「ラブ・パレード20」

<ふたりの距離>








赤谷吾郎という青年は8年前の葬儀の日、藤堂玄隆氏の遺言を受けるかどうか迷っていた。

けれどそれは決して子供を蔑ろにする感情ではない。
むしろ逆のことであるのはよく分かっていたので、高林弁護士は何も言わなかった。
自らの感情を吐露した青年は今は黙したまま項垂れている。
彼を一人にしておこうと決め廊下に出た高林は、そこで当の子供に出会った。

藤堂 希望。
まだ8歳の、女の子。


「希望さん」
「・・高林先生。おせわになります」
子供は高林を認めるとその小さな頭を律儀に下げた。
「希望さん、赤谷さんのことなのですが・・。」
「吾郎・・?」
希望は高林を見上げる。
その視線も姿も、彼の目には非常に落ち着いて見えた。
聞いたところ祖父を亡くしてからもずっと、この子供は泣いたり悲しいそぶりを見せてはいないのだという。
変わった子供だと詰る者もいたが、高林弁護士はその様にむしろ痛ましさすら感じていた。
子供はちらりと視線を走らせる。
その視線は外へ向けられ、そしてすぐに逸らされた。
高林は苦笑を浮かべる。
「大丈夫です。彼は此処にはいませんよ。」
高林弁護士の嘘に、子供は安堵と何か他のものが入り混じったような複雑な表情を浮かべた。
「そう・・ですか」
「・・本当に彼に連絡しなくてよいのですか?」
希望はこくりと頷いた。
そうして迷いもないような、まっすぐなまなざしで高林を見上げる。
「あいつは藤堂家には関係のない人間です。だからわたしの身の振りが決まるまで、絶対に連絡はしないで下さい」
「しかし・・」
「あいつは馬鹿です。大馬鹿者。初めて会ったときからそうでした。でも・・」
子供は相変わらず仏頂面だったが、その瞳だけがわずかに細められた。
ほんのかすかに。優しげに。

「じい様が言っていました。馬鹿でも誇り高く生きようとするものは素晴らしいのだと。
あいつはまっすぐに生きようと頑張っている。だからわたしは吾郎にだけは迷惑をかけたくないんです」




しばらくして吾郎の居る部屋に戻った高林は、部屋の中で立ち尽くしている青年を認めて瞳を見開いた。

「赤谷さん?どうかなさいましたか?」
声をかけると青年はぼそりとつぶやいた。
「・・先生の言ったとおりや」
「え?」
「・・なんやあのガキ・・もうホンマにもう・・しゃあないなあ・・」
先ほどの希望との会話が聞こえてしまったのだろうか。
青年は大きく息を吐き、そうして首を振った。
ちらりと見えたその顔にはちいさく笑みが浮かんでいる。
それは先ほどまでの憂いを含んだものとは違うものに思えた。
「赤谷さん?」
「先生。俺、なんか吹っ切れましたわ」
「・・?」」
怪訝そうな高林の前で青年はおもむろに腕を伸ばし、自分の頭に拳骨をひとつ叩きつけた。
いかにも痛そうな音が部屋に響く。
そうして驚く高林にむかって、晴れやかな笑顔を浮かべて見せた。
「おかげで思い出しました。俺はどうしようもないアホやけど、あいつにはじめて会ったときから『そう』思っとったこと。
うん・・思てたんです。ああ、言うときますけどこれは同情でも哀れみでもない・・単なる俺の我侭で・・。
ああ、なんやもう、うまく言えへんのですけど」
「・・?」
「先生。俺、希望を引き取ります」
青年はきっぱりと言った。
そうして深く頭を下げる。


「いや。ちゃうな。希望を俺に・・引き取らせて下さい」









ラブ・パレード20





「・・先生?どうかされましたか?」

心配気な声をかけられ、高林は慌てて目の前の少女に視線を戻した。
「ああ、すみません」
高林弁護士は頭をかいた。そうして苦笑を浮かべる。
「昔のことを思い出していました」
「昔・・?」
「8年前の藤堂先生の葬儀の日のことです」
ああ、と少女は頷いた。
「あの時から、本当に先生には世話になりっぱなしで・・。」
「気にしないで下さい。これは仕事ですから。それに8年前にも言ったでしょう?わたしはあなたのおじいさんには恩があるんです」
「・・はい」
「はは。それにしても希望さんは大きくなりましたね。今、おいくつでしたか」
「1月で16になりました」
高林は目を細めた。
あの時8歳だった子供は本当に、本当に大きくなった。
「希望さん」
「はい」
「改めてお聞きしても宜しいですか。あなたが赤谷さんの家を出なければならない理由を・・」

一瞬だけ少女は首をかしげ、かすかに笑みを浮かべた。
泣きそうにもみえるほど切ないそれは、高林でさえ思わずその問いを撤回したくなるほどのものだった。
しかし少女はその瞳を高林に向ける。
その中に宿る真摯なひかりは痛いほど凄烈に感じられた。
そう。この子は昔からいつだって本気なのだ。

「先生」
そうして少女は言葉を紡ぎだした。
自分の心情を。
・・ぽつり、ぽつりと。

「先生。私は・・」









「あれ、先生。先程のお二人帰られたんですか?」
「ええ」
高林弁護士はコーヒーを受け取りながらにこりと笑った。
「なんだか変わったお二人でしたね。親子にも兄妹にもみえませんでしたが、空気は何だか似ているような・・」
「そうですよね」
「え?」
高林弁護士はコーヒーを片手に窓から帰っていく二人を見下ろした。
背の高い青年と小柄な少女はなにやら話しながら歩いていく。





「先生、私は・・」
少女は言った。


「先生、俺はね」
青年は言った。





「まったくねえ・・」
高林弁護士は苦笑を浮かべた。
この子供たちは全く似ていないようでいて、その根本はとてもよく似ている。
「どうしましょうねえ・・」
青年と少女は並んで歩いていく。
肩を、並べて。


手をつなぐこともせず、だからといって離れようともしないその様はふたりの関係そのものに思えた。






「ああ、そうか。今日はバレンタインなんやなあ〜」

街は華やいでいた。
高林弁護士の事務所を後にし、二人で街を歩いていると吾郎が興味深そうにあたりを見渡してこう言った。
ちょうど日曜ということもあってか、綺麗に着飾ったカップルが多い。
「へへ」
「・・なんだ。気持ちが悪い」
「いんや、もしかしたらなあ。俺らもカップルに見えてんかも知れへんで〜?」
「・・・」
「なんてな!そんなわけないっちゅうねんっ。せいぜい見えても兄妹やわなあ。
いや、それよりも親子とか思われてたらどないしょう!そんなん嫌や〜。俺何歳に見えてんねんって話やで!」
青年は可笑しそうにけらけらと笑っている。
そのほんの少し後ろを歩きながら、希望はショーウィンドウに映っている自分たちを見ていた。
兄妹。
親子。
「・・・」
そんなに着飾っても、どんなに頑張っても、自分では釣り合わない。
「そんなこと、わかっている・・」
スカートをはいたって、背伸びをしたって、私たちの距離は変わらない。
「ん?なんか言うたか?」
「・・なんでもない」


もしも、と希望は思う。

もしも自分があと10歳早く生まれていて。
背がもう少し高くて、大人っぽくて。
女らしかったなら。
私たちの結末は・・変わっていたのだろうか。





「・・吾郎」

希望はひたりと足を止めた。
「ん?どないした」
振り向いてみると、少女はかすかに硬い表情で青年を見上げていた。
「実は・・お前にバレンタインのプレゼントがあるんだ」
「お!ほんまに?」
吾郎は心底嬉しそうににこにこと笑った。
「いやあ〜義理とはいえ嬉しいわ」
「・・ああ・・うん。・・それは・・よかった」
希望はかすかに目を細めて頷いた。
そうして吾郎のうしろの道を指差す。
「・・ここを曲がったところにテッラというレストランがあるんだ。
そこに行って欲しい。予約は取ってあるから・・」
「・・?そこ、はじめから行く予定やったとこやろ?」
うん。少女は頷く。
「でも、私は行かない。お前一人で行って欲しいんだ。」
「・・なにゆうてんのお前。」
「プレゼントだと言ったろう?」
少女は青年を見上げて、そうしてどこか優しげな笑みを浮かべて見せた。
青年はかすかに目を見開いたが、それには気づかず少女は笑う。

「あとは、行ってのお楽しみだ。」





狐に化かされたような表情で歩いていく吾郎の背中が見えなくなると同時に、希望はきびすを返した。
帰ろうと思った。
今はまだあの家は自分の「帰る家」だから・・あの家に帰ろう。
そうだ。きっと、きなこさんが首を長くして待っている。
久しぶりにシーチキンを買って帰ってあげよう。
きっと喜んでくれるだろう。
「・・・」
だから、帰ろう。
これで全ての「償い」になるだなんて思ってはいないけれど。
希望は歩いた。
縋りつくように温かなカイロを握り締める。

・・振り返ることは、しなかった。





「先生、私は・・」

希望は先ほど、高林弁護士に答えた言葉を思い出していた。
そう。あれは嘘ではない。
嘘なんかでは決してない。

だから、私は。





「先生、私は・・」

先刻。希望は高林弁護士を目を見上げてこう言った。
「吾郎には『幸せ』になって欲しいんです」
「幸せ?」
「・・私の存在が、あいつの『幸せ』の邪魔になることはわかっていたんです。どう考えても、私達の関係はおかしい。
血のつながりもないあいつが、私を引き取ることなんてなかった。施設に入れることだってできた。なのに、あいつは馬鹿みたいにお人よしだから」
少女は小さく息を吐く。そうしてぽつりとつぶやいた。
「先生は知っておられますか。吾郎の、母親のこと」
「・・希望さん。知っておられたのですか・・」
「はい。吾郎に聞きました。教えてくれたのは、ほんの半年前のことですけど」
高林弁護士は目の前の少女をみつめた。
そうか、と思った。
青年はこの少女に打ち明けたのだ。
彼が一番・・この少女に知られたくなかった「過去」を。
その行動が示す「意味」を理解して、高林はかすかに息を吐いた。
おそらくこの少女はそれが示す「意味」などわかってはいないのだろう。
だからこそ、少女はこう言うのだ。
「私は吾郎が一番欲しいものもわかっているつもりです。吾郎はずっと家族を望んでいる・・」
「・・・」
「けれど・・私では吾郎の家族にはなれません。8年前、私は子供で幼くて・・とてもひとりで生きていけなかった。
だから吾郎は私を引き取ってくれた。私は感謝しているんです。本当に・・本当に。でも」
「・・・」
「私では・・「本物」の家族にはなれない」
「・・希望さん・・」
「私は吾郎にとって保護するべき「子供」なんです。いつか居なくなる、子供。ひとときの、かりそめの家族。
吾郎はそう思っているから、私を引き取ってくれた。そして・・あいつは私にそれ以上のことを望んでいません」
「・・・」
「あいつは本当の家族を作るべきなんです。本当の、揺ぎ無いもの。
あいつが何よりも欲しがっているもの。だから、私は・・」
少女は精一杯笑って見せた。


「私はこれ以上吾郎の側には居れない・・。居ては、いけないんです」





「へ?」

吾郎は呆然と目の前の女性をみつめていた。
洒落たレストランの前にはひとりの女性が立っていた。
一分の隙もない完璧な立ち姿には覚えがある。
艶やかな黒髪が風に流れてさらさらと揺れている様子も・・すべて。

「涼子・・」

知らず零れ出た声に黒髪の女性はその顔を上げた。
その切れ長の瞳が吾郎を認め、ゆるやかに細められる。

「久しぶりね。吾郎」

1年前まで彼の恋人であった美女は、じつに綺麗に微笑んでみせた。












ふたりの距離








「ラブ・パレード21」へつづく





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