灰かぶりと灰色ネズミ

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最終話:ハッピーエンドは王子様と


屋敷の外の空はとても晴れていました。
街の外の空はとても青く澄みきっていました。
街道は長く、そんな空の下を隣国に向かって伸びております。

灰かぶりの娘は、灰色ネズミだけを胸に抱いて、それでも跳ねるように街道を進んでおりました。
その足にガラスの靴はありません。
粗末な布の靴がひとつきり。それでもシンデレラは上機嫌でした。

「シンデレラ、シンデレラってば! 」
「なあに? 」

だから胸に抱いた灰色ネズミの言葉にも上機嫌で答えておりました。

「ねえ、王子様のこと、あれでいいの? 」
「いいわよ」
「でもお妃になれたかもしれないんだよ」
「いいのよ」
「ねえ、今からでも戻った方が……」

心配そうな声を出すネズミを目の高さに持ち上げ、そのきれいな黒い瞳を覗き込みながらシンデレラは言いました。

「あんたってうるさいわね。何よ、あんたが外に出ればいいじゃないって言ってたんでしょ」
「そうだけど」

ネズミが困ったように首を傾けます。

「勢いだけで家を出るなんてムボウっていうんだよ」

その言葉に、シンデレラはふふんと笑いました。

「あら、あたしだって少しは考えているのよ。あんたにそういわれた日から少しずつお金を貯めていたの。
で、舞踏会から終わってからも一生懸命靴に縫い付けて貯めていたのよ。少し計画より早くなっちゃったけど、しばらくはなんとかなるわ」

そういってシンデレラはくるりと回って見せました。
思ってもいなかった答えに思わずネズミはぽかんとして、足元の靴をみつめます。

「だから大丈夫よ。すぐにお仕事もみつけるし、あんた一匹ぐらいちゃんとやしなってあげるわ」
「そ、そうじゃなくて……」

ネズミはわたわたと手を動かしました。

「あのだね、王子様の求婚を断ってぼくなんかと家を出るなんて、そんなのとってもおかしいと言っているんだよ」
「……あのね」

シンデレラはネズミの言葉を聞いて、ふいに表情をあらためました。

「あたしあの舞踏会の日、王子様と話していてもちっとも楽しくなかったの」
「……」
「王子様はあたしをたくさんほめてくれたわ。髪が美しい、瞳は夜空の星のよう、唇は薔薇のよう、声はどんな小鳥より愛らしいって」
「……」
「でもね、全然楽しくなったわ。それより、あんたが一言きれいって褒めてくれたほうが百万倍嬉しかったの。
あんたと屋根裏部屋でお話しているほうが百万倍楽しかったの」
「……」
「……そういうことなの」

そういってシンデレラは白い頬を赤らめます。
灰色ネズミはそんなシンデレラをじっと見上げて、そうしてぽつんと言いました。

「君は本当におばかさんだなあ……」
「あら」

頬を染めたまま思わずむうっとするシンデレラに向かって、ネズミはしずかに言葉を紡ぎます。

「ねえ。……君は僕にキスができるかい? 」
「……! 」

シンデレラはその言葉に思い切り硬直しました。
ネズミは静かに続けます。


「理由はいえない。それは呪いだから。だけど……」
「……」

硬直したままのシンデレラを見て、ネズミは慌てたようにそっと目を伏せました。

「いや、いいんだ。ごめんね、ドブネズミなんかじゃ嫌だよね。ごめん、変なこと言って……」
「でででで、できるわよ! 」

しかしそんなネズミの言葉を遮ったのは、シンデレラの上擦った変てこな声でした。

「か、簡単だわ!そんなの余裕だわ!キ、キスってあれでしょう? 恋人同士がするものでしょう? 」
「え、あ、うん……」
「つまりはあんたもあたしのことが、す、好きってことなんでしょう? 」
「うん……いや、問題はそういうことじゃなくてね」
「ならいいのよ! 」

シンデレラはそう叫び、もごもごと言いつのるネズミを問答無用で顔の高さまで持ち上げました。
黒い瞳を覗き込んで幸せそうに笑い、次いで高らかに宣言します。

「あんたにキスをするのに理由なんて、そんなのいらないわ! 」


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「あれが百年前の狂王子とはねえ」
深い森のちいさな一軒家。
その家の中でひとりの男の人が、ふと思い出したようにつぶやきました。
血のような深紅の髪に金色の瞳、浅黒いしなやかな筋肉を持つ壮麗な男の人ですが、なぜだか桃色のエプロンをつけて手にはほうきを握っています。
「正確には九十九年前だね」
その声にこたえたのは白い髪の小さな女の子でした。
家の中だというのに黒い帽子をかぶったまま、ベッドの上にちんまりと座っております。
女の子は足をぷらぷらさせながら、読んでいた本からとろんとした大きな瞳をあげました。
「こらレイヴン。とっとと掃除しな。今のお前はあたしの使い魔なんだからね」
その言葉にレイヴンと呼ばれた男はちっと舌を打ちます。
「その使い魔を御者にしたまま置き忘れて、ひとりで帰ってやがったくせにそんなことがよく言えるな」
「おや、自分が使い魔って認めるのかい」
「認めねえよ! 」
「はいはい」
があと怒鳴った男の人の剣幕はなかなかの迫力でしたが、女の子は春のそよ風ほども感じていないようでした。
男の人はぶつくさといいながらほうきを動かしていましたが、床に転がったままの馬のぬいぐるみを手に取ると棚に並べながら言いました。
「あのネズミはアレだろ。父王と兄王子に反逆を企てて、父親にネズミの呪いをかけられた王子だろ」
「そうだよ」
赤い髪の男は金色の瞳を細めると、唇の端をにいと吊り上げました。
「冷徹で冷酷。残忍で残酷。人間にしちゃあ見どころのある奴だったのによ。
百年の反省期間でずいぶん丸くなっちまってたみたいだな。勿体ねえ」
「ひとは変わるもんだよ」
使い魔である男の言葉に、西の魔女ミランダはあっさりと言いました。
「そしてそれこそが父王の望んだことだったんだ。だからこそ殺さずに弱者に変えた」
そうして眠そうな目で、赤い髪の男をじっとみやります。
「……おまえも変わるかねえ」
「なんだよ」
「いんや。なんでもない」
魔女はつぶやき、そうしてふいに何かに気づいたように窓の外を見ました。
そうしてかすかに笑みを浮かべます。

「……おや、その呪いが真実の愛によってとけたようだよ」


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シンデレラが目を閉じて落としたキスは、羽のようにそっと軽やかなものでした。
それでもどきどきとして心臓がはちきれそうだったのですが、シンデレラは幸せな気分で目を開けました。


そんなシンデレラの目に飛び込んできたのは一匹のネズミではなく、ひとりの立派な青年の姿でした。
ふかい藍色の髪に黒い理知的な瞳をした端正な顔の青年です。
青年は、驚いて目をまんまるくしているシンデレラをその黒い瞳でやさしくみつめ、そうしてふっとやわらかな笑みを浮かべました。


「……君は、ほんとうにおばかさんだなあ」








むかしむかしあるところに、お義母さんやお義姉さんたちにその汚い恰好から灰かぶりと呼ばれている女の子がおりました。
女の子は毎日お継母さんやお義姉さんからいじめられておりました。
しかしある日、とても優しくて素敵な王子様と出会うことができました。
灰かぶりはその王子様をとっても好きになりましたし、王子様も灰かぶりのことをとっても好きになってくれました。
だからふたりは手を取り合い、家を飛び出て歩き出すことにしました。

そうしてふたりは、いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。


めでたしめでたし。








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