「ラブ・パレード29」

<あなたに勇気を>




…怖いのは何故だろう。
言い出せないのは、何故だろう。



私たちはとても奇妙な関係だった。
出会いは路地裏。
再会は幼稚園。
そうして吾郎は祖父の弟子になり、私の後輩になった。
2年後に祖父が他界した後には、お人よしな男は今度は私の後見人になった。

遺産も何もない。
血のつながりもない。
出会って2年しか経っていなかったというのに。


それから8年、一緒に暮らした。
最初はとても大変だったのだろうと思う。
吾郎はまだ若くて、私もうんと小さかった。

だけどとても…。
そうだ。
私は…とても楽しかった。


はじめは変な男だと思っていた。
なのにいつのまにか私は、その変な男との生活がすっかり楽しくなってしまっていた。


私たちの関係は奇妙でいて、それでいて私にはとても大切なものだった。
あたたかくて優しかった。きっと一番大切だと思っていた。
だから家族でいいと思った。友人でも妹でも。娘でもいいとさえ思っていた。


それなのに、私は気づいてしまった。
私たちの関係は壊したくないくせに。このあたたかなものを手放したくないくせに。
それなのにいつからか吾郎の「一番」になりたいと。そう、思ってしまっていた。
一緒に居たかった。
ずっとこの家で。家族として。


私はどちらも手放したくなかった。
だから吾郎にその選択を委ねた。


―16歳になった日に、もしも吾郎があのことを覚えていてくれたなら…。


希望は俯く。
本当はわかっている。
それは責任転嫁だ。自分でどれかを手放すことが出来なかった。怖かった。
きっかけが欲しかった。
だからそれを勝手に吾郎に委ねた。


我侭なのは自分だ。
自分勝手なのも自分だ。

そう。
結局のところ私は。


……「私」が傷つくのが「一番」怖かったのだ。





ラブ・パレード29







「ねえ、のんちゃん」
気がつくと涼子が目の前に屈みこんで希望を見上げていた。
綺麗なスーツが汚れるのもかまわずに地面に膝をついている。
「あたし、思うんだけど」
そうして晴れやかに微笑んだ。
「それって我侭じゃないんじゃないかしら」
希望は瞳をあげる。
目の前の女性は綺麗だった。外見だけではない。
涼子はいつだって自分自身のことをわかろうとしている女性だった。
だからこそいつだって毅然としていた。
自分自身の嫌なところも目を逸らさずにちゃんと見て、そうして理解しているような節があった。
だからこそ希望は涼子のことが好きだった。
吾郎が涼子を連れてきたことを、実のところ感心してさえいた。
「ええ人やろ?」
吾郎がいつか、照れくさそうにそういったことを希望は覚えている。
「意地っ張りやし口は悪いけど、俺は尊敬してんねん」



涼子は自分を見つめ返してくる少女に向かい、小さく笑みをこぼした。
この少女の視線はいつだって静謐でまっすぐなのだ。
…こちらが、恥ずかしくなってしまうくらい。
涼子は肩をすくめる。そうしてそのまま手を伸ばし、希望のやわらかそうな頬を両手で摘んだ。
想像以上の柔らかい感触に、思わず頬が緩む。
「な…」
さすがの少女も驚いたような表情を浮かべる。
それがひどく可愛らしく見えて、涼子は口元を緩めた。
ああ、のんちゃんでよかった。
素直にそう思えた。思える自分に安堵した。
「ね、のんちゃん」
「あ、ああ…」
「人はね、誰もが一番になりたいのよ。好きな人の一番になりたい。そんなの当たり前だわ」
「……」
「そうして好きな人もそう思ってくれていたら一番よね」
「……」
「そう願うことって我侭じゃないわ。そうして、そのために努力するのだって悪いことなんかじゃない。
少なくともあたしはそう思う。」
「…努力…」
そうよ、と涼子は微笑む。
「人間はね、結局のところ鈍感で馬鹿な生き物なのよ。自分以外の相手のことは何もわからない。
だから昔の人は言葉を編み出したんだわ。そうして相手のことをより理解することで、人間はここまで栄えてきたのよ。きっとね」
「……」
ここまで言ったらわかるでしょ。そう言いながら、涼子は希望の頬から手を離した。
「だけどね、それってとても難しいことなのよ。だからみんなあきらめちゃう。
勝ち目のない戦いはしたくないって、戦場にあがる前からあきらめちゃうんだわ」
まあ、あたしも人のことは言えないんだけどね。涼子は心の中でだけでそっとつぶやいた。
敵前逃亡をしたことは伏せておこう。それはここでは必要のないことだ。
「でもね、今思うとそれは卑怯なことなの。相手にとってもそれは失礼なことなんだって思う。
だってその人を素敵だと思った想いも、感情も、すべてなかったことにしようってことなのだもの」
そして、それはとても悲しいことだから。
「吾郎にきちんと伝えなさい。でないときっと後悔するわ。のんちゃんも、そして吾郎もね」
「しかし、吾郎は…」
「吾郎がのんちゃんが出て行くことをどう思っていると思う?」
「……」
「あたしは吾郎じゃないからあいつの気持ちなんてほとんどわかんないけど」
さらりと涼子は言う。
「少なくとも、あたしの知ってる吾郎なら、のんちゃんが出て行くのが「のんちゃんの意志」なら絶対に止めない。
悲しくても、寂しくても、絶対に止めない。そういう奴だもの」
「……」



ふいに風が吹き抜けた。2月の冷たい風に少女のマフラーがなびく。
いつだったか、小さな頃に吾郎に貰ったのだと宝物のように教えてくれた。
希望はそうっとそれを押さえた。
そうしてあたたかなそれに顎を埋めるようにして唇を引き結ぶ。
それを見て、涼子は口を開いた。
「吾郎に勘違いされたままで、傷つけたままで。それきり会えなくなってもいいっていうなら、あたしはもう何も言わないわ」
涼子は思う。
何も言わずに。伝えずに。
すべて吾郎のせいにして逃げ出した理由も今ならばはっきりとわかる。
そして後になってほんの少しだけれども後悔した。ほんの少しだけれども。
それでもそれは…まぎれもない事実だったのだから。

―だから、気づいて。




どうやっても勝てない「一番」。
それが単に保護者が子供に対するようなものなら良かっただろう。 しかしそれだけではないことを涼子は知っていた。
婚姻を結び、人生を共にするうえで一番必要なのは信頼関係だ。しかし吾郎のそれは既に違うところにあった。
しかも無意識なのだから性質が悪い。
……そう。それは「ふたり」に言える事なのだから。


「あとは、のんちゃんが決めなさい」











あなたに勇気を








「ラブ・パレード30」へつづく





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