「ラブ・パレード6」

<家族となった日>








…家族となったのは、8年前。







ラブ・パレード6








喪服の子供はいつものように道場の真ん中に正座していた。


日の落ちた道場はしんと薄暗い。
しかし電気をつける気にはならなかった。
8歳の少女は静かにその両の瞳を閉じる。


昨日、祖父が亡くなった。


藤堂希望は両親の顔を覚えていない。
両親の記憶ですら、ひとつも無かった。
幼い頃に両親を亡くした希望にとって、祖父はたったひとりの肉親だったのだ。

祖父は古武術の道場を営んでいた。
いまでこそ引退をしていたが、昔はかなり大きな道場だったらしい。
しかし希望が祖父にひきとられたころには道場は閉鎖されていたので、詳しいことはわからなかった。


道場はしんと静まり返っている。
遠くから聞こえるのは、祖父の遠い親戚という人たちの騒ぐ声。


希望はその小さな手で、そうっと道場の床をなでた。
昨日も今日も。葬儀で道場の掃除はできなかった。
そのためだろう。ぴかぴかに磨かれた床には、ほんの少しだが埃が積ってしまっていた。


道場の掃除という仕事は実はかなり辛い。
固くしぼったぞうきんで床の端から端まで拭き清める。
そんな作業は、子供ひとりではゆうに1時間はかかってしまうものだった。
しかし希望にとってそれは苦となってはいなかった。
むしろ日課となってからは、それをやらなければなんだか落ち着かないくらいに身体になじんでしまっていた。
しんとした道場をぴかぴかにするのは好きだった。
そうしてそれを見て、満足そうに目を細める祖父を見るのも好きだったのだ。


祖父はとても厳しかった。
他人にも、自分自身にも厳しいひとだったように思う。
滅多に笑うことなどなかったし、たったひとりの孫を褒めるようなこともほとんどなかった。


祖父は厳しかった。
そして怖かった。



掃除をしたい。

そう言うと希望の知らない親戚の男は思い切り顔をしかめた。
「あなた」
男を諫めるように横に居た女が声を出す。
そうしてその身を屈めてくれた。
「もう、道場の掃除なんてしなくていいのよ」
思わずきょとんとすると、女は苦笑を漏らした。
「この道場はね、もうじきなくなってしまうの」
どうしてと問うと男がはき捨てるように答えた。
「借金の肩代わりに取られるんだとよ。まったく、お前のじいさんも馬鹿だよな。他人なんか信用するから」
なにを言っているのか正直さっぱりわからなかったが、ただ祖父を侮辱していることだけはわかった。
「だいたいこの子どうするんだ。じいさん、貯金もなにもないんだろう。
誰がこの子を引き取るっていうんだよ。土地もなくなっちまったし…」
「あなた!」
やはり女が男を諌めるように声をあげる。
「子供の前で言うことではないでしょう!…の、希望ちゃん疲れたでしょう?自分のお部屋で休んでなさいね」
希望は黙って女を見上げ、そうして素直に頷いた。

自分ができることなど、なにもなかった。




日が落ちたのだろう。道場が完全に闇に閉ざされた。


ああ。
希望は思った。
祖父はもう、いないのだ。


祖父は厳しかった。
祖父は怖かった。


けれども…それでも希望は、祖父のことが好きだった。


もう会えないのか。


しんしんと時は過ぎる。
このまま、この時間が止まればよいのに。
そうすればじいさまが大切にしていたこの道場が無くなることもないのに。


―もう、会えない。


ぽかんとその認識だけが頭に響いてくる。


―会えない。

―もう、二度と…?


じりじりと胸が疼いた。
それ以上考えてはいけないと、その瞬間思った。



考えては駄目だ。
考えれば、きっと辛いことになる。
自分では抱えきれないくらい、辛い思いをすることになる。
だから、考えては駄目だ。

そのときだった。
しんとした道場に不釣合いな程の明るい声が響いたのは。


「ああ、やっぱしここに居ったんか」

びくりとして瞳を開けると、道場の扉に手をかけて祖父の師弟である青年が立っていた。

―どうしてこいつが、ここに居るのだろう…。

ぼんやりと彼を見上げると、青年は悪戯小僧のように顔をくしゃくしゃにして笑った。
そうして扉を開け放したまま歩きだした。
外からの光が細く入ってくる。
彼と共に入ってきた光が、道場に満ちていた闇を柔らかく照らし出した。

青年は喪服ではないようだった。
普段着に色褪せたジーンズ。
葬儀にはおよそ相応しくない格好だが、それは当たり前だと希望は思った。


祖父の死を伝えるつもりなんてなかった。
伝えないでくれと頼んだのは自分だった。

―だから。
―なのに。
―どうして、ここに。



青年は呆然とする子供には構わなかった。
造作も無く歩いてくると目の前に片膝をつく。
そうして無造作に手を伸ばした。
大きな男の手が髪に触れる。その口からかすかに苦笑交じりの吐息が洩れるのを間近で聞いた。
「…ほんま、仕方のないやっちゃなあ」
希望はやはり、何も答えられなかった。
呆然と青年を見上げると目が合った。
青年はそんな希望の頭をぐしゃぐしゃにかき乱す。
「なあ希望」
そうして闊達に笑った。
「これから俺らは家族になるんや。よろしゅう頼むな」
希望はぽかんとした。
青年がここに居る意味も、その言葉の内容も、何一つ理解できなかったのだ。


はじめて出会った時と同じ様。
いたずらを目論む子供のような表情で青年は笑う。
笑いながら自分の右手を希望の目の前に差し出した。
そうして言ってのけた。
まるでそれが、当たり前であるかのように、あっさりと。

「ほれ、一緒に帰るで」














家族となった日








「ラブ・パレード7」へつづく








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