「ラブ・パレード10」

<夏美と希望>



その女性は「涼子」という名前だった。
綺麗な長い黒髪の、桐野曰く「吾郎にはもったいない位の美人」だった。



料理だってとても上手かった。
初めて吾郎が家に連れてきたときに、彼女が作った手料理は見た目も味も完璧だった。
そう。
手先が不器用な自分とは大違いだった。



「実はなあ、俺、涼子と結婚したい思てん」

だからしばらくしてそう言われたときも、さほど驚かなかった。
「明日、クリスマスやろ?でな、涼子にプロポーズしようと思うんや」
「……」
希望は口にしていたたまごやきをごくんと飲み込んだ。
驚きはなかった。
ただ何故か胸のあたりがずしんと重くなり、息苦しくなっただけだ。
何故かだなんて分からない。
それでただ、いつものように青年を見上げた。


少女の目線を受けて、青年は照れたように頭をかく。
「明日は夜の7時には帰ってくるさかい。
へへ、プロポーズが上手くいったらな、そのときは涼子も一緒にクリスマスパーティや!」
「そう、か」
希望は頷いた。
かすかに茶碗を握る左手が震えたが、青年も、当の少女でさえも、そのことには気づかなかった。
「…うまくいけばいいな」
だから希望は心の底からそう言った。
嘘ではなく、本心で。
希望の言葉を聞いた吾郎は嬉しそうに笑い、そうして箸を置いた。
そうして正座をすると、きちんと背筋を伸ばす。
「…こほん。あんな、希望」
姿勢を正した男は、稀に見る真面目な顔で少女の顔を見つめた。
「上手くいったら、お前に姉さん…というより母さんができる。
一応俺はお前の親みたいなもんやから、きっとそうなるんやろう」
少女は青年の、色素の薄い瞳を見上げた。
「…親」
鸚鵡返しにつぶやく。
その言葉に何故だか違和感を感じたが、しかし目の前の青年はそんな事には気づかない様子で頷いた。
「うん。ほんまなら、俺はもっと早くお前に母親をつくってやりたかったんやけどな。
せやけどな、ほれ、知ってのとおり俺はもてへんからなあ。…遅うなって、堪忍な」
「……」
希望は小さくその顔を伏せた。
吾郎の言葉に、いろいろな形のない感情が胸の中を駆け巡る。
けれどもたくさんのそれを明確に捕まる事はできなかった。
それでもそんな希望にも、ひとつだけ理解できることがあった。
「……」
「うん?」
「吾郎、わたしはここに…」
「……」
「……」
「まさか、自分はここに居てもいいのか、なんていうんやないやろうなあ」
吾郎はおもむろに少女に近づくと、無造作に握った拳をその頭に落とした。
ずこんと痛そうな音が周囲に響く。
希望は思わず頭を抱えた。
「な、なにをする!」
「あんなあ、お前は俺の家族やねんぞ」
青年は心底呆れたように少女を見下ろした。
そうして苦笑まじりに希望の頭をてのひらで軽く叩く。今度は痛くはなかった。

「ええか。お前がちょっとでも俺を必要としている間はな、俺はお前の家族や。
せやな、嫁に行くまでの間…かもしれん。ああ、ちょっと待て。やばい。想像でなんか泣けてきた」
「……」
「…う。いや、もちろんどこの馬の骨ともしれん奴にお前はやらへんけどな。
うん。お前のことを心底好いとって、お前のことを一番に考えてくれる男やったらまあ、許したる。
出来ればきちんと手に職をつけとって、自分で稼げる骨のある男やったらちょっとだけ考えてもええ。
でもそうそうは許さへんで。せやな、まずは交換日記からはじめてもらうけどな!」

どんどん話が脱線していることにも気づかず、吾郎はあくまで真面目な表情で言い切った。

「うるさい思てもアカンで。だってな、お前は俺の家族なんやから心配して当然やろ?」


それは1年前の、12月の話。





ラブ・パレード10






「あれえ?」
二ノ宮夏美は目の前の男を見上げたままきょとんとつぶやいた。
「ここって、藤堂希望さんの家、ですよね?」
「うん、そうやけど」
「…あれえ?」
夏美は瞬いた。
3日学校を休んだクラスメイトのお見舞いに来たはいいけれど、この状況はどういうことだろう。
夏美はぐるりと周囲を見渡した。
目に入るのは古びた家とそこから出てきた背の高い若い男。
「ええと、藤堂の…希望さんのお兄さんだったりします?」
「いんや。ちゃうけど」
目の前の青年は闊達に答えた。
夏美の身長は高い。中学の時から伸びだして、現在はなんと170cmを越しつつある。
その夏美が見上げる形になるのだから、男はゆうに180cmを超えるに違いなかった。
日に当たって金色に見える瞳が印象的だが、今やそれは嬉しそうに細められている。
なにやら悪戯小僧のようなその笑顔は若く、せいぜい20代前半に思えた。
「へ?…と、言われても、お父さんには見えないんですけど…」
ぽかんとしながらそう言うと、青年は声をあげて笑った。
「あはは!そりゃあなあ!俺もまだまだそないな年やないし」
「ですよねえ。え?…って、うわ!ってことは何?
もしかして藤堂の彼氏さん??ま、まさか同棲中なの!?」
顔を真っ赤にして慌てふためく夏美を見やって、青年はさらに爆笑した。

「なんや嬢ちゃんおもろいな。うん、安心したわ。希望もいい友達をもっとるやん」



「びっくりしたよー」

満面の笑顔でけらけらと笑うクラスメイトを見やって、希望はむっつりと頷いた。
「風邪で休んだのもびっくりしたし、あのお兄さんにもびっくりした」

先ほどの男は自分は希望の後見人なのだと名乗った。
夏美を玄関口に案内すると同時に出かけて行った。
聞けば今から仕事に行くのだという。玄関口から希望を呼び、そうして爽やかな笑顔を残して去っていった。

出てきた希望は玄関口に座ったまま夏美を見て驚いたように瞳を見開いた。
そうして中には入らない方がいいと首を振る。
多分風邪は感染する。相変わらずの口調で言い、そうして困ったように頭を傾けた。
「見舞いは嬉しいが…帰ったらうがいと手洗いをきちんとするんだぞ」

そんなわけで夏美は古ぼけた玄関口に立ったまま、お母さんのようなことを言う小柄な少女を見下ろしていた。

「あのお兄さん結構かっこいいよねえ。初めはね、藤堂の彼氏かと思って驚いちゃったよ」
夏美の言葉を聴いて、少女はわずかに苦笑を洩らした。
「そんなわけないだろう」
「ふえ?そう?結構お似合いだと思ったんだけどな。
あ、これお土産ね。ケーキ。ここのオレンジケーキは最高だね。カスタードが凄い。
まろやかでしつこくないあっさりケーキ!市内ナンバーワンだとあたしは思ってるわけよ。あ、藤堂食欲ある?」
夏美は機関銃のように捲し立てると、希望の手に小さな白い箱を渡した。
「…わざわざ、すまないな」
「いいのいいのー。愛する藤堂のためだもんねっ!でも元気そうで良かった。もう、心配したんだからねー」
夏美は小さなクラスメイトをにこにこと見やった。
藤堂希望は小柄だ。しかしいつもはそうは見えないのがこの少女の特徴だった。
しかし赤いちゃんちゃんこを羽織ったパジャマ姿のまま玄関口にちんまり座っている様を見ると、思わず笑みが零れてくる。

「あ、それとね、これ」
夏美は鞄から白い封筒を引っ張り出した。
「梶原先生から。藤堂、うちの寮に入るつもりって本当なの?」
その言葉に、希望は苦虫を飲み込んだような表情になった。
「…ああ」
夏美はまじまじと友人を見下ろした。
希望は感情の起伏に乏しい少女だが、それでもなにやら困惑したような気配が伝わってきた。
「…ちょっと好奇心で聞くだけなんだけど、あのお兄さんコウケンニンって奴なんでしょ?
藤堂を引き取ってくれて、一緒に住んでいるんだよね?お兄さん、どこか行っちゃうの?だから寮に入るの?」
いや、と少女は首を振った。
「え?じゃあなんで寮なんかに…」
「…何時までもここには居られないからだ」
夏美はきょとんとした。
「お兄さんとなにかあったの?」
「いや…」
希望はそう答えると、ふいに黙り込んだ。
視線を落とし手渡された封筒をぎゅうと握り締めている。
夏美は唸った。
いろいろ聞きたいのは山々。
けれども人には聞かれたくない事柄というものがある。
それくらいは分かっているつもりだった。
だから迷った末に口を開く。
「ええとね、藤堂」


希望は瞳を上げた。
背の高いクラスメイトはどこか緊張したように希望を見おろしていた。
「んーっとさ。なにか悩みがあったり、聴いて欲しいことがあったりしたら言ってよね。
あたしでよければ、だけど」
だって、と少女は照れくさそうに微笑む。
「あたし、藤堂ともっともっと、友達になりたかったりするのよ」


希望は瞳を見開いた。
きょとんとした表情で夏美を見上げ、そうしてその表情をゆるやかに変えた。
「…ああ。ありがとう…二ノ宮」


そのときの表情といったらなかった。二ノ宮夏美はのちに金髪の友人に語ったものだ。


―そうだねえ。簡単に言えば「もしあたしが男だったら押し倒しちゃうね。」という顔だった。
あれはやばい。いとやんだったらイチコロだね!完全に犯罪者になるね。御用だね!
あ、でもいとやんが藤堂に勝てるわけないから返り討ちにあってぼろぼろになるね。
ああ。あれを見たのがあたしで良かったよ。でも写真に撮りたかったなあ。
うーん、残念。今度からカメラを持ち歩くようにしないと!


五月蝿いとその友人に怒鳴られながらも、さらに夏美はこう付け加えた。
笑みを浮かべてしみじみと。

「あんな藤堂と一つ屋根の下に暮らしてて何にもないなんて、吾郎さんってある意味大物だと思ったわ」






夏美と希望








「ラブ・パレードJ」へつづく








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