慈愛深い王子様はうつくしい微笑みを浮かべて、指先でシンデレラを促しました。
灰だらけのシンデレラはその場で一礼し、透明のガラスの靴の前に進み出ます。
そうしてつぎはぎだらけのスカートをつまみあげると、ガラスの靴にその白い足を通しました。
はたしてガラスの靴は、シンデレラの足に吸い付くようにぴったりと合いました。
「なんと……! 」
扉からそのようすを覗いていたお継母さまやお義姉さま、王子のお付きのものたちが驚く中、王子様ががたりと立ち上がりました。
大きく瞳を見開いたまま、よろよろとシンデレラの前にやってきます。
そうしてシンデレラの顔と全身をまじまじと眺めまわし、その美しい青い瞳を潤ませました。
「ああ、そなたがあの時の姫だったとは……! 」
シンデレラの両手を感極まったように握りながら、王子様は言いました。
「たしかに面影がある。栗色の髪にはしばみ色の瞳。その愛らしい声。ああ、私の姫君……」
王子様の声は蜜のように甘く、そのお姿は光の化身のようにうつくしいものでした。
そんな青年はシンデレラの顔に自らの顔を寄せ、その瞳を覗き込みながらうっとりとしたように続けます。
「探しました私の姫君。あの夜からずっと、貴女のことだけを思っておりました」
灰色ネズミは壁の穴からふたりのようすをじっと眺めておりました。
美しい王子は、本当にシンデレラに惚れているようでしたので、それにほっと息を吐きます。
手を取り合って立つふたりの姿はとてもお似合いでした。
今は灰だらけですが、シンデレラは身綺麗にすれば王子様に並びうる美しさを持っていることは誰よりも知っております。
それになにより「ひと」には「ひと」がお似合いだと思いました。
ドブネズミの自分が一番近しい存在だなんて、本当ならそんなことあってはならないのです。
(……おめでとうシンデレラ。どうか、いっぱい幸せになるんだよ)
ネズミはそうつぶやき、そうして目を細めました。
そうして思っていた以上に痛む胸を抑えて、その美しい光景に背を向けようとしました。
シンデレラがこうなった以上、少女の目の前からは消えるつもりだったのです。
背を向けたネズミの耳に、シンデレラにささやく王子様の甘い声が聞こえてきました。
「うつくしい私の姫君……私の妃になってくれますね? 」
その声は喜色に満ちています。
ネズミは次に聞こえてくるシンデレラの答えをなぜか聞きたくなくて、耳をぱたりと伏せてそっと俯きました。
「王子さま……」
「はい」
王子様が微笑む気配がします。
そして次の瞬間、シンデレラの愛らしい声が毛に覆われた耳をも通してもはっきりと聞こえてきました。
「おことわりしますわ! 」
その言葉にその場にいた人間も動物も、すべてのものが呼吸も忘れて立ち尽くしました。
皆が呆然とする中、シンデレラが王子様の手をあっさりと振りほどきます。
そうしてにっこりと微笑みました。
「わたしのようなこ汚い娘なんて王子様には不釣り合いですわ。
それにわたしだって、わたしの外面だけを好いてくれる人より、わたしの内面を知って、それでもそばにいてくれる人の方が百万倍もよいのです。
ですから」
灰だらけのシンデレラは、灰だらけであるのに実に明るく、愛らしく笑います。
そうしてきっぱりと宣言しました。
「ですからあなたとは絶対に結婚できません。ごめんなさい、王子様! 」
あっけにとられたままの一同の中、シンデレラは王子様に向かって一礼すると、お継母さまの前に立ちました。
「お継母さま」
「シ、シンデレラ、お前、なんということを……」
あのときの姫君がシンデレラであったことだけでなく、王子様の求婚をもはねつけたことも衝撃だったのでしょう。
お継母さまはきっとシンデレラを睨みつけました。
しかしシンデレラは動じません。むしろ、なにかすっきりしたような晴れやかな笑顔でこう言いました。
「お継母さま、シンデレラはこの家を、いいえ、国を出ます。これまで本当にありがとうございました」
「な、お、お前……! 」
「お父様の遺産はいりません。どうぞご自由になさってください」
「……!」
「でもひとつだけ」
シンデレラはしゃがみこむと、壁の穴の中で呆然としていたネズミを抱き上げました。
そうしてぎゅっと胸に抱きしめます。
「このネズミだけは連れて行きます」
「そんなものどうでもいいわ。さっさと出てお行き! お前のような娘、もうこの家とはなんの関係もない! 」
「はい」
灰まみれでつぎはぎだらけのスカートをはいた少女は、灰色ネズミだけを胸に抱いてくるりと一回転し、そうして一同に向かってにっこりとその花のような笑顔を振りまきました。
「それではみなさま、ごきげんよう! 」
Copyright(c) 2012 all rights reserved.