「ラブ・パレード46」

<前夜V>





花は降る。

季節はずれの薄紅色。






ラブ・パレード46








病院は消毒液の匂いに満ちている。
間宮桐野は、ふいにその中に混じる外の匂いに顔を上げた。

「桐野」
桐野は組んでいた指をほどきつつ、さらに目線を上げる。
「…ああ」
自分の前に男が立っているのを認めて、そうしてその名を呼んだ。
「早かったな、吾郎」
顔面蒼白の男は肩で大きく息をしていた。
薄茶色の髪はぼさぼさに乱れて、汗の流れる額には前髪が張り付いている。
「…お前、まさかここまで走ってきたのか」
「希望は」
男はその問いには答えず右腕を伸ばしてきた。
そうして桐野の肩を掴む。
鬼気迫るそれに力の加減はない。 指がぎりぎりと肩に食い込んでくる。
「希望はどうなった」
「……」
桐野は答えず男の顔を見上げた。
幼馴染の男は、彼が今まで見たこともないような表情をしている。

悲しみ。
怒り。
後悔。
恐怖。
そして…。

だから桐野はこう問いかけた。
「…吾郎。希望ちゃんは事故にあった直後、俺に何と言ったと思う」
男の手が震えた。
「何…」
「吾郎にだけは連絡をしないでくれ。これ以上迷惑はかけたくない」
「……桐野、そないなことより希望は…」
「いいから聞け!」
桐野は立ち上がり、幼馴染の男を睨みつける。
「なあ。お前は希望ちゃんの気持ちは迷惑だったのか」
「……」
「そうでない事を俺は知っている。馬鹿なお前の精一杯の嘘のことも知っている。
でもあの子だけは知らないんだ。だからずっと思ってる。考えている。
お前に迷惑をかけた。申し訳ない。償いたい。恩を返したい。…永遠にね」
「……」
「お前が希望ちゃんを本当に大事にしているのは分かっている。
よく分かる。だけどな、お前の思いやりは今となっては仇になってる」
「………」
「そんな気持ちを抱えたままあの子はここで死ぬのかもしれない。
人間の命なんて脆くて脆くて馬鹿みたいに儚いものだからな」
夜の病院はひどく静かだった。
桐野の声だけが淡々と響いている。
「大事なのはわかる。幸せになって欲しいってのもわかる。だけどな、俺らは皆、どうなるかわからない」
男は凍りついたかのように動かない。
そんな男を見上げたまま、桐野は続ける。
「今、この瞬間にだってあの子はお前のことを想ってる。想うからこそ傷ついてる。
未来のことなんか俺は知らない。だからこそ言ってやる」
桐野は男の腕を掴む。
そうして幼馴染の瞳を真っ向から見据えた。


「吾郎。あの子とお前の望みは一体何だったんだ」






吾郎はその場に立ち尽くしていた。

走りづめで酸素を求める肺は苦しく、それに伴って動く喉はひゅうひゅうと音を立てている。
酸欠の為か頭も痛い。
桐野の言葉はそんな頭に突き刺さるかのようだった。



苦しい。
痛い。

痛い。

ああ……そうだ。

このまま会えなくなるのは「痛い」。
どんなことより痛くて苦しい。
それだけは、考えずとも理解できた。


「未来」の為。
そう考えて嘘をついた。
そのほうが希望のためだと思った。
いつか必ず、幸せになれると思った。
なのに。
その結果、ひどく傷つけることになってしまった少女。

今だって傷ついている。
その言葉が胸に痛い。



いつか未来で。
少女が大人になった時には自分との出来事は「想い出」になる。
想い出でよかったと思えるときが来る。
そう信じて嘘をついた。
自分は少女の後見人で友人で、それで良いと思っていた。
後悔などしないはずだった。
それが少女にとって一番良いことだと思っていたからだ。


「吾郎。あの子とお前の望みは一体なんだったんだ」



だけども今は桐野の言葉が頭にこびりついて離れなかった。


自分の望みは考えるまでもなかった。
自分の望みはただひとつ。


では…希望の望みは。
望みは…。
……。

「希望の、望み……」

そこまで考えて彼はようやく気づいた。
自分が少女の望みなど、ひとつも考えようとなかったことに。



希望の言葉が思い出された。
ひとつひとつ。
嘘のひとつもつくことのできない。
そんな不器用すぎる少女が自分に告げていた、自身の「望み」。
自分のことを考えろと言って怒った。
抱きしめた後には今にも泣き出しそうな顔をしていた。
ありがとうとぎこちなく微笑んだ。





「吾郎、私は…」



―希望の。

「私はずっとお前の…『お嫁さん』になりたかった」



―望みは…。







1月のあの日。
少女は自分を見上げて口を開いた。
寒さの為にいっそう紅くみえる唇が言葉を紡ぎ出した。



「…16歳になった」









「…吾郎」





ふいに耳に届いてきた細い声に男は顔をあげた。



白い壁に囲まれた音のない空間。

誰も居なかったはずのそこに人影がひとつ、幻のように佇んでいた。








前夜V








「前夜W」へつづく










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