「ラブ・パレード45」

<前夜U>









彼女に、約束の花を。









ラブ・パレード45






藤堂希望は制服姿で、舞い散る桜を眺めながら歩いていた。
交差点の手前。
こんな街中にも薄紅色の花は溢れている。
4月の風は温かく、心地よかった。
制服を着た少女の足元を花びらを巻き込んで吹き抜けていく。
温かな陽だまりの中では野良猫が2匹伸びていた。
思わず立ち止まりその様子を眺める。
猫の1匹は稲穂の色の毛並みをしていた。
稲穂色の毛に茶色や砂色のものが混じっている。
日にあたって金色に見える稲穂色がいくつか筋になって光をはじいていた。
柔らかな毛並みは日の光を含んで、いかにもふかふかと気持ち良さそうだった。
(…吾郎の髪の毛の色にそっくりだ)
希望は思い、そうして思わずその場に屈みこんだ。
猫はちらりと視線を向けたが逃げるようなそぶりは見せず、すぐにうったりと瞳を閉じた。
(元気…だろうか)


後見人である青年の家を出て2週間ほどが過ぎた。
いくつかの手違いがあったらしく少々手間取ったりもしたものの、寮生活は実に暢気なものだった。
何しろすることがない。
食事は食堂で事足りるし、洗濯も掃除も小さいおかげであっという間に終わってしまう。
やはり暇な夏美と話したり出かけたりしていたが、今日は学校に出かけることにした。
図書館で借りていた本の返却期限がもうじき来てしまうからだ。

希望は部活に入っていなかった。
それは今まで、家に帰ってしなければならないことがたくさんあったからだった。
二人と一匹分の洗濯に掃除に買い物。
ほうっておくとすぐに荒れてしまう庭の手入れ。
天気のいい日には布団を干して出かけるので、日が沈むまでに帰らなければならなかった。
太陽の匂いのする布団を同居していた一人と一匹は大好きで、その日は実に嬉しそうににこにこしていた。
(これからは部活に入る時間もできるのだな…)
希望がなんらかの武術の使い手だということは入学式の一件以来学校中の噂になっていた。
流儀こそ別になるのだが、空手部などからの勧誘も幾度となくあった。
これまでは一蹴していたが、少し考えてみてもいいかもしれない。
そう思いながらふかふかとした猫の毛並みを眺める。
日にあたって時折金色に光る毛並みをとても綺麗だと思った。
(でも…)
ふいに胸に迫るものがあって、希望はわずかに目を細めた。



希望は家の仕事が好きだった。
面倒と思うより先に、それは小さな頃からの日課で「当たり前」のことだった。
加えて同居人の青年も家の仕事を厭うようなことはなかった。
いつも楽しそうに掃除をしては料理をする。
自分が家事をすることを楽しいと思うことができるのは、もしかしたら同居人のそんな様子を間近で見ていたからかもしれなかった。


古びた家。
小さな庭。
そして今もそこに当たり前に暮らしているだろう一人と一匹。


希望は「会いたい」と正直に思った。
思うことぐらいは許してくれるだろう。
そう思いながら猫の上に舞い落ちる桜の花びらを見て頬を緩める。
それに、と胸の奥でつぶやく。
最後に約束をすることができた。
それは今ではひとつの目標のようになっていて、そうして支えにもなっていることを希望は理解していた。
いつかは必ず会える。
だから―それまでは。


「希望ちゃん?何しているんだいそんなところで」
「…桐…間宮先生」
希望は笑顔を浮かべている男を見ながら立ち上がった。
いつの間にか希望の背後に居た男はにこにこと笑う。
「桐野でいいよ。学校の外なんだしさ。で、どうしたの制服なんか着て」
図書館に行こうと思っていることを伝えると桐野は頷いた。
「俺も仕事で学校に行く途中なんだ。一緒に行こうか」



桜が舞い散る中並んで歩く。
しばらくなんでもない雑談を交わしていたが、ふいに桐野がこう切り出した。
「希望ちゃん、二ノ宮さんとはうまくやってる?」
「ああ。二ノ宮には迷惑をかけてばかりで申し訳ないが…4月末には部屋が空くそうだからそれまではいつでも居てもいいと言ってくれている」
「そう。悪いね、学校の手違いで」
「そんなことはない。住ませてくれるだけで有難いことだ。本当に感謝している」
桐野はそれを聞いて何故だか苦笑を浮かべた。
そうしてふいに彼女が一番欲しい情報を口にした。
「希望ちゃん、吾郎は元気でやってるよ」
「…そうか」
「会いたいかい?」
希望は横を歩く桐野を見上げる。そうして思い切り顔をしかめた。
「お前は時々意地が悪い」
「そう?」
桐野は笑う。人畜無害そうな温和な笑み。
それを見やって、そうして希望は前を向いた。
空を舞う桜を見ながら答える。
「会いたいが、会わない」
「どうしてだい?」
「言ったろう、桐野。私は狭量なんだ。…決心が、鈍る」
桐野は仏頂面の少女を見下ろして苦笑を浮かべる。
「…希望ちゃんは頑張ったよ」
「……?」
「大事な人に我侭を…自分の願いを告げるのは勇気がいることなんだよ。大事であればある程ね」
「……」
「偉かったね」
すると希望は困惑したような表情を浮かべた。
「別に偉くなんかない。私は私の望みを述べただけだ。
後悔などしてはいない。少しも…といっては嘘になるが」
ふいに温かな風が吹きぬけた。
少女の髪が揺れ、花のような香りが舞う。
「…私はあいつを困らせてしまったからな…」
桐野はふいに黙り込んだ。
横の教師が前を向いたので希望も黙って前を向いた。
しばらくそうしているとすれ違う人が増えてきた。徐々に人通りが多くなってくる。
前を見るといつも通っている交差点が見えた。
「希望ちゃん。吾郎は困ってなんかいないよ」
しばらくして桐野が口を開いた。
希望は桐野を見上げたが、当の教師は前を向いている。
かけている眼鏡に陽の光が反射してその表情は見えなかった。



はらはらと桜が舞う。
歩く二人の頭や肩に触れては零れていく。


目の前の信号が赤になり、桐野は立ち止まった。
しかし次の瞬間。
横に居た少女がいきなり前方に駆け出した。
目線を横に向けるが間に合わない。
視界には何も映らず、桐野は思わず唖然とする。
信号は赤だった。
そこに飛び出すのはどういうことなのか。
慌てて目を前方に移した彼は、そうして言葉を失った。


目の前の車道には何故か希望がいた。
それはほんの一瞬のこと。
だというのに、その光景はくっきりと彼の網膜に焼きついた。

……子供。

希望の目の前には子供が居た。
その子供を少女は突き飛ばす。
子供は歩道に転がる。
そして。
そして―。

桐野は目を見開く。
忽然と世界から音が消えたように感じた。


誰かの泣き声が聞こえて、桐野は自分の世界に音が戻ったことを知る。
ざわめきと泣き声。
誰かが叫ぶ声と、どこからか鳴り響くサイレンの音。



倒れた少女は動かない。
少女から零れた赤いものが、黒色のアスファルトに広がっている。
その色彩のコントラストはあまりにも綺麗で、だからこそ実感が湧かなかった。

「…希望…ちゃん…」
嘘だろう、と言う声は言葉にはならなかった。






前夜U








「前夜V」へつづく








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