「ラブ・パレード2」

<悩める男>



それは雪に似ていた。
夜中にしんしんと、降り積もっていく雪に似ていた。


誰も知らない間にひっそりと。
自分でさえ知らない間にゆっくりと。


知らない間にそれは降り積もって、そして溢れて。
気がついた時には手遅れだった。


希望は立ち止まり、大きく息を吐いた。
ひくりひくりと喉が鳴る。こんなことは初めてだった。
濡れた頬はひどく冷たい。
しかし制服の袖で拭っても拭っても、溢れるものは止まらなかった。

絞り出すように吐いた息が細く流れて、冷たい空気の中にほどけていく。


わかっている。
よく、わかっている。



……馬鹿は、自分だ。




ラブ・パレード2





間宮桐野には「馬鹿」の代名詞とも言える幼馴染が居る。


「なんや、女の子ってのは難しいなあ……」

ふいにつぶやいた幼馴染を桐野は横目で見やった。
隣の男は手にしたジョッキをそのままに、その視線をぼんやりと空に浮かせている。
のんきな彼にしては実に珍しいことに、困惑したような表情をその顔に貼り付けていた。
桐野は小さく肩をすくめた。
「お前が女性について悩んでいるなんて珍しいな。
1年前木原さんにこっぴどく振られて以来、もう恋愛はしばらくこりごりやー、とか言っていたじゃないか。」
「お前なあ、わざわざ人の古傷をほじくり返すなや。」
幼馴染は生まれつき色素の薄い髪をがしがしとかく。
そうして大きく息を吐き、空になったジョッキをテーブルの上に置いた。
するとすっかり顔なじみである店員がすぐさまビールを持ってくる。
「あ。おおきに」
「吾郎、あんまり一気に飲みすぎるんじゃないぞー。希望ちゃんが心配するんだろ?」
「……」
店員の言葉に幼馴染はさらに大きく息を吐いた。
心なしかその両肩がしょんぼりと下がっている。
「……希望」
間宮桐野は傍らにあったビールを手酌しながら納得のいったように頷いた。
「ああ。やっぱり悩んでいるのは希望ちゃんのことなんだな」


『希望』とは、隣に居る男と一緒に住んでいる少女の名前だった。
とはいえその少女とこの男は、兄妹でも親子でもない。
ましてや恋人同士でもなかった。
血の繋がりなど一切見当たらない他人同士。
「大馬鹿者」の幼馴染は、21歳の時に血縁ではない少女の「後見人」となっていた。


「こらやっぱりってなんや。やっぱりって」
「吾郎が悩むなんて希望ちゃんのことぐらいしかないだろう?他のことにはいい加減極まりないじゃないか」
あっさり断言する幼馴染に、吾郎は思い切り顔を顰めて見せた。
「お前なあ。俺をなんやと思うてんねん」
「まあまあ。ほら飲め。今日はお前の奢りなんだろ?」
「誰が奢るていうたんや……」
ぶつぶつと言いながらも、ビールを促すと吾郎は素直に自分のジョッキを差し出した。
突っ込みの勢いがいつもの3割にも満たない。
あれ。これは本当に落ち込んでるな。
そう思いながら桐野は幼馴染の顔をちらりとみやった。
「で、何があったんだ?」
そうしてさりげなく話の矛を向けてやった。
このような時の対処法も彼は心得ている。
なんといっても、この男とは本当に長い付き合いになるのだ。
吾郎は手にしたコップに琥珀色の液体が注がれるのを見ながら、ぼそぼそとつぶやいた。
「……おおきに」
「まあ、聞くことぐらいしかできないけどね」
その様子を見ながら、桐野は実に爽やかに微笑んで見せた。






間宮桐野は赤谷吾郎の幼馴染の男だった。


吾郎にとっての良き理解者でありそうして親友でもある。
とはいえ頻繁に会うわけではない。
職場は違うし、家もそう近いわけではなかった。
月に一度会えば良い方だろう。
しかしそれでもこんな時には面倒臭がらずに付き合ってくれる。
もちろんそれはお互い様だったが、幼い頃から面倒ごとを引き起こすのは大抵吾郎の方だった。
故に、結果的には桐野は良い相談役になってしまっている。



「吾郎。希望ちゃんを引き取るって本当なのか?」


あの時もそうだった。
希望の最後の肉親であり吾郎の武術の師範である藤堂玄隆が亡くなった時のことだ。
引き取る「義務」のない無い子供。
その『後見人』となることに決めた吾郎に向かって桐野はそう尋ねた。
「……なんやお前も無理だとかなんとかいうんやないやろうな……」
これからさんざん言われるであろう言葉を口にすると、それに反して桐野はにこやかに笑ってみせた。
「まさか。お前が決めたことなんだろう?」
そうして人当たりの良い笑みを浮かべたまま吾郎に缶コーヒーを差し出す。
古びたアパートの前に二人は居た。
その四畳半の部屋の煎餅布団では小さな子供がひとり、眠っているはずだった。
時刻は夜中。声を潜めて桐野は笑う。
「吾郎は意地っ張りだからなあ。どうせ一度決めたことは誰がなんと言ったって覆さないんだろ?
俺はそういう無駄な努力はしないことにしているんだ」
「……そうか」
「まあ頑張れ」
それは他人からみればひどく突き放した冷たい言葉に聞こえたかもしれない。
けれどその実、そうではないことを吾郎は良く理解していた。
そうしてそれは彼にとってひどく心地よい距離感で、それはそのまま二人の関係でもあった。

……それはもう、20年以上も前からの。


「実はな、一昨日が希望の誕生日やったんや」
小麦色の水面に目を落としたままそう言うと、桐野はあっさりと頷いた。
「ああ。そうらしいね」
吾郎はぎょっとして目を見開く。
「な、なんや、お前知っとったんか?」
桐野は背広に包まれた肩を軽く竦めた。
「鈴がプレゼントを用意してたからね。確か16歳になったんだろう?」
「よく知ってるなあ、お前ら・・」
呆れたようにつぶやくと、今度は反対に桐野が驚いたようだった。
「何言ってんだ吾郎。女の子にとって誕生日ほど大事な行事はないんだぞ」
「へ。え。そ、そうなんか?」
ぽかんとつぶやくと、目の前の色男は盛大にため息をつく。
「お前はだからもてないんだ。……いやちょっと待て。お前今まで希望ちゃんの誕生日を祝ってやってないのか?」
吾郎は言葉に詰まってしまった。
視線を彷徨わせ、しぶしぶ口を開く。
「い、祝ってないこともない。だいたい2、3日経ってから思い出して、回転寿司か焼肉に行くねん」
「回転寿司・・焼肉・・」
「なんやその呆れた顔はっっ!いいやんおいしいねん!の、希望も好きなんやぞ!」
吾郎は焼肉の良さを語ろうとしていたが、すぐにはたと気づいて桐野に目を向けた。
「そういえばプレゼントもろくなもん買うたこと無いんやけど・・。
はっっ!もしかしてそのことがショックやったんやろか!?」
どんとテーブルを叩いた青年のジョッキにビールを注ぎながら、桐野は冷静に頷いた。
「……つまり希望ちゃんと喧嘩したわけだな?」
「そう!そやねん!というか、向こうが勝手に怒ってるというかな……」
「勝手に?それは珍しいな……」
肯定しながら吾郎は自分の茶色い頭をがりがりと掻く。
「ほんまなんでやろうなあ。誕生日を忘れるのもいつものことやからそれにわざわざ怒るとは思えんし。
こっちはいつも通り接しただけやのになんで泣いたりなんか……」
何気なくつぶやいたその言葉に、桐野はいきなりビールを噴き出した。
「うわ、汚なっっ!」
「ち、ちょっと待て!希望ちゃんが泣いたって・・!?」
「うわーお前ぐっちょぐちょやないけ」
「馬鹿、そんな場合か!あのなあ、あんなに我慢強い子が泣くだなんてとんでもないことだぞ?」
「へ?」




間宮桐野は盛大にため息をついた。
目の前の幼馴染は本当に何も分かっていないらしい。
ふいに当の少女の姿が脳裏に浮かんだ。

ちんまりとした愛らしい容姿の割に無愛想極まりない少女。

自分の祖父が亡くなった時にすら泣き言ひとつ洩らさなかった子供。

自分の気持ちをあまり表に表さない少女は笑うこともあまりないかわりに、
泣くこともほとんど……いや、桐野が知る限り一度としてなかったような気がする。



「あのなあ、吾郎。それは……」

だから桐野は、彼が言える「現在の事実」だけを吾郎に言ってやることにした。
きょとんとした顔の幼馴染に指を突きつける。
そうしてきっぱりと断言してやった。


「絶対に、お前が悪い!」





悩める男








「ラブ・パレード3」へつづく




















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