「ラブ・パレード5」<彼女の楽園> |
出会ったのは、11年前。 「お前、すごいなあ」 希望より10は年上であろう少年は、ぼろぼろの姿まま大口を開けて笑みを見せた。 「正義の味方みたいやった。かっこええで」 希望は少年の腫れ上がった顔をまじまじと眺めやった。 おそらく痛むのだろう。笑いながらも時々顔をしかめている。 少年は座り込んだまま壁に背を預けると、希望を見上げたままさらに続けた。 「俺もお前くらい強かったら正義の味方になれたんやけどなあ」 誰も居なくなった路地は静かだった。 その中で妙な訛りのある少年の声だけが明るく響いている。 希望は眉をひそめた。 少年の怪我をしていながら笑顔である理由が、どうしても合点いかなかった。 「…弱いならなぜこんなムボウな喧嘩などしようとする。こんなこと、大馬鹿者のすることだ」 希望が少年を見つけたとき、すでに彼は袋叩きにされていた。 その周りを囲っている少年達にはひとつの傷もない。 けらけらと笑っているその声は希望の居る大通りまで洩れていたが、それでも彼を助けようとする人は誰一人としていなかった。 子供も大人も、誰一人。 聞こえないのか聞こえない振りをしているのか。 面倒なことに巻き込まれるのが嫌なのか。それとも他の事情があるのか。 …このぼろぼろにされている彼には出来たことなのに。 いや違う。希望は思った。 この少年の方がおかしいのかもしれない。 この人数差で相手に喧嘩を挑むなんてどうかしている。 しかも他人を助けようとしてだなんて絶対におかしい。 強いのならば、わかる。 けれども少年は弱かった。 弱いくせに。 …どうして、自ら。 そう問うと茶色の髪の少年はからからと笑った。 「え?だって人が困っとんのを見ておいてほおっておくなんて目覚めが悪いやん。 きっと見て見ない振りをしても、また後で思い出して自分に嫌気がさすにきまてるやろ?」 その答えに希望はむっつりと顔をしかめた。 機嫌が悪いわけではない。ただ、不思議だったのだ。 「だが、はじめにお前が助けようとした少年は、お前を見捨ててとうの昔に逃げたようだぞ」 そう言うと少年は不思議そうに瞬いた。しかしすぐにぽんと手を打ってみせる。 「あ、せやった。せやった!忘れとったわ」 青年は袖口で鼻血を拭きながら破顔する。そうして心底嬉しそうにつぶやいた。 「逃げれたんなら良かった。誰かは知らんけどあいつ、ちゃーんと無事に逃げられたんやな」 「……」 希望は驚いた。 なぜそんな風に笑えるのか、希望にはさっぱりわからなかった。 「お前は馬鹿か。お前は多分、貧乏くじをひかされたんだぞ」 「うん?うん、それでええよ。だからな、俺は自分のためにやったんやって。 それにお前みたいなのに会えたしな。ラッキーや」 少年は腫れ上がった顔のままにこにこと笑う。 そうして立ち尽くしたままの希望を見上げてきた。 よく見るとその瞳は、いつか図鑑で見たコハクのような色をしていた。 「なあ」 その妙に印象に残る瞳を細めて少年は続けた。 「助けてくれてありがとうな」 「…そんなことはどうでもいい」 希望は慌てて首を振った。 自分は力があるから助けた。それだけのことだ。 しかし少年にとってはそうではなかったらしい。 心底嬉しそうに彼はつぶやく。 「…おまえ、ほんまにかっこええなあ。俺もそうなりたいわ。だってな、知ってとるか?」 そうしていたずらを目論む子供のような顔で、くしゃりと笑った。 「正義の味方ってのは、お前みたいに見返りを求めんもんなんや」
ラブ・パレード5
藤堂希望は自分達の家をまじまじと見上げた。 木造の、いかにも古びた家ははたから見ると廃屋に近い。 築50年以上。木造一戸建て。 地震などが来たら一発で崩れ落ちてしまいそうな日本家屋だった。 「その家はな、もんのすごいぼろぼろやけど部屋数はあるし、なにより家賃が破格なんや。 いつまでもこのせ〜まいアパートに居るわけにもいかんから、引っ越そうと思てんのやけど」 当時8歳であった希望が、赤谷吾郎の住んでいるアパートに引き取られて3ヶ月目。 青年は笑いながらこういった。 「安心しなや。学校は変わらんし、なによりお前のひとり部屋をつくってあげられるしなあ。 いやほんまにぼろぼろなんやけどな。うん。ここの7倍はぼろい。でも10倍は広い。せやったら10倍の勝ちやんなあ!な、そう思わへん?」 「なんなんだその理屈は…」 希望は呆れてつぶやいた。 相変わらずこの男の言うことは分からないことが多い。 しかし、と希望は思った。 たしかにこのアパートは狭い。 四畳半。風呂なし。 この3ヶ月の間に実はすっかり慣れてしまっていたけれど、たしかに狭いことは狭かった。 吾郎は希望の頭に手を置いて明るく笑った。 「大家さんはむちゃむちゃ怖いじいちゃんなんやけどなあ、実はいい人なんや。 なんとか貸してもらえることになったから、明日挨拶に行こうな!」 「お、どうしたんだい。ぼうっとして」 その声に立ち尽くしていた希望は振り向いた。 そうしてそこに白髪の老人を認めて頭を下げる。 「…こんにちは。大家さん」 「ああ。こんにちは」 赤谷家に家を貸してくれている老人は機嫌よく答え、そうしてにやりと微笑んだ。 「なんだい。家が壊れそうだということに今更きづいたのかい?」 「いえ……」 希望はあわてて首を振った。 老人は笑みを浮かべたまま、杖を器用に動かして希望の隣に並ぶ。 そうして同じように古びた家を見上げた。 「この家も古くなったなあ。いや、あのばかもんとお前さんが大事に使ってくれてはいるようだがね」 「…いえ、そんな…。その、実はきなこが少しばかり傷をつけていて……」 きなことは赤谷家の愛猫の名前である。 申し訳なさそうに言う少女の様子に、老人は小さく笑ってみせた。 「まあ仕方ない。いずれ金をためてこの家を買い取ってくれたら許してやると吾郎に言っておいてくれや」 そうすればあいつも一国一城の主だ。そう言いながら一層笑う。 「どうせあいつもそろそろ嫁の一人ももらわなくちゃならねえだろう。 しかしあいつは女にもてそうもねえからなあ。まあ、いざとなったらおまえさんがあいつの面倒をみてやるんだな」 その言葉に希望は瞬いた。 しかし次の瞬間苦笑を浮かべる。 それはどんなに望んでも得られない未来だった。そうして振り切らなければならない感情でもあった。 「…私は、この家が好きです」 「そうか?」 希望は頷いた。そうして、ずっと感じていた言葉を付け加える。 「…楽園のようで」 老人はその答えに一瞬その眼を見開いた。 しかしやがてその答えに満足したように、屈託のない笑い声をあげた。 「こんなあばら家が楽園と同列か!こりゃあいい!」 季節は1月。 夕暮れの風が少女と老人の足元を吹きぬけていく。 希望はもう一度家を見上げた。 今にも崩れそうな古びた家。 しかし何よりもあたたかな「楽園」。 ……ここに居られるのも、あと少し。 そう思うとふいに胸中に冷たいものが満ちた。 1月の風と胸中のもの。 その冷たさに希望はひとつ、身を震わせた。
彼女の楽園
「ラブ・パレード6」へつづく
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