「ラブ・パレード34」<決別の笑顔> |
「私ではお前の嫁に…伴侶になれないだろうか」 その時。 吾郎はぽかんと口を開けたまま動けなかった。 おそらくさぞかし間抜けな顔だったことだろう。 ええと、と彼は少女の言葉の意味を考えた。 嫁。 伴侶。 希望が、俺の。 ……俺の? …こいつは何を、言っとるんやろう…。 はじめ吾郎は笑おうとした。 16歳の少女の言葉の内容は、あまりにも滑稽でおかしかった。 しかし目の前にある少女の瞳は、表情は、真剣そのものだった。 だいたいこの少女は冗談など言わない。 嘘も言わない。 そのことは自分が身に染みて知っている。 ならば、これは。 ぽつりと脳裏に浮かぶものがひとつあって、青年は息を呑んだ。 ―俺の所為か…? そう認識した瞬間、心臓がぎしりと軋んだ。 考えられることはただひとつだった。 あのとき。あの瞬間に自分が感情のままに行動した結果。 自分の感情を、自分がこの少女に抱く感情を、この少女は無意識のうちに察知してしまったのかもしれない。 自分の「一緒に居たい」という、「一緒に居て欲しい」という馬鹿げたほどに我侭な「望み」を。 吾郎は、希望が自分に恩を感じていることを承知している。 この少女は非常に義理堅い。 そして、少女が自分の為に何か返したいといつも考えていることも。 ―だからこそ…告げるわけにはいかなかったのに。 自分の「望み」を悟られてはならない。 なぜなら希望は、おそらくその「望み」を全力で叶えようとする。 恩人の為に自分の「心」を偽ることさえも厭わない。 だから嘘をつくことをしないかわりに、無意識に自分の気持ちを恩人の望む「感情」へとすり替える。 そうしてそのことにも気づかない。 気づこうともしない。 それくらい不器用な、少女。 ―吾郎はそう思っている。 だから青年は表情を蒼ざめさせた。 そうして希望のこの「勘違い」を生み出したのが、他でもない自分自身であったのだということを確信した。
ラブ・パレード35
だから男は嘘をついた。 少女はそれを素直に信じた。 「…それは、できない」 吾郎の答えは至極簡単だった。 曖昧な表現を使わない単純なこたえ。 眼前に投げ出された、彼の返答。 「……」 希望は吾郎を見上げたまま。その瞳から目を逸らさぬままにそのこたえを聞いた。 「俺は、お前をそんな風には見れん」 吾郎は一度瞳を閉じた。 しかしすぐに瞳を開け、そうして苦い笑みを…困ったような笑みを浮かべる。 「お前は、家族や。俺の師匠で、友達で、そうして家族や」 せやから、と彼は続けた。 「ごめんな…」 「……そう、か」 希望は青年の瞳から目を逸らさなかった。 ひゅうとひとつ息を飲んで、そうして小さく「微笑んで」みせた。 「わかった。ありがとう、吾郎」 希望は微笑んだまま、するりと吾郎の袖口から手を離す。 「本当のことをいうと…お前は単純でお人よしで馬鹿だから、自分の気持ちに嘘をつくんじゃないかと思っていた」 「嘘…」 「けれどお前は本当の答えをくれた。だから、それが嬉しい」 「……」 吾郎はそれには答えなかった。ただ、ひどく硬い表情をしていた。 希望は笑う。 「すまなかったな。お前を困らせてしまった」 希望の手は離れ、ふたりを繋ぐものは何もなかった。 かすかな距離。 その距離を夜風が冷たく流れてゆく。 「…希望。ごめんな…」 「何故、お前が謝る」 「…ああ、うん」 吾郎の表情は硬い。 希望は瞬いた。涙は零れることはなかった。 なんとかこらえることができたことに安堵する。 衝撃がなかったといえば嘘になる。だけども実のところ希望は、吾郎の返答は予想していた。 それは希望にとって、わかりきっていたことだったからだ。 自分は子供で、子供すぎて、どうやっても吾郎の目には入らない。 「恋愛対象」というものには、決してなれない。 …わかっていたことだ。 だけども伝えることはまだ沢山あった。 今回決めたことは、自分の我侭を告げることだけではなかった。 だから希望は精一杯微笑んでみせる。 笑えていればいいと願いながら、言葉が震えていなければいいと思いながら。 「吾郎。私は、お前に出会えてよかった」 「……」 「お前との生活は楽しかった。たくさんのものを貰った。 お前はどうせ何もわかっていないのだろうが…お前は、ひとりの人間の「居場所」をつくってくれたんだ」 希望はいっそう微笑んで見せた。 「それは本当に、凄いことなんだぞ」 本当に、本当に。 どれだけ自分が感謝しているのか。 どれだけこの男に惚れているのか。 痛いぐらいの感情は今も胸を抉る様だけれど。 それでも今は、言わなければならない。 自分がとても幸せだったことを。 自分が出て行くのが、決して彼の所為ではないということを。 吾郎が自分の感情に引きずられないように。 お人よしの男が同情や後悔というものに支配されることのないように。 だから希望は笑おうとした。 笑顔は苦手だ。おそらくは引きつった、不細工なものになっているに違いがなかった。 それでもこの言葉を伝える時は、笑顔で居ようと決めていた。 だから。 「ありがとう。吾郎」 これからは純粋な気持ちで願おう。 これからは遠くで。足枷にも、重荷にもならないように。 馬鹿で愛おしい、お人よしの男が「幸せ」になれるように。 出来うる限りの笑顔を浮かべて。 ―お別れだ。 「今まで私と一緒に居てくれて…ありがとう」
決別の笑顔
「ラブ・パレード35」へつづく
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