「ラブ・パレード13」

<格好良い子猫>




守れなかったのは、自分が誰よりも大切にしなければならなかった「母親」だった。
女手ひとつで自分を育ててくれた母親。

働いて、働いて、働いて。
そうして身体を壊して、あっけなく死んでしまった。

いや・・死なせてしまった。



「なあ、母ちゃん、本当に病院いかんでええんか?俺、連れてくで?」

「馬鹿いうんやないの。あんたには学校があるやろ!母ちゃんのことはええからさっさと勉強してくるんや。」

「1日くらい休んだってええやん。母ちゃん、凄い顔色やで。茄子みたいになってんで。」

「誰が茄子や!・・ってこら騙されへんで。学校を休むなんてダメや。
母ちゃんが高校すら出てへんから働き口にも苦労してきたんは吾郎もしっとるやろ?
ちゃーんと高校には行っとくんや。奨学金ってのも貰うとるんやさかい、ええ加減なことはしたらアカン。」

「まったく強情なババアやなあ・・。わかった、出来るだけはよう帰ってくるさかい、ちゃんと休んどくんやで。」

「こら誰が強情ババアやねん!ってほれ、大丈夫やって。ツッコミができる限り大丈夫や。ほら、行っといで。・・車には気をつけるんやで!」



その日の朝の記憶にある母親の顔は笑顔だった。

その日の朝の記憶にある母親の姿は小さかった。



そうしてその日。

学校から帰ってきてアパートの扉を開けたときの母親の姿のことを・・彼は忘れたことはない。







ラブ・パレード13










二ノ宮夏美がはじめて藤堂希望と出会ったのは、高校の入学式のことだった。


入学式というのはまずは苗字で振り分けられた出席番号順で並ばなければならない。
大人しくその列に並んだ夏美は、自分の鼻先にふわふわとした髪の毛がそよいでいるのを見て思わず目を丸くしてしまった。
(・・おお。)
次いで夏美は感動してしまった。
(小さっっ!小さすぎっっ!良くこんなにちんまいのに動いているよねえ〜。)
夏美の身長は高い。
それに比べると目の前の少女はあまりにも小さく、そうして首も肩も驚くほど華奢なものに見えた。
まじまじとその姿を見ていると、その視線に気づいたのか少女がちらりと視線を投げてきた。
大きな瞳が印象的な幼い顔の造りをしているが、今はなぜだか怒っているような表情を浮かべている。
夏美がにへらと照れ笑いを浮かべると、少女はほんの少しだけ驚いたように瞬いた。
そうすると不機嫌そうな表情が溶けて、子供のようなあどけない顔立ちが前面に押し出された。
(・・うんわ。これは可愛い・・。)
子猫みたいな子だな。そのとき思った。


しかし入学式の帰りのことだった。
渡り廊下を渡っていると、ふいにその少女が上履きを履いたまま中庭に足を踏み出したのだ。
夏美は少女が迷いの無い足取りで駆けていく少女姿を、クラスメイトとともにぽかんと見送っていた。
そして次の瞬間。
少女が消えていった裏庭の方から悲鳴が響いてきた。



「なんだ、喧嘩なのか?」
「うわ。すげえ・・!」
夏美と同じく渡り廊下から野次馬根性で集まってきた男子生徒たちが口々に叫んでいる。
「あの子がやったのか?」
「え?まさか。違うだろ?」



裏庭には4人の男子生徒が倒れていた。
その中心には何故か、先ほどの女の子がすっくと立っている。
「この・・!!」
金髪の生徒が立ち上がり少女を睨み付けた。
「うわ、あいつら3年の不良だろ・・!」
「やばくね?先生を呼んで来たほうがいいんじゃ・・。」
夏美はうわあ、と息を飲んだ。
あの子なにやってんの。
金髪の不良はその腕を振りかぶった。
集まってきていた生徒らから悲鳴があがる。


少女は表情を変えないまま、ほんの少しだけ身動きをしたようだった。
本当にかすかな動き。
しかしそれと同時に不良の巨体がぐるんと回転し、そうして地面に勢いよく叩きつけられた。
土埃が舞う。
「・・よく考えてみろ。」
静まり返った裏庭に少女の凛とした声が響いた。

「お前たちのやっていることは格好が悪すぎる。」






「おい」
夏美はその声に、箒を持ったまま振り向いた。
そこに見覚えのある金色の頭を認めて不思議そうな声をあげる。
髪を派手に脱色している男子生徒はのっそりと近づいてきた。
「いとやんじゃない。どうしたの?2年生は今日テストだったから午前中までだったんじゃないの?」
「いとやんとか言うな。糸井先輩と呼べ。糸井先輩と」
上級生はさも嫌そうに、思い切り顔をしかめた。
「何度も言わせんじゃねえよ」
「もう〜いいじゃんいいじゃん。その方が親しみやすいって!」
夏美はからからとした笑い声をあげる。
そうして小首を傾げた。
「んで、どしたの?藤堂ならいないよ?いま担任に呼び出されて職員室にいったから。」
「いや、姐さんに用事がある訳じゃない。今日は、お前に用があってさ。」
「へ?あたし?珍しいねー。」
夏美は目を見開いた。



夏美がこの、糸井という上級生と知り合ったのはもう半年以上前のことになる。
はじめて彼の存在を知ったのは入学式の日。
次に彼を見かけたのはその一週間後。
そうして…その「第二印象」は実に衝撃的だった。



「俺を舎弟にして下さい!」

糸井はいきなり、夏美のクラスメイトの少女の元に押しかけてきたのである。
そうしていきなりの「土下座」。
当の少女は落ち着いたものだったが、その周囲に居た者は思わず目も口も丸く開いたまま呆然としてしまった。
もちろん、夏美自身も。
いかにも「ヤンキー」といわんばかりの風貌の男が、自分よりも一周りは小さい女の子にむかって土下座する様はあまりにも衝撃的だった。
そして…あまりにも面白かった。
面白すぎて、一ヶ月は思い出し笑いが止まらなかったくらいである。


「舎弟なんぞいらん。しかし友人になら喜んでなろう。」

その後。
男前な少女の言葉により見事糸井は「友人」としての立場を獲得することができた。
…のだが、彼の中で藤堂希望はあくまで「姐さん」であるらしかった。


夏美の前で糸井は言いにくそうに口を尖らせていたが、やがてそっぽを向きながら口を開いた。
「最近、姐さんの元気がないような気がしねえか?」
夏美は喜色を浮かべて身を乗り出した。
「あ、やっぱりいとやんもそう思う?うーん、あたしもそう思ってたのよ〜。やっぱストーカーは違うね!」
さすがいとやん、と褒めると糸井が憤怒に顔を赤く染めた。
「だっ誰がストーカーだ!!馬鹿女!オレはただ姐さんの舎弟として・・!」
「シャテイとかいったら藤堂怒るよ〜。オトモダチなんだからさ!!って、あ!暴力反対〜。んもう、冗談だってばさー。」
夏美は笑いながら、糸井の怒号をさらりとすり抜ける。
くそと吐き捨てる糸井にいっそう笑って、そうして箒の柄に顎を乗せた。
「でも真面目な話、本当に元気ないんだよねえ。藤堂。」
「あ、ああ。」
「まあ多分普通の人にはわかんない程度の変化しかないんだけどさ。・・インフルエンザで学校休んでたでしょ。その後くらいからかなあ、元気が無いの。」
「風邪がまだ治ってない・・とかか?」
いやいやいや。夏美は指を振る。
「もう1週間は経つもん。・・まあ、心当たりはちょっとだけあるんだけどねえ・・。」
今度は糸井が身を乗り出した。
「なんだよ。」
「藤堂ね、今度うちの寮に入るんだって。」
「寮って・・。なんでだよ、たしか姐さんの家はこの近くなんだろ?」
「うん。そうなんだけどねえ。」
夏美は視線を晴れ渡った2月の空に向けた。吹き抜けていく風はまだまだ冷たく、空は薄く広がっている。。
「・・あのお兄さんと喧嘩でもしたのかな・・。」
「お兄さん?姐さん、兄貴が居たのか?」
夏美は糸井に目を向ける。そして何かを思いついたようにニッタリとした笑みを浮かべた。
「あ、そうか。いとやんは知らないんだよね〜。ふっへへへへ〜。
あのねえ、藤堂はねえ、カッコいい男の人と一緒に住んでるんだよ〜ん。」
「カ、カッコいいって・・だ、だから兄貴なんだろ?」
「違う違う。血の繋がりのないお兄さん。背がすらーっと高くてね、29歳の好青年っ!」
「・・あ、赤の他人・・29・・ってオイそれって・・。」
糸井の顔色がさっと青くなり、ついで赤くなった。
予想どおりの反応に夏美はさらに笑みを深くする。
「そうなのさ〜。藤堂はね、年上の男の人と二人っきりで住んでるんだよーん。」
「ふ、ふ、ふ、ふ二人っきりっっっ・・!」
ついに糸井が脇に挟んでいた鞄が地面にばさりと落ちた。
「それは・・ど、ど、ど同棲・・って、こっことか・・よ・・?」
「ええとね、それは違うみたいなんだけど・・。」
しかしその情報による糸井の精神への衝撃はすさまじいものだったらしい。
夏美の声など、すでに届いていないようであった。
もはや顔色が信号のようになってしまった上級生は、わなわなと震える両手を握り締める。
「げ、元気がないのもそいつのせい・・かよ・・っっ。ま、まさか姐さん、そのおっさんに・・あ、あんなことやこっこんな酷いことをぉぉぉぉぉ・・っっっ!」
絶叫。
夏美は真面目な顔で頷いてみせた。しかし唇の端がひくひく引きつっている。
「うんうん、そーだねえ。もしかしたらあんなことやこんなことやそんなことまでされちゃってるかもねえ〜。」
「そ、そ、そ、そっそんなことまでっっ!!!!」
今や糸井の顔はタコ以上に赤くなっている。
もし糸井がヤカンだったら、間違いなく湯気が噴き出し蓋が遥か彼方に吹き飛んでいるに違いがなかった。
夏美はしばらく堪えていたが、きっかり2分後。ついに我慢しきれず吹き出してしまった。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!!!!い、いとやんサイコーーーっっ!!!あーっはっはっはっはっはっはっ!!!」




「・・なにをしておる。」
逃げ回る夏美を追いかけていた糸井は、その声にぴたりと立ち止まった。
次いで夏美も立ち止まる。振り返りざまにっこりと笑った。
「あっ藤堂〜おかえり〜っ!」
「・・この寒い中追いかけっこか。元気なことだ。」
藤堂希望は苦笑を浮かべたようだった。
「おっおっおっ・・お帰りです!姐さん!」
姿勢を正して見事な礼を決める上級生を目に止めて、希望は低く尋ねた。
「・・何故お前がここに居る。2年生は明日もテストだろう。さっさと帰って勉学に勤しむがいい。」
「いや、その、俺・・。」
「まあまあ藤堂〜っ。ちょっとね、あたしがいとやんに用があったから残ってもらってたんだよ〜。」
慌てて言葉を紡ぐ夏美の視界の端で、糸井が困ったような表情を浮かべている。
しかし希望はあっさりと頷いた。
「そうか。」
「あ、掃除は終わったよ。ねえねえ藤堂っ!」
「なんだ。」
預けておいた箒を受け取りながら自分を見上げる友人に、夏美は笑って見せた。
「今からさ、うちにおいでよ。ほら、寮を見学したいって言ってたでしょ?」
「・・今からか。」
夏美はこっそりと糸井に目配せをする。
糸井は気づいたようだった。戸惑ったような気配が伝わってくる。

別にいとやんの為だけじゃないよ。
夏美は思った。
藤堂のことが心配なのはあたしだって同じなんだから。


「うん!ほら〜寒いし!お茶ぐらい出すよ。あ、いとやんは駄目だからね。一応女子寮なんだからさ。」




赤谷吾郎は歩きながら、ぼんやりと空を見上げていた。
冬の空はどこまでも高く、青い。
水で溶かし込んだような淡い雲が薄く広がっている。
太陽の沈む寸前の空気は冷たい。
マフラーの下で息を吐くと、それは白く凝って後ろにたなびいた。

「あれ、吾郎くん?」
ふいに背後から柔らかな声をかけられ、吾郎は振り返った。
視線の先には一人の女性の姿があった。
暖かそうに着膨れした女性は、蕩けそうなほどの柔和な笑みを浮かべている。
吾郎は瞬き、そうして人懐こい笑顔を浮かべて見せた。

「よお、久しぶりやなあ。鈴。」




格好よい子猫








「ラブ・パレードM」へつづく





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