「ラブ・パレード7」

<希望の風邪>






子供は顔をあげた。
あげた先にある青年の顔がぐしゃぐしゃになっているのを見て、そうして眉をひそめた。
「こら、泣くな。おとこはそう簡単に泣くものではない」
「だっで、おまえなあ…」
青年はちーんと鼻をかむ。
「可哀想やないかネロとパトラッシュ…。もう…誰か助けたらんかい!!
うう、なんちゅう世知辛い世の中や…」
「……」
子供は青年の借りてきたDVDを眺めやった。
画面の中では小さな子供と犬が折り重なるようにして倒れている。実に悲しいシーンだった。
可哀想だとは思う。なんとかしてやりたいとは思う。
思うけれども…DVDを見て泣くなんて自分はそんなに「弱く」ない。
自分は「弱く」てはいけないのだ。
だから、泣けない。


青年は子供の横で相変わらず号泣している。
青年は子供のために借りてきたと豪語していたが、実は自分が見たかっただけなのではないかとぼんやり思った。
「うあーっ駄目や…ああ、ほら寝るから天使きた!こら、寝たら駄目なんやでネローーーっっっ!!」
「…うるさい」
画面を見ながら絶叫する青年の足の上で、きなこ色の猫がそ知らぬ顔で背伸びする。
「これは作り物だ。泣いたってなにも変わらない。そうかんたんに泣くものじゃない」
仏頂面でつぶやく子供の横で、青年は鼻をすすった。
「そうかいな?」
「そうだ。じいさまはいつもそういっていた」
そうかあ。青年はどこか懐かしげに声をあげる。
「師匠ならいいかねんなあ。でも」
ちり紙で鼻をかみながら、そうしてにんまりと笑った。


「泣くのも悪くはないで。泣いたってええと、俺は思うんやけどな」






ラブ・パレード7







「ただいまーっっ!」


赤谷吾郎は勢いよく玄関を開け放した。
「希望、起きとるかっ?ちょいと話があるんや…んぐっ!」
しかし玄関に入るやいなや、いきなりきなこ色の巨大なものが飛びついてきた。
鳩尾にヒットした衝撃に思わずたたらを踏む。
何とか尻餅をつかずにすんだのは奇跡としか言いようがなかった。
「ぐ…。こら、急になんや。きなこさん。重いやないけ…げほ」
言いながら腹にしがみついている通常の何倍も大きな猫を持ち上げる。
ずしりとした重みが腕にかかった。
「ぶにゃあ」
「…うう、重い」
その言葉に猫は腕の中からどすんと飛び降りる。
しかしぶいぶい鳴きながら吾郎の周りを忙しく回り出した。
わふわふとしたしっぽが足にまとわりついてくすぐったい。
「こら落ち着かんかい。今日は遊んでる場合やないんや。
俺はな、今日こそは希望とサシで話をせなあかんのや…」
「ぶう。ぶにゃあ!ぶみゅう。ぶう!」
猫は吾郎を見あげたまま、可愛くない声で鳴き続ける。
さすがの吾郎も眉をひそめた。
様子が、おかしい。
「…希望?」


妙な予感にあわてて居間にかけこんだ吾郎は、畳の上にこれでもかと重ねられている毛布の山を発見した。
その毛布の真ん中には彼の家族の少女がもぐりこんでいるようだった。
「な、希望…おまえ、こないなところでなにやってん…」
吾郎は屈みこみながら毛布をめくる。
そうして眠っているようすの少女の顔を覗き込んだ。
「おい、希望。希望」
「……」
ぺちぺちとその頬を叩くと、少女はうっすらとその瞳を見開いた。
大きな瞳が潤んだように揺れる。
そうしてぼうっとしたような表情で青年を見上げた。
「…ああ…おかえり…」
「なんや、具合でも悪いんか?」
吾郎は少女の頬がやけに熱いことに気づいていた。
潤んでゆらゆらと揺れる瞳。その焦点も合ってはいない。
「こないな寒いとこで寝とらんと、自分の部屋で寝たほうがええんちゃうか?」
希望は起き上がり、ゆるくその首を振る。
「いや、大丈夫だ。それよりお前に話があって…」
吾郎はまじまじと少女の顔をみつめた。
その横では、きなこ色の猫が希望を見上げて甘えた声をひとつあげる。
「ああ、すまんきなこさん…。ごはんを忘れていた…」
希望は猫を見てゆっくりと瞬く。
そうして立ち上がろうとちゃぶ台に手をついたが、それはひどく緩慢な動作だった。
それを見て、吾郎は慌てて声を出した。
「もうええから、病人はおとなしゅう寝とき…」
「大丈夫だといっている」
少女は手を出そうとする青年を睨みつけた。
「それより話がある。だから待っていたんだ」
この少女の強情さは筋金入りなのは分かってはいたが、吾郎は折れてやるつもりなど毛頭なかった。
―病気は怖い。
それは身に染みて知っている。
吾郎はひとつ、息を吐いた。

「な…!」
「あんなあ…こういうときぐらいおとなしゅうしとれや」
吾郎に横抱きに抱きかかえられて、希望は驚いたようだった。
潤んだ瞳が見開かれる。
ただでさえ赤い頬に、さらに朱が昇った。
「下ろせ、この馬鹿者!」
「駄目や。お前ふらふらやろ…」
「大丈夫だといっている!」
吾郎は盛大にため息をついた。
「大丈夫なわけあるかい」
少女の身体は驚くほど軽く、そうして驚くほど熱かった。
手のひらを希望の額にあてる。
そうするとその小さな身体が目に見えて強張った。
「……。むちゃむちゃ熱い」
「…」
「俺の手が冷たいやろ?そう感じるっちゅうことは、お前多分熱があんねん」
「………」


その間にも希望の顔はどんどんと赤くなってゆく。
吾郎はその身体を抱えたまま、急いで希望の部屋に向かった。
奥にある日当たりの良い部屋。
そこに向かう間、同居人の少女はすっかり静かになってしまっていた。
じっと身体を強張らせたまま男の腕の中に収まっている。
「希望。お前の部屋に入るで?」
一応声をかけるが答えはなかった。頬を赤く染めたまま吾郎と視線を合わせようとしない。
吾郎は少女を畳の上に下ろした。
そうして布団を整えると、手際よくそこに寝かしつける。
すでに抵抗する気力もないのか、希望は大人しくそれに従った。
顔こそむっつりと怒ってはいるが、その瞳には力がない。
吾郎は笑った。
「この強情者。体温計探してくるさかい、大人しゅう待っとるんやで」
吾郎は不機嫌な子供の頭をひとつなでる。



そうして二人の後をついてきていた猫を伴い、家の中をかけまわりはじめた。











希望の風邪







「ラブ・パレード8」へつづく









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