「ラブ・パレード18」<遺言> |
高林弁護士は藤堂家の一室を借り、そこに吾郎を呼び寄せた。 今の季節、庭の紫陽花は咲いてはいない。 吾郎はぼうっとそれを眺めていたが、高林弁護士に進められるがままにテーブルの前に腰を下ろした。 そう。あれはほんの数ヶ月前。今年の6月のことだった。 藤堂玄隆・・師匠と縁側に座って一緒に大福もちを食べた。 そうしていろいろな話をした。 その時の師匠の言葉を吾郎は今でも鮮明に覚えている。 「・・・」 がらんとした部屋には、すでに人が生活をしている気配が消えうせていた。 まだ・・2日しか経っていないというのに。 「大丈夫ですか?」 向かいに座った高林弁護士の言葉に、吾郎はかろうじて頷いた。 「・・あ、ああ・・平気です。すんまへん、取り乱したりして」 「いえ、無理も無いですよ」 高林弁護士はやわらかに笑った。 「本当に大丈夫ですか?」 「はい・・。あの、わざわざ連絡してくださってありがとうございました」 吾郎は頭を下げた。 「せやないと俺・・きっと師匠が亡くなったこと知らんままやった・・」 「・・そうですか・・。」 「・・仕事が忙しくて、ここのところ道場に来れへんかったんです。・・電話ぐらいかけてみればよかった」 「・・・。」 「希望も俺を頼ろうとはせえへんかったんですね。勿論俺に何が出来るかゆうたら怪しいもんですけど・・」 すると弁護士は苦笑を浮かべた。 「藤堂希望さんは貴方のところにだけは連絡をしないでほしいと仰ってました」 「・・・」 「貴方は祖父の弟子だった。けれど藤堂家にとって他人です。貴方に迷惑をかけるわけにはいかないと言って・・」 「・・・」 青年は黙りこんだ。 俯き、じっと自分の膝の上に置いた拳を睨んでいる。 「けれどですね、私は貴方に連絡を取らざるを得なかった。だからお呼びしたのです」 高林弁護士はテーブルの上にいくつかの書類を並べた。 「赤谷吾郎さん。藤堂玄隆氏は貴方を藤堂希望さんの後見人に指定しているんですよ」 「・・コウケンニン?」 青年は顔をあげた。怪訝そうな表情をしている。 「後見人とは、簡単に言えば親権者の居ない未成年者を保護する人のことです」 「・・・」 「未成年者の場合には、最後に親権を持つ人物が・・つまりこの場合は藤堂玄隆氏ですが、遺言で指定することができるんです」 「遺言・・。」 「はい。藤堂玄隆氏は遺言で、貴方を指定しています」 「・・俺?」 青年のぽかんとした表情を見て、高林弁護士は小さく笑みを浮かべた。 「やはり聞いていませんでしたか。普通なら生前に両方でそのことを話し合っておられるはずなのですが・・。 なにしろ今回の亡くなり方は唐突でしたからね」 「・・・」 「率直に申しましょう。貴方と藤堂家には血縁関係はない。そして藤堂玄陸さんには遠いとはいえ親類の方がいらっしゃいます。 本来ならこの親類の方々が希望さんの身元を預かるのが筋でしょう。もちろん引き取るか施設に入れるかは親類の方々の一存になりますが」 「・・・。」 「そして、ここからが大事な話なのですが・・」 高林弁護士は片手で眼鏡の蔓を押さえた。そうしてテーブルの上で両手を組む。 「後見人には遺産の相続権はありません」 高林弁護士は淡々と続けた。 「遺産は手に入らない。貴方には希望さんを引き取るメリットがまったくありません」 「・・・」 「しかもですね・・これは貴方には関係のないことになりますが・・。 藤堂玄陸氏にはどのみち、遺産というものがない状態なのです」 そこで初めて高林弁護士の柔和な顔にほんのわずかではあったが、苦い表情があらわれた。 「藤堂玄陸氏はご友人の借金の保証人になっておられましてね。 この道場も、土地も、その借金の返済に利用されることになっているのです。つまりご親族にも希望さんを引き取るメリットが無いに等しい」 「・・・」 青年は答えなかった。 目線を落とし、膝に置かれた自分の拳をじっと見ている。 「後見人の指定は断ることができます。断ったとしても、希望さんには縁者がいないわけではない。 ・・貴方は若い。断ったとしても、誰も貴方をせめたりはしませんよ」 「・・俺」 「私の意見を述べさせていただくとすれば、私も断るのが得策だと思います。もし引き受けるにしても彼女には施設に入ってもらった方が良いでしょう。 厳密にいうと後見人には養育義務はありません。住む場所の指定は必要ですが・・」 「・・俺は・・」 「赤谷さん。子供を育てるというのは簡単なことではない。それに貴方もいずれは結婚をするでしょう。 そのときに彼女の存在が重荷にならないとも限りません。そうなれば、哀れなのは貴方だけではない。 希望さんもです。一時の感情で・・哀れみや同情で簡単に決めてよいことではありません」 「・・先生。俺・・」 高林弁護士は目線をあげて青年をみやった。 そうして、かすかに目を見開く。 青年はその年齢に相応しくないような表情をしていた。 ひどくほろ苦いものを含んだような・・老成した、それ。 「俺、は・・」
ラブ・パレード18
糸井光一はその時、裏庭でガムを噛んでいた。 煙草をやめて早くも10ヶ月目になる。 それでも時折口寂しくなることがあり、我慢できなくなったときにはこのようにガムを噛むことにしていた。 空は爽快なほど晴れ渡っている。 実のところ糸井は先刻まで、土曜日だというのに補習に出席していた。 そんな身としては愚痴のひとつも零したい気分だったが、空を見ていると徐々に気分が落ち着いてくるのを感じた。 昔の自分では考えられなかったことだ。 そんなことを考えながら木にもたれていると、昇降口から一人の女生徒が飛び出してきた。 すらりと高い身長にポニーテール。 「・・げ」 「居た、いとやん・・っっ!」 女生徒は糸井の姿を認めるともの凄い勢いで駆けてきた。 「くそ、いとやんじゃねえって言ってるだろうが・・」 ぶちぶちとぼやいていると、いきなりその少女・・二ノ宮夏美が飛びついてきたので糸井は驚いた。 「う、うわなんだよ・・っっ!は、はなれろ馬鹿・・っっ!」 「ううう、だって、だってさあ・・っっ」 なんとか身体から引き離してみると、驚くことに夏美は泣いていた。 途端にぎくりと心臓が跳ねる。 「う、な、なんだ、どうしたんだよ!?」 普段の夏美は馬鹿みたいに明るい。 そんな少女が泣く姿など、これまで考えてみたこともなかったのだ。 「おい・・」 「ううう・・」 夏美はしゃっくりあげた。 「おい、こら・・」 糸井は困り果ててしまった。 「うううう・・えぐっ・・。」 「・・う、その、な、泣くなよ・・」 「うええええええええ・・っっ」 「・・・。」 何故かいっそう泣き出してしまった少女の前で、糸井は途方に暮れて立ち尽くした。 こんなときの対処法なんて知らない。 殴ることは得意だったが、慰める方法なんて知らなかった。 だから糸井はおろおろと涙を零す少女を見ていたが、やがてなんとか言葉を絞り出した。 「・・な、なあ。泣くなって・・。おい・・。な、なんかあったんなら言ってみろよ・・」 「ううう・・」 糸井は困り果てて頭をかいた。 これじゃあ俺が女を泣かせたみたいじゃないか。 「・・う」 やがて下級生は鼻をぐずぐず鳴らしながら顔をあげた。。 「・・わ、わけは言えないけど・・悲しいんだよ・・」 「なんだ、それ」 夏美は鼻水をすすりあげた。 「・・もう、もう、藤堂は馬鹿なんだもん・・」 「姐さん?」 糸井の言葉に夏美は頷いた。 「ねえいとやん。人を好きになるってのは難しいよね。両想いってホントに凄いことなんだよね」 「へ?」 「自分がいくら相手のことを好きでも相手が自分を同じだけ好きになってくれるなんて、考えてみればもの凄いことなんだよ。 滅多に無いの。片想いなんて辛いだけなのに・・。相手のことなんて忘れてしまって自分の幸せだけ考えてればいいのに。その方が、よほど自分は楽なのに」 「・・・」 夏美は手のひらで顔を拭いながら大きくため息をついた。 「それなのになんであそこまで出来るんだろ・・・」 「・・なんかあったのか?」 糸井は自分よりほんの少しだけ背の高い少女を見上げた。 「姐さん」に何かがあったのは明らかで、それがこの少女をひどく悲しませているのだということだけは理解できた。 「・・償いをするって」 「は?」 「し、幸せになって欲しいんだって」 糸井は再び瞳を潤ませた夏美を見て怯んでしまった。 くそ、とひとりごちる。 なんだかよく分からないけれど、こいつの涙はどうにも苦手だ。 「・・あ」 ふいに夏美が声をあげた。 糸井の背後に目線を向けたまま絶句している。 「ん?」 不信に思って振り返った糸井が見たものは、昇降口から出てくる背の高い男の姿だった。 男はこちらに気づくと、いきなり大声をあげた。 「こらその金髪小僧!なに女の子をいじめてんねん!」 そうしてなんの気負いも無い風にぴしゃりと指を突きつけてきた。 「女の子は泣かすモンやないで!」 その男は妙に目立つ男だった。 格好が奇抜というわけではない。 地味な色のスーツにこれまた地味な色のネクタイ。 だというのに、どことなく目立った。 背が高いし声がデカイ・・というだけではない。 教員とは違う雰囲気をもっているせいかも知れなかったし、どこか人の目を引き付けるような人懐っこい笑顔のせいかもしれなかった。 「あの、ゴローさん、ゴローさん」 背後で夏美が声をあげた。そうして片手を大きく振る。 「お久しぶりです・・って、あたしのこと覚えてます?」 「へ?」 男は近寄ってきながらまじまじと夏美をみつめた。 「・・ええと、ああ!思い出したわ、希望のお見舞いに来てくれた・・夏美ちゃんや!」 「そうですそうです。さっすがゴローさん!」 夏美はいつものような明るい笑顔を見せた。 今の今まで泣いていたというのに嘘のようだ。 糸井は盛大に息をついた。 一体なんだってんだ。 しかしそう思うと同時に、少女が泣き止んだことに驚くほど安堵していた。 男はそんな糸井と夏美を交互に見やって、そうしてにやりと笑った。 「へえ、なかなか気合の入った金髪やないか。夏美ちゃんの彼氏・・には見えへんなあ。弟?」 「・・なっ・・!!」 糸井は硬直してしまった。 糸井は背が低い。加えて童顔であるため実年齢より幼く見られることが多かった。 喧嘩っ早いことで有名だったりする糸井だが、原因がそれに関連する事柄であるのも少なくはない。 糸井は舌を鳴らした。 そうして男を睨み上げる。 「なんだとおっさん・・っっ!!」 「げっ!こら、おっさんって何やおっさんって。俺はまだ20代やぞ」 男は何故かふんぞり返った。 「それにな、男のミリョクは30からにじみ出てくるもんやねん。悔しいか?あはは」 「うるせえ!おっさんは大人しくひっこんでりゃいいんだよ!!」 噛み付くように叫ぶ糸井を見て男はきょとんとした表情を浮かべた。 「うわあ。なんやお前、ぴりぴりしてんなあ。あ、ガラスの十代なん? 盗んだバイクで走り出しちゃうかんじ?触れるものみんな傷つけちゃう尖ったナイフってかんじ?」 「この!!」 「まあまあ落ち着いてよ。いとやん」 「うるせえ!俺はいとやんじゃねえって言ってるだろ!!」 「ごめんなさいゴローちゃん。いとやんね、カルシウムが足りないんです。あとで牛乳買って飲ませておくんで許してくださいね。」 「せやね。カルシウムは大切やね」 「こっ・・馬鹿!お前ら馬鹿か!!」 夏美はそれには構わずにこにこと微笑んでみせた。 「ゴローさん。いとやんはね、あたしと藤堂の友達なんです」 「おお!希望の?」 男は興味深そうに糸井を見下ろした。そうして嬉しそうに笑う。 「いとやん。この人はね、赤谷吾郎さん」 「どうも。希望がいつも世話んなっとるみたいやなあ。ま、これからも仲ようしてやってな」 「・・・」 糸井は答えなかった。 何故なら呆然としていたからだ。 「希望・・希望って姐さんのことだよな。なんでおっさん姐さんのこと知って・・」 「なんでって」 夏美はにっこりと笑った。 「この二人は一緒に住んでるんだもん」 「・・なんでお前たちが一緒に居るんだ?」 藤堂希望は呆れてつぶやいた。 それに真っ先に反応したのは金髪の友人で、彼はぽかんと希望を見やるとついで顔を真っ赤にさせた。 「あ、あ、姐さん・・っっ!」 「あ、希望。ええところに」 糸井に襟首を掴まれた状態の吾郎が、困ったような声をあげた。 「なんやお前の友達なんやろ?なんでかよう分からんのやけど、このままやったら俺殴られれそうやねん。止めて止めて」 「・・・」 希望はむっつりと腕を組んだ。 「・・状況がさっぱりわからんが、今の糸井はむやみに人を殴るような奴じゃない。吾郎、お前が何か無礼なことでも言ったんだろう」 「せやね。うん。俺が悪いこと言った・・ってこらこらこらこらこらっ!!ちゃうちゃう。俺は何も言うてへんがな」 希望は吾郎の言葉に耳を貸そうとしないまま、金髪の上級生を見上げた。 「そうだろう?・・すまないな、糸井」 金髪の上級生は吾郎の襟首から手を離し、いや、その、すんません、ともごもごとつぶやいた。 顔はおろか、耳や首まで真っ赤になっている。 「ごめんね藤堂。あたしがさ、いとやんをからかいすぎちゃったの。ってそれより・・」 夏美は希望をまじまじと見やった。 そうして自分の両手を打ち合わせた。 「うんうんっっ!藤堂、すんごい可愛いっっ!私服のワンピースとか初めて見たけど、良く似合ってるよ・・っっ!!」 しかし希望は困ったような表情を浮かべている。 「無理に褒めなくても怒ったりしないから気にするな・・」 糸井はぼうっと希望の姿を眺めていた。 いつも凛々しい年下の少女は、今日はなんだか別人のようだった。 暖かそうなクリーム色のコートに黒いワンピース。 それを着こなしている少女は、いつもよりいっそう華奢に見えた。 ワンピースの裾はいかにも柔らかそうにひらひらとしていて、ほんの少しの風でその下から伸びている白い膝がむき出しになりそうだった。 「・・・」 糸井は絶句し、さらに赤く顔を染める。 しかし彼の傍らの男はあっさりとこう言った。 「うわ。なんやお前その格好。寒ないん?」 「・・・・」 「あ、そっか。高林先生のトコに挨拶に行くから鈴に借りたんやな?まあそれはええ心がけやわ。うん、偉い偉い」 うんうんと頷く吾郎とぼうっとなっている糸井を、夏美は少しばかり呆れた気持ちで見上げた。 せっかく可愛いんだから少し褒めてあげるだけでも違うのに。 まったく、男のひとときたら。 「ねえ藤堂。」 夏美はそうっと希望に尋ねた。 「なんだ?」 「ええと・・。今から、行くの?」 「ああ。担任に吾郎が呼び出されていてな。ここで待ち合わせをしていたんだ」 「・・大丈夫?」 夏美の言葉に希望は小さく笑った。 「すまない。私は心配をかけているんだな・・。でも、大丈夫だ」 「・・そっか・・。」 でもねえ、と夏美は思った。 自分だったら絶対大丈夫じゃない。 なんでここまで出来るんだろう、と思うと再度涙腺が緩みそうになって夏美は唇をかみ締めた。 本日は2月の14日。 せっかくの、バレンタインだというのに。 「お前本当に寒ないん?」 学校を出て、駅に向かう最中。 希望は隣を歩く青年を見上げた。 「実はすんごい薄着やろ?そんなコートにワンピースだけって寒い寒い。見とるほうが寒いで。ほれ」 吾郎は無造作にポケットから取り出したカイロを希望の手に握らせた。 「・・・」 「まったくしゃあないなあ。俺、まだ腹に2つ、ポケットに1つはいってんから、それをお前に進呈したるわ」 「・・腹に2つ・・ってお前。どこまで寒がりなんだ・・。」 「いや、腹は冷やしたらアカンやろ。腹さえあっためておけばいつでもぽかぽかや。気分的にかもしれへんけど。 まあええねん。ぽかぽかはええぞ。温泉気分で最高や」 「何が温泉気分だ。いい加減なことばかり言いおって」 希望は呆れたようにつぶやきながらも、手渡されたカイロを握り締めた。 冷え切った指先にそれはじんわりと暖かい。 「そういえば帰りになんや、行きたいレストランがあるってゆうとったな」 吾郎の言葉に、少女は目をそらして頷いた。 「どこのレストランなん?」 「・・高林弁護士の事務所の近くにあるイタリアンレストランだ」 「へえ、お前そんなんよく知っとったな」 「・・人から、おいしいと聞いた」 「ふうん」 吾郎は不思議そうな表情を浮かべたが、それ以上は何も聞かなかった。 その開けっ広げな性格から、彼は人の懐にずけずけ入り込むようなタイプに見える。 しかしその実、青年がそのようなことをすることは稀であり、だからこのときもすぐに話題はそれていった。 それに内心で感謝しつつ、希望はそうっと息を吐いた。 実は緊張している自分を自覚して苦笑を洩らす。 大丈夫、と自分に言い聞かせた。 大丈夫。 手渡されたカイロはひたすら暖かい。 希望はそれに縋るように、そっと力をこめた。 「ね、吾郎ならどっちを助ける?」 涼子のふと思いついた質問に、あのときの吾郎は全く迷わなかった。 「そりゃあ」 そうして吾郎はあっさりと答えた。 あまりにもあっさりと、当然のように。 そのときの言葉を涼子は今でも覚えている。 だからこそ次の瞬間。 涼子は吾郎を思い切り殴って、プロポーズを断ってやったのだ。 涼子は大きく息を吐いた。 昨日、同じ質問を希望にしたときあの少女も全く迷わなかった。 当然のようにそう答えて、そうして不思議そうに涼子を見た。 「まったくねえ・・ナントカは犬も喰わないっていうけど」 ぶつぶつとつぶやいて、ファンデーションのケースをぱちりと閉じる。 「さてと、行きますか」 高林は約束の時間に現れた二人を見て破顔した。 「やあ。久しぶりですね希望さん」 「ご無沙汰してます。高林先生」 「こちらこそ」 弁護士はきっちりと頭を下げる少女に笑って見せ、横に居る青年に目を向けた。 「赤谷さんは2ヶ月ぶりですけど」 「はい。へへ、いつもお世話になっとります」 かすかに不思議そうな表情をする少女に、高林はにこやかに笑む。 「私は赤谷さんの料理のファンでね。店に通わせて頂いているんですよ。 この前は妻の誕生日にお世話になりましてね。いや、世辞抜きで美味しいですから・・」 「いやいやいやそんな先生照れるやないですか〜。でももっと言ってもええです!俺、褒められて伸びるタイプ・・って、いでっっ!!」 「馬鹿者。調子に乗るな。・・すみません、先生」 少女に足を踏まれた青年は、いかにも痛そうに顔をしかめている。 そんな二人を見て高林は浮かべた笑みをいっそう深いものにした。 他愛もない話をしながら二人を座らせると、弁護士は徐に両手を組んだ。 「話は大体赤谷さんから伺っていますが・・そうですね、希望さん」 「はい。」 「少し二人だけでお話をしたいのですがよろしいでしょうか?」 「・・はい。」 高林の言葉に吾郎はきょとんとした。 「え?先生、俺は?」 「赤谷さんはまた後でお願いしますよ」 「うわあ。なんや面談みたいやなあ」 ぶちぶちとつぶやきながらも楽しそうな青年の横で、少女は硬い表情をしている。 高林は安心させるように笑って見せた。 この少女は聡い。きっと何を尋ねられるのか理解しているのだろう。 「では希望さん。あちらの部屋へ」 その言葉に少女は素直に頷いた。 「希望さん、率直にお聞きしましょう。貴方が赤谷さんの家を出る原因をお尋ねしたいのですが」 高林弁護士は向かいに座るや否や、そう切り出した。 希望は息を呑んだ。ああ遂にきたな。そう思った。 考えてみれば今まで言わずにすんでいた事のほうが不思議なくらいなのだ。 「・・それは、答えなければなりませんか」 「ええ」 高林弁護士の声は相変わらず柔らかかったが、有無を言わさぬ調子があった。 「赤谷さんは、藤堂玄隆氏の遺言で定められた貴方の後見人です」 「・・はい」 「8年前、私も・・ひいては法律で貴方の後見人には赤谷さんが相応しいと判断しました。 親権者の居ない子供が未成年のうちは後見人に保護・養育する義務が発生します。 もちろん家を出るからといって後見人が彼から変わるようなことはありませんが、その理由がやはり正当なものでないと・・・。」 「・・それはどういうことですか?」 希望はまっすぐに弁護士の目を見返した。 高林弁護士は指先でそっと自分の眼鏡の蔓を押さえる。 「・・後見人が被後見人に虐待や・・それに類するものを働いた場合、国はその子供を守る義務があるのですよ」 「虐待・・」 希望は呆然としてその言葉を繰り返した。 それは考えても見なかった言葉だった。あまりのことに声さえ出ない。 なんとか絞り出した声は、だからかすかすに乾いていた。 「・・そんなこと・・あるわけないでしょう・・」 すると目の前の弁護士はあっさりと頷いた。 「ええ。私も勿論そうだと思っています。貴方と赤谷さんの関係は非常に良好ですし・・。 赤谷さんのことは私も良く存じていますから」 でもね、と弁護士は苦笑を浮かべる。 「今回のことはあまりに急すぎる。何かあったのでは、と疑うのは当然でしょう?」 「・・っ!違います。あいつは絶対そんなことしていません!」 少女はきっぱりと言った。 「絶対に、ありません。私は本当に奴には感謝しているんです。だから・・。」 「ええ。それも知っていますよ」 一生懸命に自分の後見人を弁護する少女の様子に、高林は小さく微笑む。 彼は知っていた。 適当に見える青年の過去も。そうして、覚悟も。 高林は窓の外に目を向けた。 冬の空はからりと高い。 もう8年か、と高林は思った。 この仕事を引き受けて8年。 早いものだとしみじみと感じた。
遺言
「ラブ・パレード19」へつづく
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