へびの夫婦

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エピローグ:前篇



「そんなこといって怖いだけだろう、空太は」
「そうじゃないよ。でも総麻呂爺も言ってたじゃないか。あそこは蛇のあやかしの土地だって。きっと行ったら食われちゃうよ」
「そんなことあるもんか」

空太の言葉にふん、と厳一郎は鼻を鳴らしました。


「空太の弱虫野郎。もういい、弱虫は帰れよ」

その言葉に空太は一瞬泣き出しそうな顔になりましたが、それでもの厳一郎の後を追うのをやめませんでした。


空太と厳一郎は都のはずれに住んでおります。平らな土地に豊かな水源。大きな道がいくつもほかの都に向かって伸びている、豊かな豊かな都でありました。
空太の幼馴染である厳一郎はこのあたりのこどもたちの大将です。身体が大きく、喧嘩がめっぽう強い厳一郎でしたが、小さいころは怖がりで、犬の前を通るときも末吉のうしろに隠れていたのはふたりだけの秘密でありました。
そんな厳一郎が蛇の森に肝試しに行くと言い出したのは昨日のことでした。

蛇の森とは都からひとやまほど離れたはずれにある森のことです。人の手がほとんどはいらない、鬱蒼とした気味の悪い森でありました。

「蛇の森には行ってはいけないよ。蛇骨婆という怖い怖いあやかしに食われてしまうからね」

都の子供たちはみんなそう言い聞かせられて育ってきました。
なんでも蛇骨婆とは大きな蛇を身体にいくつも巻きつけた赤い顔の老婆で、その顔は恐ろしく、口は耳までさけていて鋭い牙が生えているとのことでした。人間のこどもが好物で、つかまえたら頭からがぶりと噛み砕いて食ってしまうのです。
いまでは蛇骨婆のほかにもたくさんのあやかしがすみついているらしく、大人であってもその森に踏み入るものはいないようでした。


「ねえ厳一郎、やめようよ。ねえ、総麻呂爺が言ってたこと忘れたの? 」

空太は進み続ける厳一郎の後を追いながらもう一度いいました。すでに蛇の森へと差し掛かっております。昼間だというのに辺りは昏くなり、空気もずしりと重くなったような気がしました。


「うるさいな」


厳一郎の声音にはとりつくしまがありません。
空太にはその原因も見当がついていました。
昨日「蛇の森に行く」といった時に、いつもは厳一郎のいうことを聞く子供たちが怖気づいてしまってひとりも賛同者が現れなかったのです。
厳一郎はそれに腹を立てて、弱虫どもめ。それならおれがひとりで行ってやる。と啖呵を切ってしまったのでした。
空太ももちろん怖くてならなかったのですが、蛇の森にひとりで行くという幼馴染をほうってはおけません。夜が明けぬうちにこっそりと家を抜け出した厳一郎をあわてて追ってきたのでした。

蛇の森は昏く昏く、上を見上げても鬱蒼と茂る木々の葉に覆われて太陽がほとんどみえません。もうそろそろお天道様がてっぺんに昇るころあいでしたが、辺りは薄ぼんやりとしていて、眼前をいく厳一郎の姿がやっとみえるくらいの明るさなのでした。
厳一郎は家から持ち出した鎌を一本握っておりました。それをぶんぶん振り回しながら先にすすみます。時折「でてこい蛇骨婆」などというので、後ろを歩く空太のほうがひやひやしておりました。


「もう帰ろうよ……。本当にでてきたらどうするの? 」
「のぞむところだ」


厳一郎は鎌を振り上げました。


「そんなのおれがやっつけてやる。あ、みろよ空太。なんか開けた場所にでたぞ」


ぱっと厳一郎が駆け出しました。疲れた身体を叱咤して慌てて後を追った空太は、森を抜けた先に広がる光景にびっくりして目を見開きました。


「なんだ、ここ……」


厳一郎の声に空太は答えることができませんでした。
その空間は不気味なところでした。
木々の天幕は姿を消し、空がぽっかりと見えております。しかし辺りが薄暗いことに変わりはありませんでした。いつのまにやら灰色の厚い雲が空を覆っていたのです。
空太たちが出てきた森とは反対の方には大きな岩山が見えました。そのてっぺんは厚い雲と、そして白く舐めるように麓に伸びている霧のせいで見えません。霧はこの場にもその手をそろそろと伸ばし始めており、 森の中と視界はそう変わりませんでした。
空太は薄い霧の中をそろそろと歩き出しました。不思議なことに、その平らな土地には草が一本も生えておりません。みれば四方にいくつか大きな石が置いてあり、真ん中には歪な形の岩が天に向かって伸びておりました。
空太はおっかなびっくり岩に近寄ります。齢八つになったばかりの空太の背よりはるかに大きな岩でした。


「……お、おはか、かなあ……」
「や、やめろよ」


いつのまにか空太のあとをくっついてくる形になっていた厳一郎が小さな声を上げます。空太と目が合うと、あわてたようにその唇を引き結びました。

「は、墓だったらなんだっていうんだよ」
「……これがお墓だったら、このあたりに本当に蛇骨婆がでるかもしれないよ。総麻呂爺も言ってたじゃない。ねえ、もう帰ろうよ……」
「なんだよ、怖いのか」


そういう厳一郎の声だって震えています。けれど空太よりずっと意地っ張りな幼馴染は、それを認めたくはないようでした。
墓らしき岩を睨みあげ、そうしてさっと鎌をふりあげました。


「こ、こんなもの! 」


 空太が止める間もありません。
 振り下ろされた鎌はがつんと鈍い音を立てて岩にぶつかりました。


「やめろ」


 そのときでした。
霧の間から押し殺したような低い声が聞えてきたのです。
 空太はもちろん、厳一郎もびくりとしてその声の方をみました。
 そうしてふたりは見たのです。
 霧の合間からあらわれた、怒りの形相をした白い髪の鬼婆の姿を。


「……っ! 」
「う、うわあああああ! 」


 がらんと音がしました。それは厳一郎が鎌を放り出して逃げ出した音で、その音に我に返った空太もあわてて後を追おうと踵を返します。
 しかし焦りのあまりに足を滑らせ、思いきり顔から転んでしまいました。
 顔だけ後ろを向けると、鬼婆が――おそらくは蛇骨婆でしょう――が 静かに近づいてくるのが見えました。
 父や母に聞いた通り、恐ろしい顔をしておりました。赤い顔にぎょろりとした黄色い瞳。耳まで裂けた口からは鋭い牙がのぞいております。身体には大きな気味の悪い大蛇が二匹巻きつき、手には先端に刃のようなもののついた棒をもっておりました。

 悲鳴は喉を通りませんでした。
 腰が抜けてしまったのでしょう。逃げようとしましたが足がまったく動きませんでした。
 ぶるぶると震えながらごめんなさい、とつぶやきます。
 身体を丸めてぎゅっと目をつぶると、近所に住んでいた総麻呂爺の言葉が脳裏に蘇ってきました。

 昔はえらいひとだったという総麻呂爺は、空太や厳一郎とよく話を聞かせてくれたり遊んでくれたりしていました。
 そうして蛇骨婆のことを詳しく教えてくれたのです。
 父や母に聞いていたことだけではない、蛇骨婆のことを。


――蛇骨婆ってのは蛇神さんの塚を守っているあやかしのことだ。たったひとりで、ずうっとその塚を守ってる。べつに怖いあやかしじゃあない。けれど塚を汚すものだけは許さない。だからあそこへは、蛇の森へは絶対に行っちゃあいけないよ。


 ごめんなさい、ごめんなさい。
 総麻呂爺の言った通りだった。これは「蛇骨婆の旦那さんのお墓」だったんだ。だから怒ってでてきたんだ。
 ごめんなさいごめんなさい。もうしませんから助けてください。

 ぶるぶる震えながら身体を丸めていると、しばらく経ったころに頭上から静かな声が降ってきました。



「……おまえ、総麻呂の知り合いなのか? 」



 その声は思っていたよりも若くて涼やかなものでした。
傍にたつ気配はさきほどの蛇骨婆のものに違いありません。
 そろそろと顔を上げると、涙で滲んだ幕の向こう、同じように立つ姿はやはり恐ろしい鬼の形相をした白い髪の老婆の姿でした。
 思わずひっと声を上げると、蛇骨婆は首を傾げます。そうしてはたと気づいたようにおもむろにその顔に手をかけました。

 すると驚くことにその顔はするりと「取れて」しまいました。

 唖然とする空太の前にあらわれたのは、空太よりいくつか年上であろう女の子の顔でした。手には取れた顔を――鬼の面を持っております。 どこかあどけない風情さえ感じさせる線の細い女の子ですが、ひとではありえないまっしろな髪に血のように赤い瞳をしておりました。

 鬼の面を外した女の子は、空太のようすをみて安心させるようそっと微笑みました。


「総麻呂かあ……懐かしいなあ。もう一年は会っていない。総麻呂は元気か? 」











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