「ラブ・パレード19」<彼の罪> |
玄関の扉を開けた途端、瞳に飛び込んできた光景に少年は立ちすくんだ。 「かあちゃん・・」 その唇からは呆然としたつぶやきが洩れる。 玄関のすぐ前にある小さな台所。 その洗い場の前に臥している人影とはたりと目が合う。 思わず少年は一歩退いた。 向かいの扉に背中がぶつかり耳障りな音を立てたが、それでも目は逸らせなかった。 「嘘や・・」 ・・見開かれたままの空虚な瞳は、もはやこの世界の何も映してはいなかった。
ラブ・パレード19
「先生、俺は・・」 8年前のあの日。 後見人のことを告げたとき、赤谷吾郎はこう言った。 「俺は希望を単なるガキやない。人間として尊敬できる、大事な友達やって思うてます」 「・・はい」 「友達を助けるのに理由なんかいりません。遺産なんかどうでもええんです。 コウケンニンってのになれるんやったらもちろんなりたい」 青年は唇を引き結んだ。 「・・俺には家族が居てません。でも、希望や、師匠に会って、なんや・・家族みたいにしてもろて・・ほんまに嬉しかったんです」 「・・・」 「せやからほんまに・・ほんまに・・大切や、思うとるんです」 「・・・」 「俺はあいつと一緒に居たいです。それがほんまの気持ちです。・・せやけど・・俺はあいつの家族になれるような人間やない・・」 青年はそうして苦い笑みを浮かべた。 それが21歳の青年が持つにしてはひどく不釣合いな気がしたことを、高林は今でも覚えている。 青年の握り締めた拳が、白く震えているのが見えた。 「・・俺は・・」 青年の表情も、声も硬かった。 そうしてひどく薄い色の瞳を高林に向けた。 「俺は自分の母親を・・殺しとるんです・・」 しんとした静寂が部屋を包む。 高林弁護士は自らの罪を告白した青年を黙ってみつめていた。 実のところ、藤堂玄隆より遺言の依頼を受けたときから独断で「赤谷吾郎」という人物については調べ上げていた。 おそらくは吾郎自身も知らないことでさえ。 だから青年の言葉に語弊があることも理解していた。 高林は黙ったまま、静かに脳内にある記憶のページを捲る。 そう。あのとき自分はわざわざ京都まで行ったのだ。 そうして知り合いの探偵に協力を仰ぎ調べ上げた。 「吾郎」という青年の過去を。 ・・「吾郎」は京都のある町で、西園寺彰浩・真理子夫妻のもとに生まれている。 一家は父親である彰浩の実家で祖父母と両親とともに暮らしていた。 しかし吾郎が5歳の頃、父親を病気で亡くしている。 西園寺家は地元では有名な地主である。 そうして父親である彰浩は、この西園寺家の跡取りであった。 彰浩は21の頃に大学の側の喫茶店で働いていた赤谷真理子と出会った。 それから半年後。周囲の反対を押し切るような形で結婚している。 彰浩は温和な性格だった。彼を知る者は口を揃えて言う。 その性格故か、もともと婚姻に反対だった両親と嫁の仲を上手くとりもっていたらしい。 しかし彼が亡くなってからというもの、西園寺家による真理子への風あたりはかなり強いものとなった。 おそらくそのためだろう。 真理子は彰浩の四十九日が終わり次第、吾郎とともに西園寺から姓を抜き、旧姓に戻している。 そうして役所へ出かけた後、その足で真理子は東京に向かった。 もちろん、吾郎を連れて。 西園寺家は拒んだようだが、一人息子を手放すことはしなかった。 真理子はほぼ無一文の状態で、しかし息子の手だけは離さずに新幹線に飛び乗ったのだ。 赤谷真理子には両親はいなかった。彼女は孤児院で育ったのである。 西園寺家が彼女を受け入れなかった原因は、それがかなりのところを占めていた。 東京へ出てきたのも別段伝手があったわけではなかったらしい。 おそらく西園寺家の支配のおよばない場所で暮らしたかったためなのだろう。 見知らぬ土地での母子ふたりの生活は、当初はかなり苦しいものであったらしい。 とはいえ二人は、その根からの性格からかすぐにその地になじみ、貧しいながらも平和な生活を営んでいる。 しかし吾郎が高校1年の初冬にそれは起こった。 真理子が疲労で倒れたのである。 当時の赤谷家は貧しかった。 真理子は自分の健康にも自信があったため、病院には行かずに家で休むことにしたらしい。 2、3日寝ていれば良くなる。彼女は職場の同僚にそう語っている。 ところが3日後、真理子は自宅のアパートで他界した。 死因は病死。 風邪をこじらせ肺炎が併発。 それが原因で彼女は亡くなったのだ。 当時のことを、赤谷親子の住んでいたアパートの管理人はよく覚えていた。 可哀想だったと彼女は言う。 ・・真理子さんはもちろんだけど・・吾郎もね。 ・・そうだね、うん。 ・・明るく振舞っているけど、吾郎は今でも悔やんでいるんじゃないのかね。 高林弁護士に彼女はそう語った。 ・・自分のせいだって。自分のせいで母親が死んじまったんだって。 高林は目前の青年を見やった。 青年の顔は蒼白だった。まだ若い頬の線も今は強張ってしまっている。 「赤谷さん。あなたのお母さんは病気で亡くなられたのでしょう」 高林の言葉に、しかし青年は首を振った。 「先生。お袋は・・俺が殺したんも同然なんです」 「・・赤谷さん」 「母ちゃん・・お袋が具合が悪いのは分かっとったんです。せやのに俺は放っておいた。 大丈夫やって言う言葉を簡単に信じてしもうてたんです。 お袋が我慢強いのはわかっとったのに。あん時引きずってでも病院に連れとっとけばなんとかなったかも知れんのに」 馬鹿、と母親は笑った。 母ちゃんは大丈夫や。そんなん気にせんでしっかり勉強してくるんやで。 「母ちゃんは俺を育てるためにホンマに必死に働いてくれとったんです。 せやのに・・そのせいで身体を壊した親を、俺は助けられんかった。 ・・これからやったんです。高校を出て、働いて、少しでも母ちゃんに楽をさせてやりたかった。せやのに俺は・・」 「・・・。」 「先生。俺は母親すら救えんかった男です。それを思うと・・」 「・・・。」 青年は握り締めた拳にいっそう力をこめた。 その若い顔に苦渋の色が広がっていく。 後悔と不安と・・自分への憤りと。 「・・俺は・・希望だってそうさせてまうかもしれん・・。そう考えると怖くてしゃあないんです・・」
彼の罪
「ラブ・パレード20」へつづく
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