「ラブ・パレード11」

<まるい月の夜>




ぽっかりとした丸い月が出ていた。


「こら降ろせ!降ろさんか!」
「嫌や」
「馬鹿者!いいから降ろせ!」
「嫌やって」


子供は自分を担ぎ上げている男の背中を叩こうと拳を振り上げる。
しかし途端にずり落ちそうになる自分の身体を認め、あわててその背にしがみついた。
「この…!わたしは荷物ではないのだぞ!こんな、荷物のように運びおって…!」
「しぁあないやん。お前、暴れるんやもん。暴れないんならおんぶにしたるけど」
「ば、馬鹿者!!」
「ほな、しゃあないなあ〜」
男はけらけらと笑った。
「もう話はついてんねん。師匠の遺言ってのがあったし。
んーまあ、面倒なんで省略すんねんけど話し合った結果、俺がお前を引き取ることに決まったんや。」
「な…」
「これはもうホウリツで決まったことやねん。堪忍しいや」
そう言って明快に笑う男の肩に担がれたまま、子供は言葉に詰まってしまった。
しかしなんとか言葉を絞り出す。
「…しかし、お前には関係のないことじゃないか…」
男の背は高い。そこから見る地面は遥かに遠かった。
男の歩幅は自分とは比べ物にならないほどに早かった。
ひとりきりで座っていた道場が遠ざかっていく。
見る見るうちに、小さくなっていく。
―だが。

「…迷惑は、かけられん。だから降ろせ」
子供というものは金がかかるのだと親戚は言っていた。
子供の面倒は大変なのだとも言っていた。


―この子、一体誰が引き取るんだ?

あの時の疎ましげな声音が頭から離れない。



「…お前さ、朝ゴハン作れる?」

しかし男は希望の言葉には答えず、逆に質問してきた。
「…なにを」
「俺な、今仕事が忙しくてまともに朝ゴハンが食べられてへんねん。
もう眠くて眠くて朝ゴハン作られへんの。なあ、可哀想やて思わへん?」
「……」
「交換条件ってのはどうやろ?」
男は明るい声でそう言った。
「お前は俺に毎日朝ゴハンを作る。代わりに俺は、お前に居場所を提供する。
対等な交換条件ってやつや。それでどうや?うん、我ながらいい考えや」
「な、何を馬鹿な。そんなことで…」
いやいやいや、と男は首を振る。
「あっま〜いっっっっ!お前甘すぎる。甘すぎるで!」
「……」
「ええか?朝ゴハンを作るってのを、そうそう簡単に考えたらアカン。
毎日毎日、どんなに眠くても疲れていてもさくっと起きて、ゴハンをつくらなアカンのやで?ほんま大変な仕事や。
ほんまに全世界のオカンってのは大変やわな。あ!でも俺は味噌汁は関西風味に薄口やないと嫌やから、そこはよろしくお願いしときます」
「……」
子供はしばらく何も言わなかった。
しかしやがて男のTシャツを握り締める。
そうして消え入るような声で「馬鹿者」とつぶやいた。

男はそれを聞いてにっこりと笑った。
「よっしゃ。交換条件、成立やな!」
左手を伸ばして子供の頭を乱暴にかき混ぜる。
「今日からよろしくな、希望!」


子供はやはり答えなかった。
黙ったまま遠くなっていく道場に瞳を向け、そうして自分たちを照らしているまるい月を見上げた。

まるい月は柔らかな光を放っている。
風は冷たかったが、何故だかちっとも気にならなかった。





ラブ・パレード11









希望はぼんやりと瞳を開けた。
「……」
いつのまに眠ってしまったのだろう。少女は思った。
とても懐かしい夢を見たような気がする。
夢だったというのに胸が痛い。
暖かく、優しい思い出であるはずなのに何故だかひたすら苦しかった。

身体を起こそうとすると、関節がぎしぎしと軋んだ。
熱はとうに下がっていたが、病み上がりの身体は鉛のように重かった。
窓の外を見ると、すでに太陽の光はない。
なんとか立ち上がって電気をつけると、閉じた扉をかりかりとひっかく音が聞こえた。
ついでぶにゃあと声がする。
その、どこか甘えた響きの声に笑みが零れた。


「…おかえり、きなこさん。」
巨大な猫は返事をするように声をあげる。
そうして出てきた少女の足に、その巨大な身体を摺り寄せた。
「……」
希望は猫の、ふかふかとした毛並みに手をのせる。
きなこ色の猫はやわらかくそうして暖かかった。
ふんふんと鼻面を押し付けてくる猫の額を指の先でかきながら、少女はその表情を和らげた。

この猫は、希望と吾郎がこの古ぼけた家に引っ越してきた直後にできた「家族」だった。
いつのまにか家に入り込み、あまりにも堂々と寝転んでいる猫の姿に吾郎は大笑いしていた。
「もしかしてこの家の前の借主が飼うとったんかな」
どうするのかと思っていたが、吾郎はあっさりとこの猫を「家族」にしてしまった。
そう。自分の時のように、あっさりと。


猫の毛並みをゆっくりと撫でる。やがてごろごろと喉を鳴らし始めた猫はでろんと大の字に寝転んでしまった。
しばらく希望はそんな猫を撫でていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「きなこさん」
猫のしっぽがぱたりと揺れる。
「…もうすぐきなこさんとも会えなくなるんだな」
希望は猫を抱き上げた。
相変わらず重いが、それでもそうせずにはいられなかった。
「…寂しい、な…」
暖かな毛並みに顔をうずめて瞳を閉じる。
猫は大人しく目を細めていたが、やがて希望の顔に頬をよせてごろごろと喉を鳴らした。

そのやわらかな毛は、優しいひなたの匂いがした。




その日吾郎が帰ると、4日間風邪をひいて寝込んでいた少女が玄関口に出てきた。
おかえりなさい。いつものような愛想のない口調でいうとむっつりと青年を見上げてくる。

「なんや、もう身体の具合はええんか?」
頷く少女の頭を軽く叩いて吾郎は笑った。
「そうかあ。よかったなあ」
すると少女はいっそう不機嫌そうに顔をしかめ、そうして小さく頭を下げた。
「すまない。迷惑をかけた」
「そんなん気にすんなや。いやあ、よかったよかった。桐野と鈴も心配しててん。
なんやお見舞いに来るとかゆうとったけど…」
「吾郎」
ふいにきっぱりとした声に名を呼ばれて、青年はきょとんとした。
「うん?」
「話があるんだ」


希望の視線は吾郎のそれをはっきりと捕らえている。
吾郎は瞬いた。
この視線には覚えがある。
小さな頃から変わらない。潔いほどに凛としたまなざし。




吾郎は笑みを浮かべる。

そうして、静かに頷いた。



まるい月の夜








「ラブ・パレードK」へつづく








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