「ラブ・パレード16」<鈍感な男> |
木原涼子がその男と出会ったのはいわゆる「合同コンパ」というやつだった。 「涼子、お願い!どうしても一人足りないの!話のタネぐらいにはなると思うから一緒に来てくれない!?」 実は涼子は全く乗り気ではなかった。 その友人に借りがなければあっさり一蹴していただろう。 なぜなら、涼子はつい先日に彼氏と別れたばかりだったからだ。 正直男は面倒くさい。 馬鹿で甘ったれで自意識過剰で。そのくせ自尊心だけは高くて偉そうで。 振り回されるなんてまっぴらごめんだわ。 その時の涼子は心底そう思っていた。 「ええと名前、木原さん・・やったっけ?あんな、頼みがあるんやけど。」 だからそのコンパの席で馴れ馴れしく声をかけてきた男に対しても、実に冷たい一瞥をくれてやった。 「なによ。」 しかしその関西弁の男はそんな視線にもめげずに、やたらと人懐っこい笑顔を浮かべてきた。 年は涼子より年下だろう。 茶色の髪は珍しいものではなかったが、その色よりうんと薄い、琥珀色の瞳が印象的だった。 男はそそくさと涼子の隣に座ると、わずかに声をひそめた。 「木原さん、もしかして帰りたいんちゃう?」 「・・へえ、よくわかったわね。」 涼子は男から視線を外し手の中にあるコップに口をつける。 わざとそっけない口調を作るが、男がそれに気づいた様子はなかった。 「いや実はな、俺もやねん。」 「ふうん。」 涼子は男をじろりとねめつけた。 涼子の外見は自他共に認めるほど整っている。 性格こそ男受けするものではないことは自覚しているが、それでも言い寄る男は少なくは無かった。 だからこそそれが男の誘い文句の常套手段であることも知っていた。 ・・ふん。軽い男。 涼子の吾郎に対する第一印象は、だからそんなものだった。 「な、木原さん一緒に帰らへん?俺、駅まで送っていくさかい。」 こそこそと告げる顔は、やはり涼子より若く見えた。 近くに見える笑顔は底抜けに明るい。 「そうね・・。」 涼子の好みではなかったが、こんな馬鹿馬鹿しいコンパから逃れられるならいいかなと思った。 店を出て煙に巻けばいいだけの話だ。 そうして涼子はこういうことに慣れていた。 つまりのところ、下心が見えすぎる馬鹿な男の扱いなんぞ彼女にとっては何より簡単なことだったのだ。 しかし、である。 「良かった。なんとか抜けられたなあ。よっしゃ!ほな、駅まで行こか。」 誘い文句の常套手段であるはずだったのに、その男は店を出た途端、本当に帰ろうとしたのである。 こちらが煙に巻く暇もない。 「・・は?」 「へ?あ、せやな、ごめん。ええと、家まで送ったほうがええ?」 「いや、タクシーで帰るから別に送らなくていいんだけど・・。」 涼子はまじまじと男を見上げた。 もしかしてこいつ、本当に帰りたかっただけだなんていうんじゃないでしょうね。 「あ、ホンマに?せやな。それが一番安全やな。」 男は涼子の言葉に満面の笑みを浮かべた。腹が立つほど爽快な笑顔だった。 「・・アンタ、本当に帰りたいみたいね。」 涼子の言葉に男はきょとんとした表情で首を傾げる。 「へ?え、うん。そうやって言うたやん?」 「・・・。」 思わず呆れて黙り込むと、男は片手で自分の頭をかいた。 「俺な、今日はできるだけ早く帰りたかってん。せやけど先輩の誘いやから無下には断れんかったんや。 でもホンマに良かった。木原さんのおかげで先輩もすんなり帰らしてくれたし。へへ、ホンマに助かったわ。付き合う てくれてありがとうな。」 「・・そんなに帰りたいなんて、門限でもあるっていうの?珍しいわね。」 皮肉をこめてそう問うと、男は声をあげて笑った。涼子の皮肉には気づいていない。 「あはは。門限はないんやけど、家では子供と猫が待ってくれとるんや。なんだかんだいって夜は物騒やし。早く帰れる日は帰ってやりたいやん?」 「こ、子供・・っ!?」 涼子は驚いて男を見上げた。 男はせいぜい20代前半に見える。この年で、子持ちとは。 すると男はいっそう笑った。 「ちゃうちゃう。俺の子供やあらへん。けど俺の、家族なんや。」 きっぱりとそう言う様はなぜだかひどく嬉しそうに見えて、涼子は黙り込んだ。 なによこいつ、と一人ごちる。 なんだか調子が狂う。 「・・・。」 「ねえ。」 だから涼子のためにタクシーを止め、そうして帰ろうとする男の背中に声をかけたのが何故かだなんて自分でもわからなかった。 「アタシも助かったわ。今日は本当に早く帰りたかったの。」 「そうかそりゃあ良かった。」 「今度お礼に夕食でも奢るわ。だから・・。」 「?」 涼子は自分のてのひらを男の眼前に差し出した。 「携帯の番号、教えなさい。」 男はきょとんとした表情で涼子を見下ろす。 しかしすぐに照れたように笑って、そうして頷いた。 それから一ヵ月後に二人は付き合うようになり。 そうしてその半年後に別れることになった。 「あんたって、本当に馬鹿ね。自分で何にもわかってないわけ?」 あの子の気持ちも。あたしの気持ちも。 それに・・なにより。 目の前の吾郎は呆然としていた。 どうせ涼子が怒っている理由など、全く理解していないに違いがなかった。 涼子は立ち上がり、自分の手のひらを思い切り男の右頬に打ち付けた。 小気味の良い音がレストランの店内に響き渡る。 唖然とする客や店員を尻目に、そうして涼子は言ってやった。 そうしてそれが、赤谷吾郎と交わした最後の言葉となった。 「この鈍感!アンタなんて一度猫にでも蹴られて死んでしまいなさい!!」
ラブ・パレード16
「なあ希望。今日な、お前の担任の先生から電話があったで。」 今朝も良い天気だった。 いつものように機嫌よく起きて来た吾郎は、これまたいつものようにきなこさんにちょっかいを出しながらちゃぶ台の前に座る。 そうして希望が目の前に座るのを待って口を開く。 「・・そうか。」 希望は茶碗を手渡しながら頷いた。 「あんな、一応話を聞いときたいんやって。で、今度の土曜に俺が学校に行くことになってん。」 「仕事は大丈夫なのか?」 「休みをとったから大丈夫や。」 「・・そうか。面倒をかけてすまないな。」 「お前なあ。今更なに水臭いことゆうてんねん。」 吾郎は気にもしていない様子で笑った。そうして続ける。 「でな、お前もその日は休みやろ?俺の学校の用事が終わったら、そのまんま一緒に高林先生のとこに行こう。」 希望は顔をあげた。 「高林先生のところに?」 それは祖父が遺言のために雇っていた弁護士の名だった。 吾郎は味噌汁をかき回しながら頷く。 「俺がお前の後見人っちゅうことはこれからも変わらんけどな、お前が家を出るっちゅうことはきちんと報告しとかんといかんやろ。」 「ああ・・そうか。そうだな。」 吾郎は笑って見せた。 「そんな顔をすることはないで。高林先生には電話で大体のことは話しとるしな。とはいえホンマに世話になっとるし。 多分これからもなるし。そんなわけできちんと挨拶はしとかなアカンやろ。」 希望は頷いた。 そうして内心落ち込んだ。そんなこと、考えも及ばなかったのだ。 吾郎はいつもは子供臭いくせに、こういうところだけはしっかり大人なのだ。 そして自分はその逆だ。 本当に、途方もなく子供なのだ。 ・・情けない。 重い気持ちで鯵の開きをつついていると、テレビから明るい声が響いてきた。 目をやるとリポーターが華やかに彩られたデパートの売り場を歩いているのが見えた。 吾郎が明るい声をあげる。 「そうかあ、明後日はバレンタインなんやな。」 おそらくその時の吾郎は落ち込んだ希望に気づいていた。 だから単に話題を変えようとしたかっただけだったのだろう。 それだけの、ほんの軽い気持ちでそう言ったに違いなかった。 いつものように。 だから次の瞬間、彼はあっさりとこう言ってのけた。 「そういえばお前って、好きな奴とかおるん?」 「・・!」 希望は思わず息を呑んだ。 目の前の青年はそんな少女を見てきょとんと瞬く。 おそらく彼の予想外の反応だったのだろう。そうして心底驚いたようにうわ、と声をあげた。 「え?なんやお前、本当におるん?顔が真っ赤やで。」 「・・・。」 「う、うわあ〜なんや、子供子供やと思うとったけどお前もお年頃なんやなあ・・。 そうか、うわあ・・。」 「・・。」 「・・そうか。・・うう・・お母ちゃんは嬉しいよ。よよよ・・・。」 「・・・。」 ワザとらしく泣きまねをする吾郎に、希望は手にしていた茶碗を投げつけてやりたい衝動にから れた。 この男は、本当に馬鹿なんじゃないだろうか。 しかし吾郎は希望の気持ちになど気づかない様子で続けた。 「そうか・・そうやなあ。お前も16やもんな。そりゃあおるよな。俺なんて初恋は5歳やったもんなあ。」 そうして実に明るい笑みを浮かべて身を乗り出してきた。 「で、相手は学校の奴か?かっこええ?」 「・・・。」 希望は黙って俯いた。 胸の中でつぶやく。 この男は本当に馬鹿だ。本当の大馬鹿者だ。 「いや、でも人間は顔やあらへん。性格が命やねんけどな。」 馬鹿。 馬鹿者。馬鹿者。 「ああ、でもまだ高校生なんやからお付き合いは健全が基本やで! せやな、交換日記からはじめて、せいぜい手ぇつなぐぐらいにしとき。そこまでや!それ以上は俺が許さへんっ。」 こいつは・・本当に。 「いやあ、それにしてもお前に好きな人が出来るとはなあ・・。こりゃあ師匠に報告しにいかなあかんな。 そや、高林先生のところに行った帰りに墓参りにも行こうな。いや〜師匠、天国でびっくりすると思うで〜。」 ああもう。どうすれば良いのだろう。希望は思った。 頭が破裂しそうだった。 怒りなのかなんなのか分からなかったが、じりじりと心臓も疼く。 馬鹿。 大馬鹿者。 こちらの事情をひとつも知りもしないくせに。よくもそんな勝手なことを。 さらに青年は尋ねてきた。 憎たらしいぐらいの満面の・・笑顔で。 「で、どんな奴なん?」 その言葉に希望の中で何かが切れた。 「馬鹿な男だ。」 呻く様につぶやくと、吾郎はきょとんとした。 「へ?」 「鈍感で、馬鹿で、大馬鹿者で、どうしようもないほど阿呆な男だ。」 「え?へ?そんな奴なん?」 「ああそうだ。私が惚れたのはとんでもない大馬鹿者だ!」 「ば、馬鹿って、お前・・・。」 少女は男の目を睨み上げた。 その琥珀色の瞳は困惑の色を宿している。だけども希望は止めなかった。 頭が沸騰していた。そうしてその分、言葉がすらすらと飛び出てくる。 「どうしてなのかはわからない。気づいたらそうなっていた。自分でもよくわからない。 あんな最低な奴、大嫌いになった方がよほど楽に違いが無いのに、それでも嫌いになれない。」 「希望・・?」 「そんな自分が一番悔しい。違う。そう思ってしまう自分が嫌いだ。こんな思いをするくらいなら気づかないほうがよほど楽だっ た。 それなのに私は気づいてしまった。・・気づいて・・しまったから・・もう、側にいることすら、出来ない・・。」 希望の言葉に、吾郎はわずかに表情を硬くした。 「希望・・?」 「・・・。」 希望は俯いた。 胸の奥が痛かった。 そうして後悔した。言っていることが無茶苦茶だということも自覚していた。 こんなこと、言うつもりではなかったのに。 絶対に言うつもりなんて・・なかったのに。 しばらく吾郎は無言だった。 希望も俯いたまま何も言わなかった。 テレビから聞こえる音だけが部屋の中に明るく響いている。 それは今の状況に不釣合いで、それをひどく悲しく思った。 やがて吾郎が立ち上がる気配が伝わってきた。 するとすぐに俯いた視界にジーンズに包まれた膝が入ってきて、希望はその身を硬くした。 「希望。」 青年は希望の前で小さくつぶやいた。 「お前、ほんまにそいつのことが好きなんやな・・。」 「・・・。」 希望は今度こそ泣きたい気分で黙り込んだ。 自分の気持ちに気づかれていないことに安堵したのか、それとも別のものなのか、自分でもわからない感情だった。 黙っていると吾郎が小さく殴るなよ、とつぶやくのが聞こえた。 気配が近づく。 視界に茶色の髪が映りこむ。 大きな手が触れてきて、希望は思わずその身体を強張らせた。 そうして次の瞬間。 その身体を暖かな体温が静かに包みこんだ。 「・・茶化すような真似をしてごめん。」 吾郎の真剣な声が、吐息が、すぐ耳元で聞こえた。 「ほんまに・・ごめんな。」 しかしそれはほんの一瞬の出来事だった。 吾郎は素早く身を離すと苦笑を浮かべ、なだめるように希望の頭を優しく叩いた。 「・・そうやわな、お前も女の子なんやもんなあ。」 「・・・。」 「・・。言うとくけどな、お前はええ奴や。色気は足らんけどな。せやから、そないに簡単にあきらめるもんやないと、俺は思う。」 もっとも事情はよくわからんのやけどな。吾郎は照れたように笑う。 「お前のことやから、相手のことばっかり考えて自分の気持ちを疎かにしとるんやないんか?お前、ちびっちゃい時からそういうところがあるからなあ。」 「・・・。」 「もっと自分を大切にせえ。側に居たいって思うならそう言ってみればええ。 なんだか話を聞く限りとんでもない男のようやけど、それでもお前が好きなんやったら俺は全力で応援するさかい。な?」 「・・・。」 目の前の少女は耳まで赤くして俯いている。 吾郎は思った。 ああ、本当に悪いことをしてしまった。 この話題はきっと、希望が聞かれたくないことのひとつだったのだろう。 俺ってほんまに馬鹿や。 「・・お前は・・。」 やがて希望は俯けていた顔をあげた。 そうして小さく泣き笑いのような表情を浮かべる。 「本当に、馬鹿だな・・。」 「せやろ。」 だから吾郎も笑って見せた。 おどけた様に、肩を竦めて。 「よう言われるわ。」
鈍感な男
「ラブ・パレード17」へつづく
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