万華鏡のせかい

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壱話


蛇骨婆と呼ばれるあやかしには二匹の護り手がおります。
一匹は赤の大蛇。
もう一匹は青の大蛇。
二匹は紫という名のこのあやかしを、それはそれはたいそう慕っておりました。

二匹の蛇は赤ん坊であったころ、それこそほんの小さな藁くずのような大きさであったころに紫に出会いました。そうして命を救われ、友達になったのです。
正直、赤の大蛇である赤坊はそのころのことをよく覚えておりません。だってまだまだ赤ちゃん蛇だったのですから、そんなむかしのことを覚えているはずないのでした。だから双子へびの青坊が「あのときはごめんな」と謝ってきたときもきょとんとしておりました。まあ赤坊にとっては青坊も紫もだいすきな存在であることは明らかでしたので、そんな昔のこと、もうどうでもよいのでした。

ともあれ出会って以来、赤坊はずうっと青坊と紫といっしょにおりました。おなかがすいた時もいっぱいなときも、暖かい時も寒いときも、悲しいときも楽しいときも、いつもいつもいっしょにおりました。
だから、紫が蛇五衛門という蛇骨族の若君に見初められてお嫁入りした時も、あたりまえのようにいっしょにくっついていきました。
しかし、です。

「みずぼらしい娘がこの館をうろうろすることだけでも嫌気がさすのに、どうしてこんな貧相な子蛇たちまで連れてきたのだ。みっともない、みっともない。早く捨ててこい」

紫は蛇骨族の偉そうな人たちによくそう言われて叱られておりましたが、二匹を捨ててこいと言われても頑として首を縦にはふりませんでした。
普段おとなしい、それこそいつも何かに怯えているように小さくなっている娘の思わぬ反抗に、蛇五衛門の屋敷のものたちはたいそう憤慨しておりましたが、それはある一言をきっかけにそれはぴたりと収まりました。

それは紫が嫁いでまもないある日のことでした。いつものように紫が屋敷のものにぎゃあぎゃあと叱られていると、そこへたまたま蛇骨婆の旦那様である時貞が通りかかったのです。紫紺の髪の美貌の若君は、気紛れのようにその光景をみて、いったい何事かと問いかけました。そうして理由をきくと呆れたように唇の端で笑いました。
そうしてあっさりと、こう言ったのでした。

「そんなことでぎゃあぎゃあと五月蠅えやつらだ。たかが二匹の子蛇ぐらいいいじゃねえか。いいからほおっておきな」


若君の言葉はまさに鶴の一声でした。それ以来、青と赤の子蛇たちはどうどうと紫といっしょにいられるようになりましたし、二匹のごはんもちゃんと貰えるようになりました。

「若君はおやさしいおかただね。おまえたち、ちゃんと感謝しなければいけないよ」

紫はよくそう言っておりましたので、赤坊もそのときはちゃんと感謝しておりました。けれども若様というのは紫をお嫁にしたくせにちっとも紫といっしょにおりません。ふたりはたぶん、まともにお話しをしたこともないようでした。それをふしぎに思ったりもしておりましたが、なにせ赤坊はまだまだちいさな子蛇であったので、まあいいやとも思っておりました。

 けれども屋敷での時間が長くなるにつれて、紫は悲しそうな顔をすることが多くなりました。赤坊と青坊が心配してきゅうきゅう鳴くと、大丈夫だよ、といって笑ってくれますが、それがつくり笑いであることは小さな子蛇たちにもわかりました。
だって、蛇骨族のやつらといったらひどい奴らばかりなのです。紫に嫌なことを言ったり、困らせることをしたり、ひどいときにはつきとばして怪我をさせたりしておりました。
 けれども赤坊がぷんぷんと怒ってそいつらを噛みつきにいこうとすると、紫は必ず止めておりました。おまえがそんなことをしては駄目だよ、わたしが正妻として至らないから仕方のないことなのだから。そうして続けて言いました。
 

「時貞さまはいたらないわたしをお嫌いなんだと思うの。だからわたしはここでは皆様のいうように、そこいらに落ちている石ころのようにね、じいっと気配を消して、お気に触らないようにしなければならないのだよ」

 紫のそのことばを聞くたびに、赤坊はすごく悲しくなりました。こんなに大好きですてきな紫が、どうして石ころのようにしなければならないのでしょう。紫はとてもやさしいし、思いやり深いし、とろけそうなほど暖かい笑顔をもっているのに。

「おれはわかさまがだいきらいだ」

 だからでしょう。いつしか青坊が覚えたての言葉でこっそりつぶやくようになりました。青坊はちいさいころに子猫にかみつかれてからというものの、赤坊よりも身体がよわくなってしまったのですが、とにかく頭の良い蛇でしたので、なにやらいろいろなことを考えているようでした。

「むらさきさまがかなしいおもいをしているのも、ぜんぶあいつのせいなんだから」

 赤坊はへえ、と思いました。ひどいことをしているのは館のやつらだけかと思っていましたが、青坊曰く、そうさせているのは若様が紫をきちんと正妻として扱っていないからということでした。なんだかよくわかりませんでしたが、青坊は頭が良くてとても頼りになるので、青坊のいうことに間違いがあるはずがないのでした。

 紫は頑張っておりました。慣れないさまざまな作法の勉強を自室でも繰り返し行っておりましたし、読めもしなかった文字も一生懸命覚えておりました。いつか若様のお役にたてればいいなあ。そういいながら。

 けれども若様はあいかわらず紫のことなどしらんふりしておりました。館のものも、それで紫に利用価値がないことを悟ったようでした。次第に正妻であるはずの娘はどうでもよい存在になってゆき、愛でられている側室の方を重要視するようになっていきました。いつのまにか、紫はその場に居るだけで眉を顰められる存在になっておりました。だからでしょう。赤坊と青坊と居る時以外は、いつか言われたように「石」のように表情と気配を消し、だれにも邪魔にならないようにと願いながらそっと生きているようになっておりました。

 青坊と赤坊はそんなこと許せませんでした。二匹はまだまだ子蛇でしたのできゅきゅい鳴きながらこっそりと相談しておりました。はやくおおきくなってむらさきをここからつれだしてあげよう。餌をちゃんととれるようになれば、きっとだいじょうぶ。今はただ、はやく、はやく大きくなろう。

 二匹と居る時のむらさきは本当に楽しそうでした。やさしい笑顔で、いろいろなことをお話してくれます。二匹がせがむと子守り唄だってうたってくれました。それは紫がたったひとつだけ育ての親から教えてもらった歌でした。紫は別段うまい歌い手ではありませんでしたが、それをなんともいえないほどやさしく歌ってくれるのでした。だから二匹はその歌が、本当に本当に大好きでした。

 お部屋ではみんなの邪魔になるかもしれないから、お庭の端っこにいこうね。そういって蛇五衛門の館の庭の端っこにやってきてはお月さまの下で赤坊と青坊のために唄を歌ってくれました。赤坊も青坊も、その歌を聞くとすぐにしあわせな気持ちになって眠ってしまうのですが、紫はなんどでもなんどでもやさしく歌ってくれておりました。
 月の下でみる紫はほんとうにすてきでした。白い髪はぼんやりと銀色めいた光をふくんでやさしく流れておりましたし、赤い瞳はいつも以上にやさしく二匹をみつめてくれております。こんなにきれいな髪や瞳を蛇骨族のやつらは馬鹿にしたり嫌ったりするのだから本当におかしなことでした。こんなにやさしい紫のことをしらんぷりする若君の気持ちだってちっともわかりません。
 それを思うと赤坊の中にはぷんぷんと怒りの気持ちが沸き起こってくるのですが、それも紫にやさしく撫でられていると、まあ今はいいやと思うのでした。

 だって、青坊と決めたのです。
 はやくはやく大きくなって、紫をここから連れ出してあげようと。だから今はがまんしておこうね、と。


 だからのちに紫から「あんなこと」を言われることになるとは、このときはまったくちっとも、これっぽっちも思ってもいなかったのでした。







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