「ラブ・パレード12」

<対等な平行線>






「私の高校には寮があるんだ」

希望は後見人の男の顔をまっすぐに見つめた。
声が震えることだけはないように。
何度も何度も、ひとりで練習していた言葉をできるだけ端的に告げる。


「4月から、その寮に入ろうと思う」


そうか。 目の前の青年はあっさりと言った。
それはお前が決めたことなのか。そう聞かれたので頷いた。


自分で決めたこと。
そう。それだけは間違いない。


見慣れた居間をしんとした静寂が包む。
ストーブのうえに置かれた薬缶だけが優しい音を立てていた。
しばらくして青年は頷いた。
琥珀色の瞳が希望をみつめる。
それはとても穏やかなものに見えた。



「他でもない。お前が決めたんやから、いい加減な気持ちで決めたんやないんやろう。
せやったら、俺はなんにも言わへんよ」
「…そうか」


希望はそっと息を吐き出した。
それが安堵のものなのか、それとも他の意味があるのか、自分でもわからない。
「…ありがとう。吾郎」
その言葉に青年は頷いた。
そうして苦笑するように、やんわりと笑む。


「それは俺の台詞や。これまで俺と一緒におってくれて…ありがとうな」









ラブ・パレード12






少女は自分の部屋の襖を後手に閉める。
そうしてずるずるとその場に座り込んだ。
息が苦しかった。
喉の奥が、胸が苦しかった。
両手で胸を押さえ込んで、畳に頭をつける。
一緒に居てくれてありがとうと吾郎は言った。
そう、言ってくれた。

それがひどく嬉しく、そうしてひどく悲しかった。
その気持ちだけで充分だというのに、どうして自分はこんなに寂しいのだろう。
どうしてこんなに、悲しいのだろう。


希望はもう泣くまいと決めていた。
だから涙は零さなかった。
瞳が自然に潤んだけれど、それだけだ。
ぎりぎりだ。それでも泣いてしまうのだけは耐えきった。

未来はこれで決定した。
あと二ヶ月で自分は此処を出て行くことになった。
この…「楽園」を。

後悔はしない。
きっと、それだけはしてはならない。
あのお人よしが幸せになれるならそれで良いと、それだけは心の底からそう思うからだ。

たくさんのものをもらった。
居場所も、思い出も。
笑うことも、怒ることも、困ることも、そして、泣くことも。
いろいろなものを与えてくれた。


それはきっと、無償の優しさだったのだろうとそう思う。
見返りを求めない優しさ。
例えるなら、そう。まるで親のようなものだったのだろう。
親が自分の子供に与える無償の愛。
それとは多分違うのではあっても、それでもよく似ていたもの。


それを良しとしなかったのは、自分だ。
希望は小さく息を吐いた。
それでは嫌だと思ってしまったのは、他でもない自分自身だ。
優しい手を振り解いたのは自分自身。


吾郎には幸せになって欲しい。
お調子者で、いい歳をして子供くさくて、いい加減で、鈍感で。
血縁でもない子供をひきとってしまうような、お人よしの大馬鹿者。


実のところ、誰よりも「家族」を欲している彼が「本物」のそれを手に入れることができるのならばとても嬉しい。
そう思っているのは真実だ。
真実であるのに。
―それなのに、悲しかった。

そうして、悲しいと感じてしまう自分がたまらなく嫌でならなかった。

だからこそ決めた。
自分で決めたことだから。


希望はさらに胸を押さえ込んだ。
痛くて苦しいのも、すべては自分の我侭にすぎないことは理解していた。


私は、本当に愚かだ。
愚かな、人間だ。

―だからこそわたしは、「後悔」などをしてはならないのだ。







男はぼんやりと居間に座っていた。
見るともなしにつけていたテレビからは明るい声が流れている。
しかし脳内を占めるのはつい先ほどの希望との会話だけだった。 覚悟はしていた。しかし想像していたよりそれは堪えた。
吾郎は自嘲気味に笑みを浮かべた。
まったく、大人のふりをするのはいくつになっても難しい。

そのとき腕と腹の小さな隙間からきなこ色の毛に覆われた耳がひょっこりと現れた。
そうしてぶにゃあとかわいくない声をあげる。
「うお。びっくりした」
吾郎は瞬き、いきなり現れた同居猫の頭に手を置いた。
大きな図体の猫はその前足をそっと吾郎の腹に置く。
なぜかこの猫はすべての物事を理解していて、その上で彼を慰めてくれているように思えた。
もちろんそれは勝手な人間の感傷にすぎないのかもしれなかったが。
「…なあ、きなこさん」
吾郎は猫に声をかける。
猫は器用に右の耳だけを動かした。
吾郎はその耳を軽くひっぱっる。
そうしてぽつりとつぶやいた。

「俺…うまいこと笑えてたやろうか」



子供の旅立ちを邪魔するような馬鹿な大人にはなりたくはなかった。
旅立ちは笑って見送る、それが自分の役割なのだと彼は思っていた。


吾郎は希望を信じている。


希望という少女は、小さいくせに頭が固くて、融通が利かなくて、可愛げなんぞかけらも持っていない。
けれど物事の分別をきちんとわかっている人間だった。
清々しいほど真っ直ぐで、馬鹿みたいに潔い。
何かにぶつかっても、自分で考えるということが出来る少女だった。


そう。
ほんの小さな頃から、希望は子供でありながら子供ではなかったのだ。

おそらくそれは育った環境によるものだったのだろうと思う。
もちろん生来の気質も関係していただろうが、それだけではないはずだった。
正直それを哀れに思ったこともあったけれど、彼はすぐにそれを打ち消した。
そう思うことは一生懸命生きているこの少女にとって失礼なことだと思ったからだ。

少女は聡い。
彼はこの少女のことを表面上は子供扱いしていたが、実のところひとりの「人間」として接してきた。
彼は彼女を抱え込んで甘く甘く育てるつもりはなかったし、気高い少女がそれを望まないことも分かっていた。


あくまで対等な間柄。
それが「二人の関係」だった。



その希望が家を出るという。


何故と問いたかったが彼はそれを飲み込んだ。
理由など必要のないように思えたのだ。
出て行くなとはもちろん言えない。
希望がひとりの人間である以上、自分にはその権利はないからだ。


希望という人間がそれを決めたのなら、そこには彼女なりの考えがあるに違いなかった。
希望のことだ。
きっと考えて考えて、考え抜いて出した結論なのに違いが無かった。
だからそこにはきっと、くだらない理由なんかひとつもない。


彼は少女のことを誰よりも信じていた。











「母ちゃん。今日からな、俺に家族ができたんやで」

「希望っちゅうガキなんやけどな。これがまた可愛げがなくてアカン。先が思いやられるわ。」

「…なあ、母ちゃん」

「今度こそ俺に、守ることができるんやろうか……」












対等な平行線








「ラブ・パレード13」へつづく








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