「ラブ・パレード3」

<少女と教師>



吾郎はがっくりと肩を落とした。
目の前のちゃぶ台の上には湯気の立つ朝食がきちんと一人前揃えてある。
そうしてその横には、実にあっさりとした書置きがひとつ置いてあった。

<今日は早く出る。希望>

「まだ機嫌直ってないんやろか…」
吾郎は寝起きの頭をがりがりとかきむしった。
「もう3日もまともに話してないやんけ…」
三十路近い男の独り言がわびしく響く。
その様子に、居間で寝転んでいた飼い猫が仕方なさそうにぶにゃあと鳴いた。


1日目は気のせいかと思った。
2日目も偶然かと思った。
しかし3日目ともなると話は別だ。
いくら鈍感な吾郎でも気がつくというものだ。
これは完全に、避けられている。

「困ったなあ」
吾郎は顔を洗うのも忘れて、畳にそうっと腰を下ろした。
フレンチレストランでシェフとして働いている吾郎の出勤時間は遅い。
そのため帰宅時間も遅く、同居人の少女と夕食をとることは週に2度あればいい方だった。
そこで吾郎は自分の中の規律として「朝食だけは一緒に摂る」と決めていた。
今だかつて、それを破ったことなどなかったというのに。
「俺が悪い…んかなあ……」
吾郎は朝の爽やかな日差しの中で盛大にため息をついた。


「絶対に、お前が悪い!」
昨夜親友に突きつけられた言葉が頭の中でこだまする。
「へ?な、なんで?」
ぽかんとして問い返すと、桐野は呆れかえったような表情を浮かべた。
「この阿呆。それくらい自分で考えろ」
そうして実に失礼極まりない言葉を付け足した。
「たまには女の子の気持ちを考えてやらないと脳が退化するぞ」

吾郎は頭を抱えた。
わからないから困っているのだ。
だからわざわざ呼び出して相談したというのに。
そう思いつつ彼は少女の作った朝食を眺めやった。
納豆に大根の味噌汁に鯵の開き。それに彼の好きな甘い卵焼き。
それは暖かな湯気と、実に良い匂いを部屋に放っていた。
赤谷家の財政は正直潤っているほうではない。
その中できちんとやりくりをして、しかも家事までこなしてくれている少女のことを思うと感謝の気持ちでいっぱいになる。
「頑張って稼がななあかんなあ…」
吾郎は特に無駄遣いをする方ではなかった。
しかし今後のことを考えるといろいろな貯蓄もしておかなくてはならない。
その結果、いつみても財布の中身は薄かった。


「いい話だろう?」
その時ちらりと上司の声が脳裏をかすめた。
「お前、行きたがっていたじゃないか。いい機会だと思うがな」


「…行けるかい。なあ」
吾郎は隣に居た猫に話しかけた。猫はそ知らぬ顔で寝転んでいる。
彼はゆらりゆらりと呑気そうに揺れているしっぽを見ながら息を吐いた。

店長の言葉は非常に有難かった。実のところ有難くて涙が出た。
しかし、それでも。

…絶対にひとりにはさせないと誓った。

脳裏に浮かぶのはがらんとした道場に座る小さな希望の姿だった。
喪服のままたったひとり。驚いたように自分を見上げる子供の姿。
そうして…「あのとき」の希望の姿も。



ぼんやりと考え込んでいると唐突に腹が鳴った。
悩んでいても困っていても、人間というものは腹が減る。

吾郎は苦笑し両手を勢いよくあわせた。
突如響いた大きな音に、きなこ色の猫の耳がびくりと動く。
それを見ながら、感謝をこめて言葉を紡いだ。

「いただきます」





ラブ・パレード3






「……」
藤堂希望は、足元に落ちてきた白い封筒を無表情にみつめていた。
やがて小さく息を吐く。
そうしてそれを拾おうと身を屈める。
しかしその瞬間、背後から飛んできた明るい声にその仕草をひたりと止めた。
「おっはよーっ!藤堂!!うわ、なにこれ!?ラブレターじゃないのさーっ!」
希望は身を起こし、憮然とした表情のまま声の主を見返した。
「…朝から五月蝿い。二ノ宮」
「だってラブレターなんて大変なことだよ?せっかく人気があるんだからいいじゃん!羨ましいなあ〜」
二ノ宮と呼ばれた少女は、大声で笑いながら希望の足元にある封筒に手を伸ばす。
そうして手にした手紙についた埃を払い、希望に差し出した。
しかし希望はむっつりとした表情を崩さぬまま首を傾ける。
「人気がある、と言ってもな…。私も一応は女だから、女性からこのようなものをもらってもあまり嬉しくはない。
しかも文面からするにパンダとかラッコとかを愛でるような感じに思える」
希望の言葉に、二ノ宮は遠慮なく爆笑した。
「あはは、そりゃあそうだわー!まあでもしょうがないじゃん。藤堂目立つもん。その喋りとか変わってるし、ちっこいのに強いし!」
「……。喋りはうちが道場だったからで、その癖が抜けないだけだ。顔に愛想がないのは、多分…生まれつきなだけだ」
そう答えながらも、希望は手紙を受け取り丁寧な所作で鞄の中に直しこんだ。
正直複雑な気分だが、それでも自分のことを気にかけてくれる人が居るのは嬉しいことだとそう思う。
すると二ノ宮は何故だか嬉しそうな表情でさらに続けた。
「でも目立つのはそれだけじゃないって!
ほら藤堂さ、入学早々3年の不良グループをひとりでやっつけちゃったよね。あれは凄かったね、かっこよかったね!
知ってる?あの事件以来、藤堂の強さに憧れる女子が急増中なんだってよ!」
「……」
黙ったまま鞄の蓋を閉じ、希望は大きく息を吐き出した。


あれは高校に入ったばかりの、4月のことだった。

入学式の帰り、裏庭で4人もの学生が1人の学生に対して暴力を振るっている様を見かけたのだ。
4対1。単なる喧嘩でないことは明白だった。
思わず止めに入ろうと足を向けた。
あくまで冷静に、言葉で説得するつもりで。
しかし相手は希望の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
軽薄な笑みを浮かべたまま暴力を止めようとしない。金髪の学生がつま先を蹴り上げると、真ん中に蹲っている学生の鼻から赤いものが流れ出た。
それを見た瞬間、我慢できずに手を出してしまった。
金髪の学生の身体が宙に浮く。
しまったと思ったときにはもう遅かった。
そこからはお決まりのパターンだった。
襲いかかってきた学生たちの相手を一通りしたところでようやく教師が駆けつけてきた。

…相手がこの学校でも有名な不良グループだと知ったのはその後のこと。


「あれは反省している。暴力は、良くない」
あの後、自分の「後見人」である男にみっちりと叱られたのを思い出しながら希望は答えた。
かすかに落ち込んだ様子の希望には気づかない様子で、目の前のクラスメイトは明るく笑う。
「いいんだよ〜。悪いことしてたのはあの人達なんだし。叱られて反省する人もちゃんといたんだし。
あ、ねえねえそれよりさ、藤堂は全部のラブレターに対して律儀に返事を返したりしてるんでしょ?
んもーっ。まじめなんだからーっ。」
「な、なぜだ?手紙に返事を返すのは当然のことだろう」
「え、えらい!藤堂えらいねーーっ!!よおし、おねーさんがなでなでしてあげよう!」
言うなり手を伸ばしてきた二ノ宮は、希望の頭をいきなりなで回してきた。
希望はかなり背が低い。目の前のクラスメイトを見上げるとかすかに首が痛かったりするのがなんだか悔しかった。
「二ノ宮…。それは私が背が低いことを気にしていることを知ってのことか?」
「え?そーなの?えーいいじゃんかわいいじゃん!」
「良くない。私はお前くらい背が高くなりたかった」
対する二ノ宮の背は高い。170cmに手が届きそうな二ノ宮と並ぶと150cmもない希望はさらに小さく見えた。
二ノ宮はそうかなあ、と不思議そうにつぶやき、希望の頭から手を離した。
そうして希望の後方に伸びる廊下を示して満面の笑みを浮かべる。
「藤堂!後ろに居るはうちの高校きっての男前教師だよ!これは朝から良いものが見れたねえ」
その言葉に希望は顔をしかめた。
うちの高校きっての男前教師。
その言葉が示す人物は、ひとりしか思い当たらない。
…そうしてそれは実のところ、希望が今一番会いたくない相手だった。


「間宮先生―っ!おはよーございまーす!」
しかしそんなことは知らない二ノ宮が明るく手を振る。
それに気づいた男は、その整った顔に笑みを浮かべた。
「ああ、おはよう。二ノ宮さんはいつも元気だね。寮生活は楽しいかい?」
「ははーっ。頑張っているであります!」
「…おはようございます」
希望は二人が話しているうちにその横をすり抜けようと試みた。
しかし案の定、あっさりとその教師から呼び止められてしまった。
「あ、藤堂さん」
「……はい」
しぶしぶ振り返ると、間宮桐野の柔和な笑顔が飛びこんできた。
校内でも評判の二枚目教師は実に爽やかな顔でにっこりと笑う。

「昼休み、進路相談室に来てくれるかな?」



少女と教師







「ラブ・パレード4」へつづく






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