「ラブ・パレード50」<前夜Z> |
「…嫌だね」 その言葉に、目の前の少女は瞳を大きく見開いた。 出会って10年。 共に暮らして8年。 そうして年の差は13歳。 吾郎は静かに笑みを浮かべる。 「嫌や。絶対離さへん」 4月の夜風に花びらが舞う。 灯に照らされた花片が白く光って零れ散る。
ラブ・パレード50
「…ふ、ふざけるな…」 やがて希望が声を絞り出した。 言葉に怒りの色はない。 むしろ今にも泣き出しそうな表情をしていた。 こんな表情を見るのは何度目だろう。 ここ数ヶ月の短い間。 こんな表情をさせてきたのはおそらく自分自身で、それを思うと胸が締め付けられた。 希望が顔を上げる。 細い首をしっかりとあげ、睨み付けてくる。 しかしその声はかすかにだが震えていた。 「ふざけるな。…離せ」 「嫌だ」 「離せといっている」 「嫌や」 「離せ」 「………」 「……離してくれ…」 最後の言葉は懇願に近かった。 そうして少女は唇を引き結ぶ。 次いで何かに耐えるようにかすかにその瞳を潤ませた。 「…もう、諦めると決めたんだ。もう、お前が私に優しくする必要なんてない。 今まで、出会ってからずっと、ずっと。充分すぎるほどにしてもらった。 だから…もう、いいんだ。もう、離してかまわない…」 二人の間にしんとした時間が落ちる。 夜の帳がやんわりと二人を包み、4月の風は夜の匂いを運んでいた。 頭上には桜の花。 風は花びらを舞い躍らせ、ふたりの足元に降り積もる。 「…馬鹿。ちゃうわ」 吾郎は静かに答えた。 そうして一歩、少女に歩み寄る。 「お前の為なんかやない」 足元で踏みしめた花びらがさくりと音を立てた。 「俺が、離したくないんや」 その言葉に少女の身体がびくりと震えた。 大きな瞳がその言葉の意味を捉えかねたかのように揺れている。 吾郎は右手に力を込めた。 柔らかなあたたかさが手のひらを通して伝わってくる。 花が舞う。 「…希望」 吾郎はゆっくりと口を開いた。 「俺はやっぱり馬鹿やから、お前の気持ちなんて正直わからへんねん」 辺りは本当に静かだった。 花びらが舞う音さえも聞こえてきそうなほどの静寂に満ちている。 「せやから今だって、お前にとって一番どうしたらええのかなんて分からんのや」 一言一言。 噛み締めるように吾郎は告げる。 けれども心は凪いでいた。 風ひとつない海のようにその想いだけは決まっている。 「希望」 吾郎は希望の瞳をみつめた。 出会った時から変わらないその瞳。 あの頃と感情は違えども、自分がずっと惹かれ続けてきたまなざしから目を逸らすことはしなかった。 「俺は…お前の幸せを考えたかった」 思い浮かぶのは出会った頃の小さな姿。 ひたすら無愛想で可愛げのない、風変わりな子供。 「どうあっても幸せになって欲しかった」 妙な信念を持っていて格好よくて。 そのくせ素直に笑うこともできない不器用な子供。 「俺は大人で、お前の保護者で、後見人や。子供が安心して暮らせるようにするのが俺の役目や。 そんなん、初めからわかっとった。それは「当たり前」のことなんやから」 祖父を亡くしてただひとり。 ぽつんと道場に座っていた。 それでも泣かずに耐えていた。 「せやから諦めようと思った。それが一番ええて、そう思った」 秋の日の縁側。 自分がずっと欲しかったものをあまりにもあっさりと与えてくれた。 「お前を縛るようなことをしてはアカンて…」 大切だと思った。 あまりにも大切すぎた。 だから、自分は。 「…ごめん」 今にも泣きそうな表情。震える声。 自分の答えに精一杯微笑んだ。 ありがとうと言葉をくれた。 「ごめんな…。俺、あん時は確かにそう思ったのになあ…」 はらはらと花が降る。 不器用な二人の上にふりそそぐ。 「でも、それでも俺はお前と一緒に居たい」 希望はぽかんと吾郎を見上げていた。 唖然としたその表情はやはり年相応に幼かった。 吾郎は笑う。 「…我侭すぎる大人で、堪忍な」 薄紅色の花びらが少女の髪に留まっている。 それは髪飾りのように少女を彩っていた。 「希望」 吾郎は少女の名を呼んだ。 誰よりも大切な「女性」の名を。 「これから先もずっと、俺と一緒に居てくれんやろか」 やわらかな風が吹く。 地面を彩っていたそれは滑るように舞い上がり、ふたりを包んでいく。 「…4年」 青年は少女の瞳を覗き込んだ。 「4年待つ。お前が20歳になるまで待つ。それからの返事で構わない」 髪に花の欠片を飾ったままの少女は呆然と吾郎を見返していた。 はらはらと桜が舞う中、青年は少女の言葉を待つ。 しかしそれでも少女は声を出すことも出来ないようだった。 吾郎は笑みを浮かべる。 「ええと。お前、分かっとる?」 繋がったままの少女の手。 それをゆるりと手前に引く。 そうしてあっけなく倒れこんできた身体を抱きとめて、その耳元に唇を寄せた。 二人の間の、距離はない。 「…これ、プロポーズなんやけど」
前夜Z
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