「ラブ・パレード17」<真実の狭間の言葉> |
吾郎が駆けつけたとき、すでに藤堂玄隆の葬儀は行われていた。 「嘘やろ・・。」 息を切らして呆然としている吾郎に、受付にいた女性が不審そうに声をかけてきた。 「あの・・?」 吾郎は額の汗を袖で拭った。 そうしてその袖の色を見て、自分が葬儀に来る格好ではないことに気がついた。 灰色のパーカーに色褪せたジーンズ。 仕事場から走ってきたので全身は汗みずくになっている。 けれども吾郎は軽く頭を下げるとそのまま玄関に向かった。 背後で女性が慌てた様な声をあげたが、振り返ることはしなかった。 見慣れた家の中は見慣れない人々で溢れていた。 吾郎は家の中を見渡し、そうしてその足を道場に向ける。 「希望」が居ない。 私服のままこの場に上がりこんできた青年を参列者は唖然とした表情で見ていたが、喪服の男が慌てたように立ち上がった。 「な、なんなんだお前は。」 吾郎はそれには答えなかった。 かわりに呻く様にひとりごちる。 「・・くそ・・なんで連絡せえへんかったんや・・。」 「は?」 「希望は。」 吾郎の前に立った男は怪訝そうな表情を浮かべた。 「誰だ、お前は・・。」 「そんなことどうでもええやろ。それよりあのガキは・・。」 あまりに無礼な物言いに男の眉が吊り上る。 「お前・・!」 怒号と共に青年の腕に伸ばしかけた男の手を、しかしふいに現れた声が遮った。 「赤谷吾郎さんですか?」 それはひどく落ち着いた、やわらかな声だった。 ついで伸びてきた手のひらが、青年の肩を宥めるように優しく叩く。 「はじめまして。弁護士の高林と申します。」 高林と名乗った男はどこにでも居そうな中年の男だった。いかにも温和そうな外見をしている。 しかしその声には覚えがあった。 つい先刻、仕事中だった吾郎に藤堂玄隆の訃報を伝えてくれた声だった。 「高林先生、こいつは・・?」 「藤堂先生の最後のお弟子さんですよ。私がお呼びしたんです。」 「弟子?そんなこと、じいさん一度も言ったこと・・。」 「待ってください赤谷さん。」 話をはじめた男二人を置いて道場に向かおうとしていた吾郎は足を止めた。 「待ってください。貴方には大事な話をしなければなりません。」 その言葉に吾郎は振り返った。そうして高林弁護士を見て、すぐに首を振る。 「その前に希望に会ってもええですか?あいつ、多分ひとりで・・。」 「いや、会うのは後のほうがいい。」 しかし高林弁護士はきっぱりと言った。 「今あの子に会って、情に流されてしまってはならない。 今から話すことは、若い貴方には特に冷静に考えてもらわなきゃならないことなのですから。」
ラブ・パレード17
私が吾郎のためにしてやれることは何なのだろう。 希望はいつも考えていた。 考えて、考えて。 そうして馬鹿で鈍感で途方もなくお人よしの男にしてやれることを、希望はひとつだけ見つけ出していた。 しかし実のところ、それはひどく勇気がいることだった。 だが、と希望はマフラーに顔を埋めた。 あいつに貰ったものは計り知れない。 今までも、そして・・昨日も。 昨日の朝のことを思い出すと今でも顔が熱くなる。 あれはきっと吾郎にとって、泣いている子供をあやすのと同じような行為だったのだろう。 現にあのときの自分はさぞかし弱々しく、そして愚かだった。 自分の感情に手一杯でただそれをぶつけてしまった。 冷静になった今ではわかる。 吾郎はなにも悪くない。 この感情も、こうなってしまったのも自分が招いたことだというのに。 勝手に腹を立てて。相手を責めて。 しかし吾郎は愚かな子供をなだめるように抱きしめて、そうして励ましてくれた。 ほんの一瞬だけのぬくもりと、変わらないあたたかさ。 しかし・・それがどんなに罪作りな行為なのか、吾郎には一生わからないに違いない。 希望はもたれていた街路樹から身体を起こした。 目の前の巨大なビルから出てくる人物を認めて、知らず動悸が強くなる。 勇気を出せ。 希望は自分に言い聞かせた。 これは自分がやらなければならないことなのだ。 自分がこの境遇に甘えてきたことに対するせめてもの償いだ。 あいつの優しさに縋りついていたことに対するせめてもの償いなのだ。 だからこそ、自分にしかできない。 希望は足を踏み出した。 そうして1年前と同じくらい・・いや、いっそう綺麗になったように思うその颯爽とした姿に声をかけた。 「涼子さん。」 「・・のんちゃん?」 1年前まで吾郎と付き合っていた美女は、驚いたかのように瞳を見開いた。 「・・ふうん。話はわかったわ。」 木谷涼子は1年前に比べてずっと綺麗になっていたけれども、やはり彼女は彼女のままだった。 希望は話をするということが得意ではない。 だけども涼子は出会った頃から、拙い自分の話を辛抱強く聞いてくれる人だった。 興味なさそうにしながらもしっかりと聞いてくれる。 「あたしはひねくれてるのよねえ。のんちゃんが羨ましいわ。」 涼子は良くそう言っていたが、希望は涼子のことが好きだった。 理由は単純なことだ。 実のところ他人のことをきちんと思いやれるという彼女の本質が分かっていたからだ。 無論、当然のことながら吾郎もそうだったのだろう。 あの日。1年前のクリスマスの日。 肩を落として帰ってきた吾郎の様子を思い出すと、今でも申し訳ない気分で堪らなくなる。 吾郎は本当に、彼女のことが「好き」であったのに。 涼子はコーヒーカップを置き、サイドに流している髪をするりとかきあげた。 「・・で、本当にのんちゃんはそれでいいの?」 希望は頷いた。 涼子行きつけの喫茶店だという店内には静かな音楽が満ちている。 冷え切った身体にコーヒーはじんわりと温かかったが、希望はカップに添えていた手を離して膝の上に置いた。 軽く頭を下げる。 「勝手なことばかり言って、すまないと思ってる。」 「・・ま、あたしは別に構わないんだけどね。」 そう言いながら涼子はまじまじと希望を見つめる。 くっきりとした切れ長の瞳に見つめられると、希望はひどく落ち着かない気分になった。 心を見透かされているかのような、落ち着かない気分。 緊張しながら涼子の瞳を見つめ返していると、やがて涼子は小さく息を吐いた。 それはほんの少しばかり、呆れた風にも見えた。 「・・まあ、のんちゃんがいいならそれでいいけど。」 「感謝する。」 希望は深く頭を下げた。 「・・・。」 涼子はしばらく無言で何かを考えていたが、やがていたずらっぽく片方の瞳を瞑って見せた。 「ねえのんちゃん、ひとつ質問していいかしら?」 「あ、ああ・・。」 「いやあね、そんなに構えないでよ。ただの心理テストなんだから。」 神妙な顔で頷いた少女を見て、涼子はにこにこと先を続けた。 「もしも、もしもよ?のんちゃんのお祖父さんが生きていると過程して。」 「・・・。」 「崖っぷちで今にも落ちそうになっている二人の人がいるの。下は溶岩で、落ちたら到底助からない。 そしてのんちゃんが助けることができるのはそのうちのたった一人だけなの。両方、なんてのはなしね。」 「ああ。」 「落ちそうになっている一人はお祖父さんで、もう一人は吾郎。」 「・・・。」 きょとんとした希望をみつめて、涼子はにっこりと笑った。 「・・ねえ、のんちゃんはどっちを助ける?」 「吾郎。」 桐野には幼馴染の背中を見ただけですぐにその青年の状態がわかった。 なにしろ腐れ縁ともいえる長い付き合いなのだ。 行き慣れたバーのカウンター席でぼうっとしている幼馴染の背中を叩く。 「なに落ち込んでいるんだ?」 「悪いな、こんな時間に呼び出してしもうて。」 「別にかまわないさ。」 桐野はグラスを傾けながらにっこりと笑った。 「吾郎の奢りなんだろ?」 「お前なあ・・。」 「・・で、何かあったのか?」 桐野は笑顔のまま吾郎をみやった。 幼馴染の男は笑顔にかすかに苦いものを混ぜる。その表情にぴんと来た。 「希望ちゃんのことか?」 吾郎は手にしていた日本酒を飲み干し、小さく頷いた。 テーブルの上には空になった瓶がいくつも並んでいる。 口調もいつもよりぼうっとしているから、既にかなりの量を呑んでいるのかも知れなかった。 吾郎はかすかにとろりとした目線をグラスに戻す。そういてつぶやいた。 「なんかなあ・・ちょっとびっくりしてなあ・・。」 「寮のことか?でもそれはお前も納得していたじゃないか。」 希望が寮に入ることを決めたとき、桐野が思っていたよりも吾郎は落ち着いていた。 桐野は以前から希望の決断を知っていて黙っていた。 そのことを責められるのではないかと少しは覚悟していたので、そんな吾郎の態度には随分拍子抜けしたものだ。 「・・いや、なあ・・。寮のことやないねん・・。」 珍しく歯切れが悪い。 吾郎は自分のグラスをぼうっと見ていたが、やがて息を吐き出した。 「なんやもう、自分の馬鹿さ加減に呆れてもうてな・・。」 「・・・?」 桐野は黙って自分のグラスを傾けた。からんと氷の音が響く。 「・・・こないだな、偶然・・鈴に会うてん。」 「うん。」 「でな、言われたんや。俺が大事なことを忘れとる。希望は女の子なんやって。」 桐野は幼馴染の顔をまじまじと見やった。 「女の子・・なんやなあ・・。」 吾郎は盛大に息をつきながらテーブルにつっぷした。 「ほんのこないだまで乳臭いガキやってんで・・。」 「なにを今更。」 桐野は呆れたように答えた。 「あのなあ、希望ちゃんはお前なんかより精神的にはずーっっと大人だぞ。 お前なんか今になっても5歳児並みじゃないか。」 「・・あんなあ・・希望はまだ16やねんで。」 テーブルにつっぷしたまま吾郎は低く呻いた。 「たった16やねん・・・。」 ああこれはかなり酔っているな。桐野は思った。 なにがあったのか知らないが吾郎がここまで酔うのも珍しい。 「なにかあったのか?」 「・・・。」 吾郎は答えなかった。 ただひどく真面目な表情で自分の手のひらを見て、そうして再びテーブルに額をつけた。 「・・なあ桐野。」 「うん?」 「・・娘を嫁に出す父親ってどんな気持ちなんやろ・・。」 「嫁って、お前ね。」 桐野は苦笑した。 「希望ちゃんは娘じゃないだろ?」 「・・そんなんわかっとるわ・・。」 今日の吾郎はやはりおかしい。 酔いのためだろう。吾郎は呂律の回らなくなったような言葉でぼそりとつぶやいた。 「わかっとるから・・・あかんのや。いや・・ちゃうわ・・。」 「・・・。」 「受け入れてしもうたら・・あかん・・。」 「・・吾郎・・お前・・。」 桐野は思わずぽかんと幼馴染の姿をみやった。 「夜分遅くに悪いね、希望ちゃん。」 藤堂希望は大きく目を見開いてその二人を出迎えた。 足元では猫がぶにゃあと鳴き、次の瞬間には漂ってくるすさまじいまでの酒の匂いに一目散に逃げ出していく。 「ごめん。吾郎、つぶれちゃってさ。」 桐野は眠っている吾郎を肩に担いだまま爽やかに笑った。 「・・すまない桐野。迷惑をかけたな。」 希望は吾郎に布団をかぶせながらつぶやいた。 「まったく、吾郎め。酒は理性的に飲めというのに・・。」 吾郎はのんきな寝顔でぐうぐうと眠っている。 「あはは。それは耳に痛いなあ。」 桐野はにこやかに笑った。 酒の匂いこそするがこちらはまったくといって良いほど平然としている。 「いや、お前と違って吾郎は酒にはそんなに強くないだろう。 こんなになるまで飲むなんて・・まったく。こやつが馬鹿なんだ。」 吾郎を見下ろしてつぶやくと、桐野は小さく苦笑のようなものを洩らした。 「まあ・・吾郎にもいろいろあるんだよ。」 桐野は吾郎の部屋の柱にもたれたまま、小柄な少女を見下ろした。 この少女ははじめて出会ったときから、この尊大な物言いも態度も少しも変わってはいない。 けれども明らかに変わったものも沢山あって、それを幼馴染が気づかないようにしていることを薄々ではあるが気づいてはいた。 もっとも、当の本人は無意識ではあるのだろうけれども。 酔っ払ってでないと本音のひとつもいえない不器用な男は、今は実に気持ち良さそうに眠っている。 馬鹿だなあと桐野は思う。 しかしそれでもその「馬鹿な男」の気持ちも理解できるだけに、何も言えなくなってしまうのだ。 「まったく・・。」 目の前の少女は相変わらず怒ったような表情をしていたが、それでも吾郎に布団を被せる手つきはいかにも優しかった。 思わずどっちが子供なんだか。苦笑を洩らさずにはいられない光景だった。 「桐野。酔い覚ましに緑茶でも飲んでいくか?」 気がつくと希望が立ち上がって桐野を覗き込んでいた。 桐野は笑う。 「いや大丈夫だよ。それより希望ちゃん。」 「なんだ?」 「これ、鈴から預かっていたんだ。今度吾郎と一緒に高林先生のところに行くんだってね。」 桐野が差し出した紙袋を受け取り、少女は小さく頷いた。 「ありがとう。本来なら私が取りに行くべきなのに申し訳ない。鈴にも礼を言っておいてくれ。」 「そういえば聞いたよ。先生のところに行った後、ご飯も食べに行くんだってね。」 「・・ああ。」 「そうか。楽しんどいで。」 あくまでにこやかな青年を見上げて、希望は渡された紙袋を握り締めた。 そうして実に下手くそにほんの少しだけ笑って見せた。 「うん・・。ありがとう・・桐野。」
真実の狭間の言葉
「ラブ・パレード18」へつづく
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