「ラブ・パレード26」

<彼と彼女の事情>





「あの、すみません」
真砂子がその少年に声をかけられたのは、家政婦として働いている家を出たときのことだった。
振り向くと、学生服を着た少年が門の前に立っているのが目に飛び込んできた。
少年は真砂子と目が合うと、人懐こい笑顔を浮かべる。そうして嬉しそうに近づいてきた。 「あの、この家に幼稚園ぐらいの凄い強い子供が居てるって聞いたんですけど…」
「……」
真砂子は黙ったまま少年をねめつけた。
やけに背の高い少年だった。背が高いわりに姿勢は良かった。
顔にはいくつか絆創膏を貼り付けている。笑顔とそれだけをみれば、小学生のガキ大将のように見えなくもなかった。
しかし今時の流行りだからだろう。少年はその髪を明るい色に染めぬいていた。
思わず軽く顔をしかめる。真砂子は今時の若者の風体があまり好きではなかったのだ。
「なんの御用でしょう」
淡々と問うと、目の前の少年は頭をかきながら答えた。
「俺、少し前にチビの幼稚園児に危ないところを助けてもろたんです。それで…」
「ああ」
真砂子は頷いた。その幼稚園児には心当たりがある。
「お礼は結構だと思います。旦那様も、お嬢様もそのようなことには頓着しませんから」
では、と言って歩き出すと、少年は慌てたようにその後をついてきた。
「お嬢様ってことは、やっぱりここの家の子供のことなんや。この町内では有名やって聞いて…」
「……」
「あの、その子供は元気なんですやろか?妙なやつとかが仕返しに来たりは…」
「貴方」
真砂子は立ち止まるとぴしゃりと言い放った。
「なんの御用かは知りませんが、自分のことを名乗りもしないで人の家のお嬢様のことをずけずけと尋ねるなんて失礼ではありませんか」
ぴしゃりと言うと、あわてたように少年は姿勢を正した。
「あ、ああ。すんまへん!」
「……お嬢様はお元気ですけれど。それがなにか?」
息を吐きながら少年に目をやる。するとすぐに少年は嬉しそうに口を開いた。 「俺、街で大勢と喧嘩してて…ほんで、ものすごい危なかったところをチビ…その子に助けてもろたんです。
でも、その子がのしてしもうた相手らは阿呆やから、仕返しに来るんやないか思て。俺、心配で……」
「それでその子供を捜していたのですか?」
「はい。俺の喧嘩やったのに、その子になにかあったらと思うと気が気じゃなかったんですわ」
真砂子は自分よりはるかに高い位置にある少年の目をみた。
少年の瞳は稲穂の色のような明るい色をしている。
真砂子はしばらくそうしていたが、やがてくるりときびすを返した。
「では、直接お会いしてはどうです?」
「は?」
「今からわたくしは、幼稚園にお嬢様のお迎えに参ります」
「え。ええと…俺が行ってええんですか?」
「わたくしもこの家に30年勤めております」
真砂子はあくまで無表情に言った。
「武術こそ出来ませんが、だいたいのことは人間の瞳をみればわかりますので」





家政婦の真砂子さんの後ろにくっついて、見覚えのある男が幼稚園に来たときは正直驚いた。
男はその印象的な瞳を細める。そうしてよかった無事やったんや、と言って笑った。
何がだ、と問うとなんでもないとさらに笑う。

それが吾郎との再会だった。
そうして、希望はそれからずっと、この男と一緒に居ることになった。


あれからなのだろうか。希望は思う。
それとも祖父の葬儀のときからなのだろうか。
それとも…はじめて出会った時からなのだろうか。


わからないけれど確実にそれは降り積もっている。

いま、この瞬間にだって。





ラブ・パレード26







その少女は、図書室の扉を開けて入ってきた男子生徒に目を丸くした。
あわてて隣に座っている図書委員の袖を引っ張ると、こそこそと耳打ちする。
「ちょっ、あの金髪…に、2年の不良じゃないですかあ」
「ああ、今日も来たのね」
図書委員は実に落ち着いている。
「今日もって…いつも来てるんですかあ?」
派手な金髪の不良はずかずか図書館に入ってくると窓際の席に鞄を放り投げた。
それと同時にばちりと目が合う。
もしかしたら自分の無遠慮な視線を感じていたのかもしれない。
金髪の不良は舌打ちをすると、少女を凶悪な目つきで一瞥した。
思わずうわあ、と少女は首を竦めた。
こ、怖い。怖い。怖すぎる。
ううう、う、噂にたがわぬ怖さじゃん。
目がぎらぎら光るナイフの切っ先みたいだ、と乏しい文章力の中で思った。
「…な、なんであの不良がこんなとこに来るんですかあ…」
2年の金髪といえば学校内では有名な不良だった。
以前は3年の不良とつるんでいたようだが、最近では1匹狼と化している。
しかしその凶悪な噂は絶えることはなかった。
他校の生徒と喧嘩して全員を病院送りにしただとか、1年の時に学校のガラスを割って回っただとか、気に入らない生徒を集団でリンチしただとか、
教師を半殺しの目に合わせたが親の力でそれをねじ伏せ、強引に1年留年という処置ですんだとか、彼に関する噂は今でもひそやかに出回っている。
「あなたは日比谷さんの代理で来ただけだから知らないでしょうけど、ここ半年ほど毎日のように来ているのよ」
「ええ…なんで不良が…」
ぶちぶちと文句をいう後輩に、図書委員は人差し指をたててみせた。
「バカ、聞こえるわよ」
「うう…」
「それに勉強しているだけのようだし、暴れたこともないわ。ああいうのはほおって置くのが一番よ。
下手に刺激して因縁でもつけられたら怖いじゃない」







糸井光一は広げていた参考書から顔を上げた。
受付カウンターに座っている女生徒達があわてたように目を逸らす。
はじめこそその態度に腹を立てていたのだが、それにももう慣れた。
これも自業自得だ。
糸井光一が放課後、図書館通いを始めて半年が経とうとしていた。



がつんと頭を殴られたかのような出会いだった。
出会って早々、思い切り「叱られた」。
彼は母親に叱られたことなどなかったが、もし世間一般の母親という存在が居たらああいう感じなのかもしれなかった。

それからというものその少女のことが気になって気になって仕方がなくなった。
悩んだ末に弟子にしてくれと頼みに行ったが、それもあっさりと断られてしまった。



「ねえねえいとやん、なんで弟子なの?」
少女にいつもくっついている、背だけはやたらデカイ女が聞いてきたことがある。
「付き合ってくれーならともかく、弟子にしてくれーなんて告白、聞いたことないよ。」
付き合うとかそういう問題じゃない。そう言ったがデカ女はきょとんとしていた。
糸井は実のところ言葉を扱うことがあまり得意ではなかった。
それに加えて自分の少女へ抱くものはあまりに複雑で、説明などできるはずもなかった。
うるさいと怒鳴ると、でかい女はいとやんの怒りんぼーと言いながらもけらけらと笑う。
思えばこのデカ女も相当に変な奴だった。
大抵の人間なら、自分が怒鳴るとすぐに怖気づくというのに。



…くそ、集中が途切れちまったな。こんなところにまでジャマしやがってクソ女。
糸井はシャーペンを放り出すと背もたれにもたれかかった。
何気なしに窓の方に目を向ける。そこから見えるのは学校の裏庭だった。
時折、彼が尊敬してやまない少女が掃除をしているのだが、本日はその姿は見えなかった。
しかし、そのかわりに見慣れたポニーテールが揺れているのが目に飛び込んできた。
「……」


「おい」
糸井の声にその少女は振り向いた。後ろでひとつにくくってある長い髪が勢いよくはねる。
「あれ。いとやん、どしたの?」
「……」
「今日は遅かったんだね。また図書館?でももう藤堂なら帰っちゃったよーん。あはは、残念っ」
糸井は顔をしかめた。
こいつはいつもうるさい。そのくせにこういう時は何も言わない。
それがなぜか腹立たしく、糸井はいっそう顔をしかめる。
「…何か、あったのか」
「へ?」
少女はきょとんとしている。
「…いや、お前、なんか落ち込んでるように見え……」
糸井はその台詞の途中で猛烈に後悔し、その言葉を途切れさせた。
これでは出来の悪い恋愛映画の台詞そのものだ。
くそ、と言いながら頭をかきむしる。
どうせこの女のことだから言いかけた自分のクサイ台詞を察知して大笑いするのだろう。
頭をかきむしりながら糸井はひとりごちた。
こんなうるさいだけの女、放っておけば良かったのだ。
「くそ、なんでもねえ!」
糸井はくるりと背を向けた。そうしてそのまま昇降口に戻ろうとする。


「!」
しかし次の瞬間。
背中にあたたかいものが触れて、糸井は立ちすくんだ。
ぎょっとして肩越しに振り返ると、少女のポニーテールが目に飛び込んできた。
「お、おい」
「…これは…いとやんが悪い」
声がかすかに震えている。少女はまた泣いていた。最近よく泣く奴だ、と思った。
「な、なんだよ」
「女の子を泣かせた罰だよ。10…いんや、5分でいいや。背中をレンタルさしてね…」
「……」
糸井は困惑したが前を向いた。
気づけば空は紺色に染まりつつある。
それを見ながら少女のぐずぐず泣く声を黙って聞いていた。







間宮桐野はその教師の背に声をかけた。
「梶原先生」
「おお、なんだ間宮か。どうした?」
梶原は振り返ると親しげに笑顔を浮かべた。桐野はかすかに頭を下げる。
「なんだ珍しく真面目な顔して。嫁さんと喧嘩でもしたのか?」
「まさか。違いますよ」
「そうかあ?お前女癖悪いからなあ。学生時代の武勇伝を俺は忘れんぞ」
梶原は無精ひげの生えた口元をにやりと曲げる。
それに苦笑しながら桐野は梶原に近づいた。
彼より20年先輩の教師は、実のところ桐野の、そして吾郎や鈴の恩師でもあった。
懐かしき学生時代。同じ教師となった今もさんざん世話になった身としては頭が上がることはない。
「梶原先生。この間の話のことなんですが…」
「え?ああ、あのことか」
梶原はなにやら手にした資料で自らの肩を叩いた。
「お前の言うとおりうまくやっておいたよ」
「さすが梶原先生だ。ありがとうございます」
にこやかに礼を言う青年の笑顔を見ながら、教師はでもなあ、と続けた。
「でもな、本当に大丈夫なのか?あとから文句いわれても俺はしらねえぞ」
「大丈夫です」
きっぱりと桐野は答える。それを見て梶原は苦笑を浮かべた。
「おいおいなんなんだその自信は」
桐野はそれには答えず、ただにっこりと笑って見せた。






彼と彼女の事情








「ラブ・パレード27」へつづく





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