紅色の花弁をしずかな月の光が淡く照らしておりました。



 さあ。

 今年もちいさなお花見の、はじまりです。







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