「ラブ・パレード14」<幼馴染> |
鈴という当時20歳の少女に幼馴染から電話があったのは、冬の気配が濃くなってきた秋の夜のことだった。 「よお。すまんなあ、鈴。」 そうして次の日の朝。 青年は珍しく罰が悪そうな表情で鈴を出迎えた。 「こういうときに彼女がおったらええんやけど。」 いかにも情けなさそうな口調に、鈴はくすりと笑んで見せる。 「いいんだよ。昨日言ったでしょ?なんでも協力するって。」 それを聞くと青年は嬉しそうにその琥珀色の瞳を細めた。 どちらかというと瞳の鋭い青年だが、笑うととろけそうなほど愛嬌のある顔つきになる。 子どもの頃から変わらないそんな笑顔に、鈴はさらに笑みを浮かべた。 「まかせといて。吾郎くんが出かけている間、希望ちゃんの生活用品の買い物と銭湯に連れて行けばいいのね。」 「頼むな。そや。親族との話し合い・・うん、少し長くなるかもしれんから、帰れる頃になったら携帯に連絡するわ。 それまで面倒みてもらってええかな。」 鈴は頷く。そうして上背のある幼馴染の顔を覗き込んだ。 「ふふ。それにしても銭湯って・・。吾郎くんにしてはよく気がついたねえ。偉い偉い。」 そういうと青年は照れくさそうに笑む。 「いや、いくら俺でも気づくて。この家は風呂ないやろ?これからはここに暮らすんやから銭湯は必須やねん。 けどあいつ銭湯行ったことないて言うし。とか言って俺が一緒に入るわけにもいかへんやろ。 今日は希望を一人にしたないし、ちょうどええ機会や思てん。」 ガキとはいえあいつも一応女の子やもんな。 青年はそう言って頭をかいた。 鈴と吾郎、そして間宮桐野の3人は子供の頃からの幼馴染である。 鈴が4歳のときに吾郎が近所に引っ越してきて以来の付き合いであった。 思えば、とその笑顔を見ながら鈴はこっそり微笑んだ。 引っ越ししてきたときから吾郎はあんまり変わっていないような気がするのだ。 今となっては考えられないことだが、当時の吾郎の背は鈴よりも小さかった。 鈴ははじめて会った時の吾郎のことをよく覚えている。 小さくてくせっ毛の少年は実にあっけらかんとした笑顔で、空き地で遊んでいた二人の前に突然現れたのだ。 「なあなあ!俺な、吾郎っていうんや!お前らなんて言う名前なん?」 妙ちくりんな言葉がひどく珍しくておかしかった。 自分より小さな子だというのに、その少年は身体にはちきれんばかりの元気を秘めているように見えた。 当時人見知りの激しかった桐野でさえ、不思議なことに吾郎とはすぐに打ち解けてしまったものだ。 あれから16年。 吾郎の背たけは雨上がりの竹の子のようにぐんぐんと伸びた。 声だってうんと低くなった。 いまでは見上げる鈴の首が痛くなるくらいだ。 しかし何故だか違和感は少なかった。あのときのまま、気安い関係は少しも変わらない。 それをずっと不思議に思っていたのだけれど。 ・・ああそうか。 鈴は頬を緩める。 ・・吾郎君は笑顔がぜんぜん変わらないんだわ。 改めてそう思った。 「さてお邪魔します。希望ちゃんは?」 鈴は吾郎の部屋を覗き込んだ。 吾郎は母親を亡くしてからもずっと、同じアパートで一人暮らしをしている。 築40年。風呂なしの4畳半。 日当たりの悪い北向きの部屋は、吾郎の大きな身体のせいでいっそう狭く見えた。 古びた小さなテレビとちゃぶ台。 吾郎が愛用している薄い布団は、今はきちんと畳まれて壁際に置かれていた。 そうしてそのちゃぶ台と布団の間に、一人の女の子がちょこんと座っていた。 この女の子の名は藤堂希望。 昨日、吾郎が「後見人」になることを決めた少女だった。 「希望ちゃん、おはよ。」 希望は鈴と目が合うと、その小さな頭を深々と下げた。 「・・鈴。今日は世話になる。朝早くから申し訳ない。」 「あらあら。そんなの気にしないで。それより希望ちゃんは大丈夫?」 子どもは一瞬だけ瞬き、そうして静かに頷いた。 その落ち着いた様子に安堵しながら、鈴は明るく笑って見せる。 「よかった。それにしても希望ちゃん。この部屋あんまりにも狭くて汚くて男臭くてビックリしたんじゃない?」 「こらこら。俺のスイートホームにケチをつけんなや。」 吾郎はぶちぶちとつぶやきながら、どっかと布団の上に腰を下ろした。 「それに臭いってなんやねん臭いって。あんなあ、男の一人暮らしなんやからしゃあないやん・・っちゅうかホンマに臭い?」 「まあ、男の一人暮らしだしねえ。」 「うわ。ひ、否定せいや。」 吾郎はがっくりと肩を落とした。どうやら本気で傷ついてしまったらしい。 「風呂は毎日入ってんねんで。男臭いって・・しゃあないやん。」 「大丈夫だよ、希望ちゃんが居ればそのうち良い匂いになるって。」 「なんやそれ。こないなガキがおったって部屋が乳臭くなるだけやん。」 その言葉に、子どもが隣に居る青年をじろりと睨み上げる。 そうして無言のまま、青年の手首を逆さまにねじり上げた。 「・・?」 その動作は鈴にはいかにも簡単なものに見えた。 鉛筆をひょいと持ち上げるかのような、軽い仕草。 しかし次の瞬間。 男の絶叫が狭い部屋に響き渡った。 「まったく吾郎くんは失礼だよねえ。自分は男臭いってのにねえ〜。」 二人は畳の上で呻く吾郎を残して家を出た。 まさに自業自得である。 「でも本当にびっくりしたでしょ?なにより狭いし。」 鈴は隣を歩く子供を見下ろした。 希望は相変わらず仏頂面だったが、その言葉に小さく頷いた。 「・・驚いたが大丈夫だ。それに・・。」 「うん?」 「久しぶりに・・よく眠れた。」 そう言われて見ると、希望のふっくらとした頬がほんの少しばかり赤らんでいるように見えた。 「そう?それはよかったねえ。」 希望の表情を見て、鈴は内心安堵していた。 ・・ああ。良かった。 自然と心の底からの笑みが浮かぶ。 ・・希望ちゃんも。 それに・・吾郎くんにとっても。
ラブ・パレード14
吾郎は着膨れしてダルマのようになっている幼馴染の姿を見やって、そうして吹き出した。 「鈴。お前なんちゅう姿しとんねん。相変わらず寒いのが苦手なんかいな?」 「吾郎くんこそ。こんなに寒いのになんで薄着なの?」 「うーん、やっぱあれかな。ココロが熱血やからかな。俺はいつでも青春を感じとんねん。」 そうして背の高い幼馴染を見上げる。その唇からくすくすと笑みが洩れた。 「ふふ。吾郎くんはあいかわらずだねえ。そういえば会うのは久しぶりだけど、桐野くんからいろいろ話は聞いてはいたからそんな感じもあんまりしないね。あ、今から仕事なの?」 そのとき夕暮れの冷たい風が二人の間を吹き抜けた。 その風を避けるようにあわててマフラーの中に顔をうずめる鈴を見ながら吾郎は笑う。 「そうやで。今からのシフトなんや。・・あ、お前、体調があんまようないって聞いてたんやけど平気かいな?」 吾郎の言葉に鈴は笑みを浮かべたまま首を振って見せた。 「ありがとう、大分落ち着いてきたから大丈夫だよ。そろそろ安定期に入るし。」 「へえ。でもなんか変な感じやなあ。鈴がお母さんになるなんてなあ。」 言ってまじまじと1つ年下の幼馴染の姿を眺めやる。そうして不思議そうに首を振って見せた。 「凄いなあ。その腹ん中に赤ちゃんがおるんやもんなあ。なんや、不思議でならんわ。」 吾郎はぶつぶつと言いながら、鈴が重そうに抱えていたスーパーの袋に手を伸ばした。 「あ、いいよ吾郎くん。そんなに重くないから。」 「ええからええから。ちょうどええわ。鈴、いまから帰るんやろ?途中まで一緒に行こうや。」 笑顔で荷物を下げる吾郎を見上げて、鈴はにっこりと微笑んだ。 「ありがとう、吾郎くん。」 「ねえ、そういえば聞いたよ。」 「へ?何を?」 きょとんと隣の女性を見下ろすと、鈴はおっとりと吾郎を見上げた。 「希望ちゃんのこと。」 吾郎は頷き、そうして笑って見せた。 「なんや桐野かいな。ほんとに男のくせにおしゃべりなやっちゃな。」 「吾郎くんの家から出て行くんだってね。」 「うん。」 「吾郎くんはそれでいいの?」 「ええも何も。」 吾郎は空を見上げた。 空は青い。 「あいつが決めたことやからなあ。希望ももう16やし。俺はなんにも言われへんわ。」 「希望ちゃん、どうして出て行くの?」 「さあ。」 「さあって。理由、聞いてないの?」 鈴の声に責める響きは含まれていなかった。しかし心底不思議そうな声色ではあった。 「吾郎くん、理由知りたくないの?」 「・・うん、まあなあ。」 「・・吾郎くん、涼子さんに振られたときも、その理由を聞かなかったよね。」 その言葉に吾郎は苦笑を浮かべた。 「お前なあ、人の古傷をほじくりだすようなこと言うなや。」 「古傷ねえ・・。」 鈴は何故だか小さく唸る。 そうして白い吐息が空気に完全に溶けてしまう前に、再び口を開いた。 「・・じゃあ、希望ちゃんが泣いた理由も聞いていないの?」 吾郎はその言葉にきょとんとした表情を浮かべた。 ほんの一瞬だけ何かが琴線に触れたような気がしたが、すぐにそれはほどけて消えていってしまった。 だから慌てて言葉を紡いだ。 「理由が知りたくないワケやないんやけどな。でもあいつかて言いたくないこともあるやろうし。 それにほら!年頃の女の子がお父さんに抱く感情とかテレビで見るやん?お父さん臭いとかお父さん邪魔とかお父さんうっとおしいとか。 もし希望にそんなん言われたら俺、立ち直れへんしな〜。」 「でも吾郎くんはお父さんじゃないじゃない。」 あっさりと鈴子は言った。 「いんや、希望にとってはお父さんみたいなもんやないかな。多分。」 「・・希望ちゃんがそう思っているとは限らないと思うけどなあ。」 吾郎は鈴を見下ろした。相変わらずこの幼馴染は女性らしい、ふわふわとした外見をしている。 しかし中身がそれだけではないことを吾郎は知っていた。 出会ったときから彼女はちっとも変わらない。 鈴は吾郎と目が合うと、外見どおりのふんわりとした微笑みを浮かべた。 「それに吾郎くんも希望ちゃんのこと、「子供」だなんて思ってないでしょう?ひとりの人間として認めてるじゃない。」 さらりと言われて、吾郎は息を吐いた。 「はあ・・お前、よくわかるなあ。」 「吾郎くん分かりやすいもの。私ね、二人の関係は素敵だなあって思っていたのよ。 普通、そうはいかないわ。血のつながりを超えた信頼関係っていうのかしら。すごいと思うの。」 鈴は初めて希望と出会ったときのことを思い出した。 はじめ、吾郎が小さな女の子の幼稚園のお迎えをしていると聞いて驚いたものだが、すぐにその違和感は消え去ったのを覚えている。 そしてその後、孤児となった希望を吾郎が引き取ったときも、やはり違和感は起こらなかった。 二人の年齢は随分離れている。 けれどそんなものを軽く越えてしまうような「関係」を感じていたからかも知れなかった。 鈴はでもね、と背の高い幼馴染を見上げた。 手袋に包まれた人差し指を立ててみせる。 「吾郎くん、大事なことを忘れているんだよねえ。」 吾郎はきょとんとした。 「へ?何を?」 それはねえ、と鈴はその人差し指を振ってみせた。 「希望ちゃんがずっと、ずーっと、女の子だってことだよ。」 高校の女子寮の部屋は、思ったよりも広くて綺麗なものだった。 「けっこー綺麗でしょ?ワンルームで一人部屋。共同キッチンと洗濯機は1階にあるんだよ。」 「そうか。」 希望はぐるりと部屋の中を見渡した。 備え付けのベッドと机。クローゼットにユニットバス。 いずれも清潔で広かった。まるでホテルのようだと希望は思う。 白くて綺麗で清潔な部屋。 いままで住んでいた木造のアパートや日本家屋とは大違いだった。 「・・綺麗だな。」 「でっしょ。高校の寮としてはなかなかのモンだよね〜。あ、そのへんに座って座って〜。」 部屋の主である夏美はにこにこと笑む。そうしてその手をぱちんと叩いた。 「さって!じゃあさ、ちょっと温まろうよ。夏美ちゃん特製のハーブティーを淹れるからさ!」 鼻歌まじりにハーブティを淹れおえて夏美が部屋に戻ってきたとき、クラスメイトの少女は窓の外を見ていた。 この少女は普段が仏頂面で、ほとんど表情というものが変わらない。 「クールで凛々しい」とは希望にラブレターを出す女生徒達の言だが、良く言えばそうなるのだろう。 しかし今日はその横顔がどことなく違うように見えた。 やっぱり元気がないなあと思う。 別れ際の糸井の表情を思い出す。 意外に一途な金髪ヤンキーは、まるで母犬を心配する子犬のような顔で希望をみつめていた。 ・・うん。やっぱり私も心配だよ・・いとやん。 そう、しみじみと思った。
幼馴染
「ラブ・パレード15」へつづく
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