「ラブ・パレード27」

<いちばん>





その日、珍しく希望は家政婦の真砂子さんと買い物に出ていた。雨上がりの空が綺麗な日だった。
確か、祖父に何かを頼まれたのだと思う。

帰ってくると玄関先にはきちんと揃えられた大きな靴がひとつあって、祖父の弟子になった青年が来ていることがわかった。
帰ったことを伝えようと道場に向かう。しかしそこにふたりはいなかった。
ならば部屋だろう。そう思い祖父の部屋に向かった子供は、縁側でなにやら話している二人の姿をみつけて立ち止まった。
やたらと楽しそうな青年の声と、いつものように無愛想に低い祖父の声。
近づくとふたりの会話の内容が聞こえてきて、6歳の子供はその足を止めた。
襖の端からそっと縁側の様子を伺う。


庭先の紫陽花が雨のしずくをはじいてとても綺麗だった。


「…真砂子さん。ひとつ聞きたいことがあるのだが…」
「はい。なんでしょう?」
買い出してきた物を片付けていた真砂子は内心首をかしげながら答えた。
台所にやってきた子供の声音が、珍しく揺らいでいるように思えたのだ。
自分を見上げる大きな瞳もどこか違う。
「オヨメサンとはいくつからなれるものなのだ?」
意外な質問にさすがの真砂子も瞳をしばたかせた。
「オヨメサン…?ええと、お嫁さんのことですか。女性は16歳からですが」
「16」
子供は噛み締めるようにその言葉を繰り返した。真砂子はいっそう不思議に思って子供の姿を見下ろした。
「どうかされたのですか?」
「……。ケッコンとはどういうものなのだろう。」
「…男性と女性が籍を入れることです」
真砂子は真面目に答えた。しかし当然のこととはいえ子供には難しすぎる。
子供がわからない、というので真砂子は真剣に考え込んだ。
「そうですね…お互いにお互いことを一番大切に想っている男の人と女の人が、ずっと一緒に居ることです」
子供はぽかんと真砂子を見上げる。
「お互いにお互いが…いちばん…」
「ええ」
子供は俯いた。
そうしてその言葉を何度か反芻していたが、やがてその幼い頬をゆるゆると赤く染めた。


「…いちばん…」







ラブ・パレード27











木原涼子はその日、機嫌がとても良かった。担当している商談が上手くまとまったのだ。
ふふ。これもアタシの手腕ゆえよね。
心の中では自分を大絶賛しつつ、表では謙遜。かしこいОLの姿である。
そして仕事をうまくやり遂げたゆえの定時退社。
むしろ鼻歌を歌いたいような勢いで外へ出た涼子は、しかしその足をぴたりと止めた。
「…のんちゃん?」
オフィスビルの前の植木の前。
いつかと同じように一人の少女が涼子を待っていた。
やたらと姿勢の良いちんまりとした少女は、涼子の姿を認めて小さく頭を下げる。
「一体どうしたの?」
涼子はそう尋ねたが、実のところこの少女の要件は分かっていた。
近くで見ると少女の目は兎のように赤かった。
寝不足なのか、泣いたのか。どちらにしろ良い状況ではなさそうだった。
「先日のことを謝りたくて…」
制服姿のままの少女は相変わらずまっすぐに涼子の目を見上げてくる。
それに苦笑しながらとりあえず歩こうかというと、少女は素直に頷いた。




吾郎の家にはじめて行ったのは、彼と付き合い始めて一ヶ月目のことだった。
いつもはそんなことで緊張などしないのに、このときばかりは多少なりとも緊張していたことを覚えている。
そう。
この「涼子様」がわざわざ有名なケーキ屋でお土産を買っていったりしたのだから、実のところかなり緊張していたんだと今となっては思う。
吾郎の家はかなり古かった。
古いけれど、垣根で囲まれた庭のなかはきちんと整えられていて、いかにも住みやすそうな印象を受けた。
そこに住む人達がどれだけこの家を大切にしているかがにじみ出てくるかのようだった。

吾郎がただいまと声をかけるとすぐに軽い足音がそれに答えた。
玄関に出てきたのは小さい女の子と大きな猫だった。
いかにも重そうな猫を抱えた女の子は、涼子の姿を認めると軽く頭を下げた。
ひとめですぐにわかった。
この一人と一匹は、吾郎が常々口にしている「家族」だった。
女の子の名前は希望。猫の名前はきなこ。
吾郎の「家族」は少々…いや、かなり変わっていた。
きなこという猫は巨大すぎるし、希望という女の子は14歳という年齢にそぐわない子供だった。
無口で愛想というものがかけらもない。
礼儀こそ正しいが、いつも不機嫌そうな顔をしている子供だった。
今時の中学生らしいところがまるでなく、老成したような雰囲気まで感じさせる。
幼い外見に不釣合いなどこか偉そうな口調が、さらに違和感をかもしだしていた。

変な子。

それが涼子の、希望に対する第一印象だった。





「のんちゃん、はい。コーヒーでいい?」
冬の日暮れは早い。整備された公園は照明やまわりのネオンのおかげで明るかったが、それでも寒さだけは拭えなかった。
どこかお店に入ろうと誘ったが、これ以上迷惑はかけられないと少女が頑なに首を振るので諦めた。
この子供は他人に頼ることを潔しとはしないことを、涼子は知っている。
まったく今時の子供らしくないんだから。知らず苦笑が洩れた。
「ああ。…申し訳ない。気を使わせてしまって…」
たかだか缶コーヒー1本に律儀に頭を下げる少女を見て、いっそう笑みがこぼれる。
なんとか笑みを噛み殺しベンチに腰掛ける。隣に座る希望がわずかに身じろぎした。
「で、のんちゃん。あのあとなにかあったの?」
かすかに目を見開く少女に、自分の瞳を示してみせる。
「目が真っ赤。泣いたんでしょ?」
珍しいね、と言うと少女は黙り込んだ。
涼子は缶コーヒーに口をつける。
買ったばかりの缶コーヒーは熱い。冷えていく指先には、それは痛いぐらいに感じられた。
「吾郎と喧嘩でもした?」







藤堂希望という少女はとても変わっていた。
けれど何度も会ううちに、その印象は微妙に変化していった。
例えばいつも不機嫌そうなのも無口なのも、単に自分の感情を表に出すのが苦手だということだからとか。
偉そうな口調も、亡くなったという祖父の真似を一生懸命してるところだとか。


「不器用やからなあ、希望は」
吾郎は希望のいないところで、よくそういって笑っていた。
「手先も、生きることもなあ」
そのとおりだわ、と涼子も思った。
あの子は不器用で意地っ張りなのだ。そのくせどこまでもまっすぐで。
嘘のひとつもつくことのできない馬鹿な子供。
こんなにまっすぐだったら、このねじくれた世の中うまく生きていけないのではないかしら。
そう言うと吾郎はあっさりと頷いた。
「そうなんや。けど、そういうふうにならへんようにするのが俺の役目やって思うとる」
「のんちゃんを守るって事?へえ。それはヒーローね」
涼子の言葉に吾郎はゆるく首を振る。そうして照れたように笑って見せた。
「そんなたいそうなもんやない。なんや、うまいこと言えんけど…こう…土台みたいなもん?」
「はあ?」
「どんなことにあってもあいつなら自分で、自分で考えて精一杯頑張ると思うんや。
俺はそれを引き受けるわけにはいかへん。だってそれは希望のことやもんな」
「……」
「せやけど、悩んだり悲しいときにたったひとりだけでもいいから味方がいると違うやろ?
なにがあっても、世界中の誰もを敵に回しても、絶対にに自分を信じてくれている味方。
家でいうとどっしーんと構えた土台やな」
「…それにあんたがなるっての?」
そう問うと吾郎は照れたように笑った。
「俺がなれたらええなあ、とは思うな。だってな、あいつはすでに俺の『土台』なんやもん」
「……」
涼子は呆れて吾郎をみやった。
この男は何を言っているんだろう。これは、まるで…。
「…あんたって…馬鹿?」
「へ?え?なんで?」
「いや…わかんないなら別にいいけど」


思えばこのときから「勝てない」とは思っていたのだ。
今にして思えば、だけど。






「ね。のんちゃんは吾郎のことをどう思っているの?」
空になったコーヒー缶をかつんと横に置いて、ふいに涼子は切り出した。
少女はきょとんと年上の女性を見上げる。一瞬置いて、その頬に朱が昇った。
「そ、そんなことを話しにきたんじゃない。私はただ、涼子さんに謝りに…」
「もう謝ってもらったからいいの。というかあたしは別に怒ってるわけじゃないしね」
涼子はあっさりと言い、隣の希望の顔を覗き込んだ。
「ね、どう思ってるの?」
「……」
今度こそ希望は黙り込んだ。俯き、手にしたコーヒーをじっと睨んでいる。
表情こそ怒っているが、実のところこの少女が困り果てているだけだということを涼子は知っている。
それを悟り、涼子は内心くすりと笑んだ。


藤堂希望という少女は嘘をつかない。
嘘をつきたくないが、他でもない涼子に自分の気持ちを打ち明けるほど無神経なわけでもない。
どうしてよいかわからないから黙り込んでいるだけなのだ。
涼子はふう、と息を吐いた。仕方ないなあ。本当はこんな役回り、アタシの柄じゃないんだけど。
…馬鹿吾郎、感謝しなさいよね。


「…のんちゃん。アタシは知ってたわよ。のんちゃんの気持ち。たぶん、のんちゃんにはじめて会ったときからね」
「え…」
わかるわよ、と涼子はいたずらっぽく片目を瞑って見せた。
「女の勘って凄いんだから」





いちばん








「ラブ・パレード28」へつづく





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