「ラブ・パレード51」

<それはささやかな宴のはじまり>







そうして宴ははじまるのだ。
ほんのささやかな、取るに足りない小さな宴。
それでも二人には充分な、恋の祭。







ラブ・パレード51









「ねえ、いとやん」
糸井は背後からの明るい声に眉を寄せた。 それでも律儀に返事を返す。
「なんだよ」
「いとやんにとっては、ちょっと残念だったねえ…」
「なにがだ」
「…藤堂のことだよ」
「……」
呻く様に糸井は息を吐いた。
裏庭の木立からは太陽の光が零れている。
図書館に行く前の休息。
煙草はやめたので一服とはいかないが、それでもここで15分ほど寝転んでいると幾分と気が晴れる。
その習慣に気づいた夏美が、この場所に頻繁に来るようになったのはいつからだろう。
別に約束をしているわけでもない。
それなのにこうして来ては糸井に話しかけていく。
その内容は大半がどうでもよいことだったが、今日の内容だけは彼の興味を引くに足りる事柄だった。
「…別に」
「またまた〜やせ我慢しちゃってっ」
「うるさい」
糸井は木にもたれかかったまま空を見上げた。
4月の空はどこまでも青い。
「姐さんの為には一番良かったんだ。怪我は心配だけどよ…。
まったくあの野朗。今度姐さんを悲しませたらただじゃおかねえ」
「……。いとやんって……」
「なんだよ」
「ん〜なんでもないっ!」
夏美は何故かまじまじと糸井を見ていたが、すぐにいつものような明るい笑顔を見せた。


「でもすごいよねえ。間宮先生の言ったとおり、藤堂は正式に寮を申し込んでなくて正解だったね」
吾郎の幼馴染であるという間宮教師は、希望の寮の申し込みをどうやら「無断」で取り消していたようだった。
理由は明白。
何故そんなことできたのかと問えば、企業秘密といって教えてはくれなかった。
いろいろ裏の手があるんだよ。若い教師は相変わらずのにこやかな笑顔でそう言ったものだ。
ともあれそれを聞かされたときには夏美は手を叩いて喜び、糸井は呆れた。
品行方正を絵に描いたような男かと思っていたが、これはなかなかの不良教師だ。
夏美は感心したようにため息をつく。
「結果的には良かったねえ。あ、いや、交通事故はよくないけど。
でも怪我もすぐに治るみたいだし、あたしも2週間とはいえ藤堂との同居生活を楽しめたし。うへへ」
気持ちの悪い笑みを浮かべる夏美を横目で睨みつける。
「変な笑い方をするな」
「だって、藤堂の寝顔とかすんごい可愛いんだもん。もうね、無防備なの。
あれはやばいね。あたしが男だったら5秒と持たずに狼化だね。でもあたしは女だから我慢した。写真を撮るだけで我慢した!」
「撮ったのかよ!」
「ふふふ。羨ましかろう、いとやん。でも写真はあげないけどね〜。悔しかったら同性になるがよろし」
「なんなんだお前は!」
糸井は顔を真っ赤にして夏美に顔を向けた。
夏美は笑っている。
そうして立ち上がり、くるりとその場を回ってみせた。
すっきりと伸びる背中に束ねられた髪がやわらかく流れる。
糸井はそれをちらりと見やって、そうして慌てて視線を逸らした。
何故なのかはわからない。
「いとやん。藤堂は本当に嬉しそうだったよ」

背後からの声はどこまでも明るい。
晴れ渡る空。
そんな空の下で少女は笑う。


「怪我をしてぼろぼろなのに嬉しそうだった。本当に本当に吾郎さんのところに帰りたかったんだよ。
だから、だから本当によかった!」








「殴られた?」
桐野が振り向くと、そこには妻がふんわりとした笑みで立っていた。
「いや…」
コーヒーを受け取りながら首を振る。
すると妻は鈴を転がすかのような笑い声を上げた。
「うふふ。やっぱり」
「…言ったとおりだったな」
桐野は苦笑を浮かべた。


先ほど、吾郎から呼び出しを受けた。
桐野は大きく息を吐き、「いよいよか」と覚悟したものだ。
しかし当の吾郎は桐野を見るなり頭を下げた。
礼を言い、そうして謝ってきた。

「吾郎君は良い人だもん。桐野君の気持ちなんてお見通しなんだよ」
大きなお腹を押さえながらソファーに座る妻は穏やかな笑みを浮かべている。
昔からまったく変わらないかのような幼い笑顔はひどく桐野を安心させた。
「…おせっかいを焼くのはやっぱり苦手だ。つくづくそう思ったよ」
ぼやくようにつぶやくと、妻はころころと笑い声をあげた。
「そう?」
「俺には向いてない」
「でも吾郎君と希望ちゃんがこれからも一緒に居ることができるのは、ひとつは桐野君のおせっかいのおかげなんだよ。私はそう思うな」
妻はそう言ってついと手を伸ばす。
桐野の頭を軽く撫でた。
「頑張ったねえ。おつかれさま」
「……鈴」
桐野は顔をしかめた。
幼馴染で今や彼の奥さんとなっている女性には未だに頭があがらない。
だがこれはあまりにも子ども扱いしすぎというものではないのだろうか。
するとするりと鈴がひとつの名前を出した。
「真理子さんも喜んでるね」
「…ああ」
桐野は頷く。そうして目線をあげた。
妻は心の底から嬉しそうに微笑んでいる。
桐野も笑みを浮かべた。
そうして目の前の身体に手を回す。
「どうしたの?」
優しくと引き寄せると、鈴蘭のような良い香りがした。
「鈴。俺はお前に会えてよかった」
「…うん?私もだよ。」


初恋の人を亡くし、自暴自棄になっていた桐野を救ってくれたのは鈴だった。
辛抱強く、気づけばいつも側に居てくれた。
それに気づくまでに随分かかってしまったが、それでも気づくことが出来た。
そうしてもうじき、そんな愛しい彼女と自分の間に新しい家族が出来る。


「吾郎君と希望ちゃんの間に赤ちゃんができたら、この子と幼馴染になるんだね」
鈴の自分の腹を優しく撫でながらの言葉に、桐野は苦笑を浮かべた。
「まあ、随分と時間がかかりそうだけどな」
「そうなの?」
「さっき聞いたところによると、吾郎の奴は希望ちゃんが20歳になるまで返事を待つらしい」
「え?」
「それまで手を出さないってさ」
鈴はぱちぱちと瞬いた。
「20歳…あと4年?あらあら。男の人って好きな女の子と一緒に暮らしてて、そんなに我慢できるの?」
妻の言葉に桐野は声をあげて笑った。
「正直かなりきついだろうけどね。まあ吾郎なりの保護者としてのけじめなんだろう」


あと4年。
少女が保護者としての自分を必要としなくなる時まで。

桐野は笑う。

「さんざん希望ちゃんを悲しませてきたんだ。今度は吾郎のやつが我慢する番なんだろうさ」













少女はその家を見上げた。
いかにも古い、木造の平屋。
それは彼女にとっての「楽園」だった。
この家には二度と戻らない。次に来る時は客人として。幸せになってから訪れよう。
そう決意したのは2週間前。
たった、2週間。
だというのにすべてがひどく懐かしかった。
古びた家を見上げて瞳を細める。


「あ」
ふいに隣に居た男が何かを思いついたような声をあげた。
そうして少女の引越し荷物を抱えたまま玄関に入っていく。
不思議に思いながら後を追った少女は、玄関で目を見開いた。

玄関の扉を開けるとこの玄関には膝丈ほどの上がり框がある。
その上に何故かきなこ色の猫を抱えた男が立っていた。
おそらくはどこかで寝ていた猫を慌てて抱えてきたのだろう。
手にしていたはずの引越し荷物はその足元に散乱していた。

「……どうした?」

問いかけに、男はこほんと咳払いをして見せた。
そうしてかすかに照れたような、どこかいたずらっ子のような表情でにこりと笑う。
少女はきょとんとした表情で男と猫を…「家族」を見上げた。


男はゆっくりと口を開く。
それは今の彼女が一番欲しい言葉だった。


「おかえり。希望」









そうして宴ははじまるのだ。
ほんのささやかな、取るに足りない小さな宴。
それでもあの二人には充分な、充分すぎる恋の祭。


―それはささやかな、宴のはじまり。










それはささやかな宴の始まり








「エピローグ」











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