「ラブ・パレード48」

<前夜X>








「それがもうひとつの嘘や。優しい嘘。アタシはそう思うんやけどな」
幼いあの日。初恋のひとはそう言った。
幼い自分が泣き止むまで、ずっと抱きしめてくれていた。



雨が止み、その優しい手にひかれての帰り道。
そのひとはにっこりと微笑みながら自分の顔を覗き込んだ。
「なあ。もしかしたらあんたもそれを使うことがあるかも知れへんな。
大事な人や友達がいて、その人をなんとかしたいって思たときに」
そんなこときっとないよ。そう答えるとそのひとは肩をすくめてみせた。
「そんなんわからんよ。あんたはクールな振りして優しい子やもん。
きっと最後の最後で自ら嫌な役をかって出るタイプやと思うわ」
貧乏くじやな。そう言ってそのひとは面白そうに笑う。
そして最後にとびきり明るい笑顔で片目を瞑って見せた。


「けどそういうの、最っ高に格好ええと思うで」





ラブ・パレード48








「…冷えてきたな」

桐野はひとつ息を吐いた。
彼はひとり、自宅への道を歩いていた。
二人に黙って病院を出てきたのは故意のこと。

―汚れ役は引き際が肝心だからな。

桐野は小さく笑みを洩らした。



あの事故の直後、希望の意識は失われていた。
赤いものがその身体から流れ出ているのを見て血の気がひいた。
連れかと問われ頷くと、やってきた救急車に押し込まれた。
それからのことは正直よく覚えていない。


救急車で運ばれた病院の検査中に希望は意識を取り戻したらしい。
自動車とぶつかってよくそんな怪我ですんだもんだ。
頭を捻る医者は、それでも奇跡的だと希望の幸運を労った。
桐野も全身の力が抜けるほど安堵していた。
何故なら自分は事故の現場を見ているのだ。
赤いものに塗れた希望の姿をしっかりと記憶している。
気を失った少女を見て、それこそ最悪の事態を想像してしまったことも事実だった。


怪我は全身の切り傷に打ち身。左手関節の脱臼。
懸念されていた頭部の外傷は見当たらなかった。不幸中の幸いだといっても大げさではないだろう。
脱臼の処置はすぐに済むが、一番ひどい外傷は2針ほど縫う必要がある。
医者は一応の入院を勧めたし、桐野もそれを勧めたが当の少女は頑なに首を振った。
その理由を、桐野はすぐに知ることになる。
医者が席を外したほんの少しの瞬間、希望は桐野に向かってそっと切り出したのだ。

「桐野、頼む。このことは吾郎には連絡しないでくれないか。
これくらいの怪我で余計な心配はかけたくないんだ…」

結局、希望は入院せずに帰れることになった。
あとは小さな外傷の手当てだけ。1時間もかからない。
それを聞くと希望は安堵したような表情を浮かべ、そうして桐野に頭を下げた。
「一人で帰れるから先にお前は帰っていてくれ。こんな時間まで巻き込んでしまってすまなかった」


桐野は希望の言うことにさすがに呆れが、すぐに思い直して頷いた。
そのまま病院を出て携帯電話を開く。
そうして手馴れた動作でアドレスを開いた。
1件目に出てくる名前のところでボタンを押す。
そうしてこれが最初で最後だからな、とひとりごちた。
こういうことは苦手なんだ。
だけどお前があんまり馬鹿だから、俺が想像しているより数倍も馬鹿だったから仕方なく動いてやるんだ。
だから―感謝しろ。


4回目の着信音で相手は出た。
暢気そうな声に桐野は呆れ、そうしてやっぱりこれは良い機会かもしれないと思った。
僅かに残っていた迷いは綺麗さっぱり消え失せていた。
作戦実行。
この大馬鹿者にはこれくらいの荒療治が必要なのだろう。




(…まあ、五発ぐらいは殴られても仕方がないか)
夜の道を歩きながら桐野は思った。
吾郎は身体も大きいし力も強い。加えて古武術を嗜んでいる。
喧嘩などまともにしたこともない自分が相手になるはずもないことは明白だった。


実のところ桐野は「嘘」をついたわけではない。
「嘘」ではないが、演技力を駆使して「事実」を少しばかり膨らませた。
(…いや…それも嘘のひとつか)
桐野はそこまで考えて苦笑を浮かべた。
そうして仕方がないと腹をくくる。
(「大人の嘘」だったってことで三発ぐらいに留めてくれると有難いんだがなあ)


空を見上げる。
春の夜空はぼんやりと明るい。
どこからか舞ってきた桜がひらりと落ちた。

幼馴染の男は大事な少女のことを想って自分の気持ちに嘘をついた。
少女のことは所詮は男である自分にはわからない。
もしかしたら幼馴染の言うように、未来の世界では吾郎とは違う好きな奴ができるのかもしれない。
だけども自分にとっては不確定な未来のことよりも幼馴染の方が大切だった。
だから似合わないお節介をいろいろとやいた。それだけのことだ。
(まあ、所詮は俺も自己満足のためにやったようなもんか…)
となるとやはり五発は覚悟しておかなきゃならないな。桐野は軽く笑った。

そうして幼馴染で初恋の人の息子で、彼が「親友」と呼ぶことの出来る唯一人の男に向けてつぶやいた。


「…もう手離すんじゃないぞ」









前夜X








「前夜Y」へつづく










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