「ラブ・パレード49」

<前夜Y>








その少女は桜の花が好きだった。
綺麗な綺麗な、薄紅色の花。


そうしてそれは彼女にとって…「約束の花」でもある。








ラブ・パレード49











希望は自分の右手を見ていた。
正確には自分の手をひいたまま、ほんの少し前を歩いている青年の手を見ていた。
「……」


病院を出てからの帰り道。
吾郎は希望の手を握ったまま離さなかった。
そうして反対の手で希望の荷物を持つと、そのまま無言で歩き出した。


既に日は落ちていた。
空には月。
それはぼんやりと白く、春の夜空を包んでいる。


希望は吾郎の手にひかれるようにして歩きながら、青年の横顔を見上げた。
青年は前を向いたまま黙々と歩いている。
かろうじて見える横顔は、ひどく何かを考えているようにも思えた。
時折ふと振り返り、足を引きずる希望の様子を見ては歩くスピードを緩める。
しかし言葉を発しようとはしなかった。
かわりにつながれた手の力が強くなる。
強く、強く。


希望はだから、ずっとつながれた手を見ながら歩いていた。
吾郎の手のひらはひたすらに大きい。自分の子供のような手などすっぽりと包まれてしまう。
それは希望にとっての「吾郎」という人間の存在そのものだった。
だからこそ希望は唇を噛み締める。

―決心が鈍る。

桐野に語ったことは嘘ではなかった。
会いたくて会いたくて。
たまらなかったからこそ、この行為は苦しかった。
「…吾郎」
だから希望は目の前を歩く青年に向かって口を開いた。
「手を引いてくれなくても歩ける。足の怪我はたいしたことはないんだ」
その言葉に吾郎は立ち止まる。そうして振り向いた。
街頭の光に琥珀色の瞳が金色に光る。
それはやはりいつものような笑みを浮かべてはいなかった。
険しいといってもいいほどの瞳でつないだ手に視線を移す。
「……」
しかし何も言わず、再び背を向けて歩き出した。
その手を離すこともしなかった。
希望は瞬く。
吾郎が手を離すことを予想していたからこそ、本当に驚いた。



ゆっくり歩いていくと見覚えのある場所をいくつも通りすぎた。

初めて出会った路地。
幼稚園。
学校。
商店街。
公園。
月を見ながら二人で帰った道。
古びたアパート。
石段の続く神社への階段。


この街のあちこちに思い出は散らばっている。
その街の中を、ゆっくりゆっくり吾郎は歩いた。
だから希望もゆっくりと歩く。
つながれた手は懐かしく、ただひたすらに暖かかった。




しかしその路地に差し掛かったとき、希望は足を止めた。
桜の花の咲く小さな路地。
この路地を右に抜ければすぐに懐かしい家に着く。

しかし今の希望の帰る場所はそこではなかった。
反対に伸びるもうひとつの道。
そこを通ると寮にたどり着く。


立ち止まった希望に引かれるように吾郎も足を止めた。
希望はゆっくりと振り返る男を見上げる。
「…送ってくれて感謝する。ここまでで大丈夫だ」
「……」
「私はあちらの道だから……」
「………」
希望は答えない男の手から、自分の手を引き抜こうとする。
しかしふいに強まった力に遮られ、それは出来なかった。
「吾郎」
泣きたい気分で希望は男を見上げた。
何故こんな意地の悪いことをするのだろう。
青年のことだからおそらく他意はない。
ただ、怪我をした子供が心配だから一人では帰せない。
そんなところに違いなかった。

―だからこそ、意地が悪い。


無自覚な優しさは痛い。
嬉しいのに、辛い。
こんなにも一緒に居たいからこそひたすらに苦しかった。
希望にはわかっていた。
何故ならこれ以上一緒に居ることはできないからだ。
自分は自分の力で全力で幸せにならなければならない。
そう決めた。約束をした。
吾郎の足枷には決してならない。いつか笑って会いにいけるように。
そう決めたのだから。


「…吾郎。離してくれ」




青年は手を離せと言う少女の顔を見下ろした。
はらはらと桜が舞う。

あの時はまだ寒かった。
ひとりきりで、葉もないこの木の下に佇んでいた。

吾郎は大きく息を吐く。
そうして次の瞬間。
どこか吹っ切れたような顔でこう、答えた。


「…嫌だね」









前夜Y








前夜Zへつづく










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