へびの夫婦

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へびとにんげん




 
蛇骨婆にはひとりだけ人間の友達がおります。
 人間の名は総麻呂。
 ぼさぼさの髪に、重たげなまぶたの眠そうな目をしたのんべんだらりとした隻眼の男で、いつでもなんとなく笑っているような顔をしておりました。

 赤坊に言わせれば「けぶかいおっさん」でしたし、青坊に言わせれば「だらけた男」の一言であらわせる男でした。
 しかし紫にとってみれば「たいせつなともだち」でありました。本当のことを正確にいうと「たいせつなかわいい子」でしたが、それは紫という娘がこの総麻呂という男の看病をしたことがあったからでした。
 血みどろで動けない男はそれこそ赤ん坊同然の存在でありましたし、数日間でも世話をすればもともと情の厚い性分である紫にとっては年上のむさくるしい男であっても「かわいい子」になってしまうのでした。
 けれども「かわいい」というと、総麻呂だけでなく赤坊と青坊までもが変てこな顔をするので、紫はそのことばを口にするのは控えておりました。


 そんなある日のことでした。



 紫たちにあげるための米やら酒やらをしこたま背負って蛇塚にやってきた総麻呂は、半泣きでおろおろしている紫に出会いました。紫は総麻呂の姿を見ると、足元のおぼつかない子犬のように駆け寄ってきました。

 「総麻呂、総麻呂、どうしよう。赤坊と青坊が一晩かえってこないんだよ」
 「ええ?」

 総麻呂も驚きました。
 なぜなら、紫という蛇骨族の少女をとてもとても慕っている二匹の子蛇が、その紫をおいて一晩もどこかへいってしまうなんて考えられなかったからです。
 総麻呂は屈みこみ、おろおろと自分を見上げる紫の頭をぽんと叩きました。

 「ほれ、嬢ちゃん落ち着きな。なにがあったんだ」
 「あの子たち、最近人型に化けれるようになって、あぶないことばかりしているの。昨日もね、そのあたりをうろうろしているあやかしを退治するっていって、そうして出かけて行って、帰ってこないの」
 「えええ」
 「人型に化けれると言ってもまだ小さいの。私の肩ぐらいまでしか背のない、ちいさな子供なんだよ。それなのに、それなのに……」

 紫の声は最初から最後までふるふると震えておりました。たぶん、この娘なりに一生懸命探したのでしょう。髪も着物にも葉っぱやら泥やらがたくさんくっついておりました。
 総麻呂は自分の顔を撫で上げると、いかにも面倒くさげに大きく息を吐きます。

 「あいつら、無謀にもほどがあるなあ。おおよそ赤坊あたりが調子にのっちまったんだろうが」

 総麻呂は二匹の子蛇の言葉を思い出しました。紫様のお役にたつためにも人型に化けれるようになりたい。二匹の化け蛇たちはそう言って、一生懸命化ける練習をしていたのです。最近ではまるで人間の子供と見まがうまでにその技量はあがっておりました。しかし、です。

 「おまえら人型に化けれると言っても無理すんじゃねえぞ。このまわりには俺が結界をはってるから大抵のあやかしは入れねえけど、普通の動物や特殊なあやかしは入り込めるんだからな」
 「俺なら普通の動物や変なあやかしなら楽勝だぞ、おっさん」
 「楽勝じゃねえぞ。おまえらみたいなちび蛇に勝てるもんかい。熊とか狼とか、すげえ怖いじゃねえか。猪だって怖ええんだぞ。狐だって怖い。いや、犬だってこええんだぞ」
 「おっさんはよわむしで駄目なおっさんだなあ」
 「……人間は弱すぎる」
 「おまえらなあ……」

 そういってえへんえへんと胸を張っていた赤い髪の子供と、人型になれて少しばかり誇らしげな顔をした青い髪の子供を思いだすと、総麻呂の口からはさらにため息が洩れました。

 「ああ、おれがもっとちゃんと言い聞かせとけばよかったかな」
 「総麻呂?」

 総麻呂は紫の頭を再度ぽんぽんと叩くと、かたわらに背負っていた荷物をおろしてよっこらと立ち上がりました。

「仕方ねえなあ。俺が探してくるから嬢ちゃんはここで待ってな」

 そういうと紫は慌てたように首を横に振りました。

「総麻呂にそこまで面倒かけられないよ。私がもういちど探してくるから、総麻呂はここで時貞さまをお守りしておいて欲しいのだけれど」
「おいおい、俺なんかがひとりでここにいたら、蛇五衛門さんにたたり殺されちまう」
「時貞さまはたたり殺すなんてことしないよ」
「いいからいいから」

 総麻呂は首を鳴らしながら空に向かってそびえる蛇塚を見上げました。そうして苦笑を浮かべます。

「それに、蛇五衛門さんの護り手には嬢ちゃんじゃねえと駄目だろうからなあ」


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 「赤坊、いいかげん戻るぞ。きっと紫様が心配している」

 うしろをついてくる青坊の言葉に、赤坊はぷんとして振り返りました。

 「帰るなら一匹でかえろよ。おれはいやだぞ。せめて一匹でもあやかしを退治してからかえるんだ」

 赤坊の目線のさきには、自分にそっくりな青い髪のこどもがおりました。子供はきれいな金色の瞳を険しくすると赤坊をにらみつけます。

 「帰るなら、お前が一緒でないと意味がない」
 「ならついてこいよ青坊。だってなんか嫌な気配がするんだぞ。姐さんになにかあったらどうすんだよ。だから早めに俺たちがやっつけておかなきゃ」

 赤坊はそういって前を向き、寄せ合うようにして生えている木々を押しのけながら歩き出しました。
 まだまだ人型に変化して間もないので、歩きなれない二本の足はずくずくと痛んできておりましたが、それでも赤坊は意地でも歩き続けます。だって、嫌な気配がする、あやかしを退治するといって紫の元を飛び出したのは赤坊なのです。青坊は赤坊を追ってきただけなのでした。そうして帰ろうと言い続ける青坊のいうことを聞かずに一晩。いまだにあやかしを見つけることもできず、そうして退治することもできていないのです。
 赤坊はなんだか、いたたまれない気持ちでいっぱいなのでした。本当はもう帰りたいのですが、なかなかきっかけがつかめなくて困ってもいたのです。

 そのとき、前の方でぴりぴりとする空気を感じました。赤坊ははっと息を飲みます。そうしてうしろの青坊を振り返ると言いました。

 「青坊、いたぞ」

 ひゅうと風が吹きました。ひどく湿ったその風は、赤坊と青坊の鱗のひかりを模したかのようなきれいな髪をなぶっていきます。
 ついで耳をついたのは、ひひんという馬のいななきでした。それは何故だか上の方、空から聞こえるかのようでした。

 「……赤坊、上だ」

 小さな、けれどもぴりりとした青坊の声にはじかれるように上を向いた赤坊の瞳に飛び込んできたのは、玉虫色をした空を飛ぶ手のひら大の小さな馬と、それに乗ったこれまたちいさな女の姿でした。
 いつのまにか頭上に広がる空は曇天で、その灰色に鮮やかに緋色の衣が翻っておりました。くすんだ黒髪には金の頭飾りをつけております。一見あでやかな姿の女でしたが、どこかのっぺりとした女の顔には表情というものがありませんでした。その楕円に開いた黒い瞳は余所をむいておりますが、それは実に薄気味悪いものに見えました。ぽかんと開いたままの口が、余計に空恐ろしくも見えました。
 青坊が息を飲むのがうしろで聞えました。そうして、赤坊の右腕をそっと掴んできました。

 「赤坊、あいつにぜったいに気づかれるなよ。このまま下がるぞ、あれはやばい」
 「な、なんだよ……」

 赤坊は震える声を押し殺して聞き返しました。青坊の声は震えてこそおりませんが、今まで聞いたことのないくらいに緊張をはらんでおりました。

 「……頽馬《たいば》だ。あいつと目が合ってにっこり笑われると問答無用に死んでしまう。口から肛門にかけて太い棒を突き刺したように穴が開いて死んでしまうんだ」
 「な、なんだよ、それ……だ、大丈夫だよ。おれがやっつけてやるから……」
 「駄目だ」

 青坊の手のひらにちからがこもります。

 「言ったろう、やっつけるとかいうものではないんだ。みつかって、笑われたら終わりなんだ」
 「な、なんだよ、それ……」
 「逃げるぞ」
 「で、でも……」

 手を引く青坊のちからに抗ったのは、赤坊にほんの少し残っていたちいさな意地によるものでした。しかしそれによって青坊はかすかにたたらを踏み、足元のちいさな小枝を踏んでしまいました。

 ぱきり。

 それは本当にちいさな音でした。しかしその音は空気を震わせ、そこに誰がが潜んでいるのを知らせるには十分な音であったのでした。

 ひゅうと風が吹きます。
 思わず目をつぶった赤坊でしたが、次の瞬間頭のすぐ上に浮かぶ玉虫色の馬に乗った女の姿をみとめてひゃあと声をあげました。何故なら、楕円の形をした女の瞳が赤坊をじいっとみつめていたからでした。はたはたと赤い衣の裾が揺れております。ふいに白い顔の中にある女の赤い唇がにい、と笑みの形に動きました。やばいと思うのに身体が動きません。のっぺりとした女の顔から目が離せません。

 「赤坊、見るな!」

 すると急にうしろから突き飛ばされて、赤坊は地面に突っ伏しました。ついでなにか重いものが身体の上にかぶさってきます。青い衣が赤坊の目線をさえぎりました。青坊です。

 「ぜったいに目を開けるなよ。じっとしているんだ」

 赤坊は言われるままにぎゅっとめをつむりました。生ぬるい風が吹いて、けたけたという薄気味悪い笑い声が近づいてきます。赤坊は震えながら覆いかぶさる青坊の手を握りました。青坊の手もぶるぶる震えております。
 けたけたという声は赤坊と青坊のまわりをまわり始めました。生ぬるい風と生臭い匂いが渦を巻き、二匹の周りをかこんでぐるぐるとまわっているのでした。

 赤坊は泣きべそをかきました。いったい、どうすればよいのでしょう。このままでは一生ここから動けません。なにしろ目を開けたら頽馬とやらに笑われて死んでしまうのです。
 赤坊だけでなく、青坊まで。
 自分のせいで。

 そのときでした。

 「――オン・キリキリ・オン・キリキリ・オン・キリウンキャクウン」

 突然、低く低く、周囲の音のすべてをやぶるような朗々とした声が響いてきたのです。気味の悪い風の音も、笑い声もすべてつきくずしてしまうかのような、それは力を持った「音」でした。

 「ナウマク・サマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン」

 必死に目をつむったまま、赤坊は朗々と響くその声をきいておりました。縋るように青坊の手を握ると、青坊の手も同じようにぎゅっと握り返してきました。
 大丈夫、この声はいつもと全然違うけどあの人間の声だ。だから大丈夫。

 「元柱固真、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」

 その瞬間、全身のうろこがぞわぞわするほどの恐ろしい力がその場に出現するのを感じました。音もなく声もない、けれども空気を割って出現したなにかは、ここに居るあやかしの誰よりも恐ろしいちからを持っているようでした。
 ひひん、という馬の悲鳴のような音が聞えます。あらわれた何かは、馬の鳴き声を包み込むようにぶわりと大きく膨らみました。空気が何かと切るような音が聞こえます。ついで、その大きな何かの手綱を取るかのような低い朗々とした声が辺りを支配しました。


 「――六根清浄、退魔。急急如律令!」


 そのことばはなんだかおそろしいほどの力を持っておりました。この場の気がすべてぎちぎちに突っ張るような、そんな不快で気持ち悪くて、怖い怖い力でした。
 あやかしを封じる、おそろしいちから。

 だから赤坊はその瞬間、頭や全身をぎゅうと締め付けられるかのような気がしてすこんと意識を失ってしまったのでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ゆらゆらとした振動が心地よく身体をつつんでおります。なんだかずっと眠っていたいこころもちでしたが、ひんやりとした風が頬をくすぐり、赤坊はぼんやりとその金色の瞳を開きました。
 開いた目にとびこんできたのは、手入れなどしていないかのようなぼさぼさの髪でした。辺りを染め上げる夕陽に照らされてやさしい稲穂の色にも見えました。赤坊はすんと鼻を鳴らします。

 「おっさん……?」
 「おう、目が覚めたか」

 赤坊は総麻呂に背負われておりました。総麻呂はいつもとなんらかわらないような呑気な声で赤坊に話しかけます。

 「もうすこしで蛇塚につくからな、まあ寝てろ寝てろ。一晩中歩き疲れて大変なんだろ」
 「……」
 「帰ったら嬢ちゃんに泣かれるぞ。そりゃあもういたたまれない気持ちになるから、いまのうちに寝てたほうがいいぞ」

 その言葉に赤坊はなんだか泣きたくなりました。おなかの底からぐうっと切ないものがこみあげてくるような、そんな気持ちでした。

 「青坊、青坊は……?」
 「そこにいるだろ。お前ら本当に仲がいいなあ。お前ら、気を失っても互いの手を離さねえからかつぐの大変だったんだぞ」

 言われて目線を落とすと、やはり気を失っている青坊は総麻呂の左腕に抱えられておりました。そうして赤坊は、青坊の頭に巻いてあるお揃いの鉢巻、そのはしっこをぎゅうと握りしめておりました。
 なんだか恥ずかしい気もしたのですが、やはり離す気にもなれずに総麻呂の背にぺたんと頬をおしつけます。

 「ああ、こわかった。ほんとうにこわかった」
 「そうだろうさ。お前らついてねえなあ。はじめてやっつけようとするあやかしが頽馬だなんてなあ」

 その言葉に、赤坊は頬を膨らませます。

 「あんなやつじゃなければ勝ててたやい。おっさんの手なんか借りなくても大丈夫だったぞ」
 「へいへい、そうかい」

 総麻呂の声はあのときの声とはまるで別人のようでした。だけれど赤坊はちゃんと知っておりました。

 「……おっさん」
 「ん?」
 「あのさ、俺と青坊を、たすけてくれてありがとな」


 そういうと急に恥ずかしくなって、赤坊はさらに顔をぐりぐりと総麻呂の汗臭い背中におしつけました。
 総麻呂はからからと笑います。そうして言いました。


 「ああ。まあ、ともだちだから当然だ。気にすんな」





 蛇骨婆にはひとりだけ人間の友達がおります。
 人間の名は総麻呂。
 ぼさぼさの髪に、重たげなまぶたの眠そうな目をしたのんべんだらりとした隻眼の男で、いつでもなんとなく笑っているような顔をしておりました。
 赤坊に言わせれば「けぶかいおっさん」でしたし、青坊に言わせれば「だらけた男」の一言であらわせる男でした。
 しかし紫にとってみれば「たいせつなともだち」でありました。


 そんな「毛深くて」「だらけていて」「かわいい」総麻呂という男は、蛇塚を守る三匹にとって大切な友人でしたが、それは総麻呂にとってもそうでした。
 自分が封じた「蛇五衛門」の蛇塚から離れない小さなあやかしたちは、基本的に面倒くさがりな男であっても「たいせつなともだち」となっていたのです。


 その奇妙でつよい友情は、男の寿命が尽きるまで、いえ、尽きてしまった後も末永く末永く、やさしく続いていくのでした。









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