ラブ・パレード

「ラブ・パレード1」

<16歳の誕生日>





それは約束ともいえないものだった。
きっと自分だけが支えにしてきた、ほんの些細な……儚いもの。


今ならばわかる。
それは本当に馬鹿げていて、深い意味のない冗談で片付けられる言葉だった。
それくらい、理解はしている。


けれどそれでも自分は支えにしてきたのだ。
自分勝手で我侭な自分はそれに縋りついて、得られるはずも無いものを望む権利すらないものをいつも欲していた。
それが奴にとって「本当の幸せ」でないことぐらいわかっているのに。


いつだったろうか。
あいつの漕ぐ自転車の荷台に乗せられて星を見にいったことがある。
帰り道には満天の星空からいくつもの光が筋を引いて流れていた。


私はあの時、何を願ったのだろう。

そして今、私は何を願っているのだろう。



願うことは表面的には同じこと。

それでも今の私は……その願いがほんの少し、形を変えていることを知っている。






ラブ・パレード1





赤谷吾郎という29歳の青年にとって、その日はなんの変哲もない日になるはずだった。


1月の半ば。西の空は薄い群青色で、そこから徐々に深い藍色に変わり始めていた。
昨日は雪だった。
その名残故か空気は身を切るように冷たい。
履き古したスニーカーが踏みしめるアスファルトからはしんしんと冷気が伝わってくるかのように思えた。



珍しいことに、本日の仕事は早めに終わることが出来た。
鼻歌交じりに駅から自宅への道を歩く。
彼は自動車を持っていない。
移動手段は限られていたが、そんなこと気にもしていなかった。
大通りから路地へ。
そこからほんの少し続く坂道の脇にはそれは見事な桜の木があって、春になるとその道には桜色の絨毯が敷き詰められる。
彼はその道を気に入っていた。
人通りの少ない静かな路地には野良猫が丸くなっていたり転がっていたりする。
そんなところも微笑ましくていっそう良かった。


ぶらぶらとその道に入った青年は、その桜の木の下に見慣れた姿があることに気づいて目を見開いた。
「ん?」
野暮ったいコートに包まれているにもかかわらずその身体は見るからにほそく、そうして華奢だった。
その姿はアスファルトに目を落としたまま動かない。
時折吹く夕暮れの風だけが柔らかな髪を揺らしている。
「……希望?」
その名前を呼ぶと、親の敵のようにアスファルトを睨みつけていた少女は弾かれたように顔をあげた。
その瞳が青年を認めてかすかに見開かれる。
小さな顔に大きな瞳。
幼さの残るやわらかな頬の線。
それはやはり彼のよく知る少女のものだった。
なにしろ10年間もの間、毎日顔を合わせている関係なのだ。
同じ「家の中」で。


彼は首を傾げた。
「やっぱ希望か。なんや、こんなとこでどうしたん?」
少女はそれには答えなかった。
かすかに強張った表情で青年を見上げている。
「……?」
青年は不思議に思いながら少女の前に歩み寄った。
着ているのは今朝会った時と同じ姿だった。
おそらく学校帰りなのだろう。
しかしそれにしてはこの時間は遅いようにも感じられた。
青年はぽんと手を叩いた。
「あ。もしかして俺を待っとったん?」
「……」 少女はやはり黙ったまま目の前の青年を見上げている。



青年はその瞳を見下ろして首を傾げた。
そうして腰を屈めて目を合わせる。


風が二人の間を吹き抜けていく。
ひどく冷たい、1月の風。


やがて少女は静かに口を開いた。

「今日」

寒さの為にいっそう紅くみえる唇が、拙く短い言葉を紡ぎだす。

「…16歳になった」


青年はきょとんとした。
瞬いて少女をみつめる。
冷たい風が吹き、少女の柔らかそうな髪をさらさらと揺らした。
「今日、16歳になった」
少女は同じことを繰り返した。
大きな瞳は青年を見上げたまま、瞬きさえしなかった。
「……」
その視線を受けたまま青年はさらに瞬く。
そうして次の瞬間、今日はこの少女の誕生日だったことを思いだした。
1月の12日。
両手をぽんと打ちつける
「ああ、そうか!そうやった!そりゃおめでとうな!」
誕生日。そう思うとしみじみと感動が押し寄せてきた。
初めてこの子供と会ったのは10年も前のこと。
あんなに小さかった子供が16歳になったのだ。
あんまり背丈は伸びていないし、相変わらず色気もないけれど。もう、16歳。
「うわ、お前もう16歳か!月日が経つのは早いなあ。うーん、俺も年をとる訳や。
あ、何か欲しいもんとかあんのか?それで待ってたとか?」
ええで、特別に買ってやろう。
にこにことそう言うと、少女の顔がかすかに強張ったように見えた。
「……ないか」
ぼそりと少女がつぶやいた。
しかし何と言ったかは聞き取れない。
「何か言うた?」
問うと少女は首をゆるゆると振った。
「……なんでもない」
そうして小さな顎をマフラーに埋め、ただ、静かに俯いた。

青年は急に元気のなくなった少女を見下ろして首をかしげる。
「希望?」
今度は返事はなかった。

青年はきょとんとする。ただ目の前の少女が迷子の子供のように見えて困惑した。
だから「いつものように」その頭に手を伸ばそうとした。
無造作な、習慣になってでもいるようなその仕草。
しかし少女の髪に触れる寸前、その手はあっけなく振り払われた。
ぱしり。
乾いた音が辺りに響く。
「触るな」
「へ?」
「……私は……お前の娘でも妹でも……ないのだぞ」
「ど、どうしたんや?希望?」
ぽかんと名を呼ぶと少女はその顔をいっそう俯けた。
その拍子に髪が頬に落ちかかる。
それはまるで項垂れるかのような仕草に思えた。


何か気に障ったのだろうか。


青年は困り果てて少女の頭を見おろした。
その表情を窺い知る事はこの角度からでは至難の業だった。
俯いた少女のつむじがよく見える。
柔らかな髪が風になびいて、甘い香りが仄かに広がった。
彼はよく知っている。これは少女の愛用しているシャンプーの香りだ。
そんなことまでわかるというのに、今の少女が何を考えているのか、彼にはさっぱり分からなかった。
「ええと、ここは寒いで。せや!誕生日祝いを兼ねてごちそうでも食べに行かへんか?
寿司でも焼肉でもなんでもええで?あ、もちろんこの吾郎様がおごったるさかい。な!」
だから敢えていつものように陽気に言った。
そうして少女の顔を覗き込む。
目の前の子供は彼にとって大切な少女だった。
なんとかして元気付けたい。そう思いながら少女の顔を覗き込む。
しかし次の瞬間。
そこに予想にしないものを目にし、彼はかけるべき言葉を失ってしまった。
「……希望……」


少女の大きな瞳からは透明なものが溢れていた。
溢れてはふっくらとした頬を伝い、首のマフラーにぱたぱたと吸い込まれていく。
声はない。
唇を引き結んだまま、ただ静かに少女は涙を零していた。
青年は呆然とそんな少女の姿をみつめる。

「な、なにがあったんや希望……」
「……」

しかし少女はくるりと踵を返した。そうしてそのまま駆け去っていく。
柔らかな髪だけが青年の伸ばしたままの指に触れた。


……一瞬触れたその髪は、染み入る程に冷たかった。





16歳の誕生日







「ラブ・パレード2」へつづく








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