シンデレラは有頂天でした。
なぜこんなにもうれしいのか自分でもわかりませんでしたが、とにかくとにかく嬉しかったので、馬車のなかでもにやにやとした笑いをとめられずにおりました。
馬車は素晴らしいはやさでお城にむかいます。
かぼちゃはとても豪奢な馬車に変化したので、すれ違う人々もびっくりしたように走りゆく馬車を眺めておりました。
お城についた途端、高らかなファンファーレが馬車を包みました。
あまりに豪奢な馬車だったので、お城の人たちもどこかの姫様がお忍びであらわれたと思ったのでした。
ともあれ有頂天なシンデレラにはそんなことはどうでもよく、ふわりと馬車から降り立つと、愛らしい笑顔を満面にふりまきました。
それは美しくも清楚で、誰もを魅了するような愛らしさに満ちておりました。
その愛らしさに周りのひとびとから感嘆の声があがります。
「なんと美しい」
「なんと可愛らしい」
「あの方はどこのお姫様かしら」
「みて、あの豪華で洗練されたドレスを」
「豪奢な馬車を」
「つややかな髪を」
「愛くるしい瞳を」
シンデレラはそのたびににっこりと微笑みました。
そうして微笑むたびに花のような美しさがいっそう増すので、ますます感嘆の声は深まるのでした。
その中にはシンデレラの継母と義理の姉の姿も混ざっておりました。
もちろん現れた少女がシンデレラだなどとは露とも思わず、ハンケチをぎりりと噛みしめていたのですが、その花のような美しさを見るうちに知らずに感嘆の声をあげておりました。
それほど、シンデレラの姿は美しかったのです。
すると突如としてシンデレラを囲っていた人垣が割れました。
その先にはひとりの美しい青年が感極まったようにシンデレラをみつめておりました。
金色の髪は太陽の光を集めたかのように光り輝き、碧い瞳は晴れ渡った空を切り取ってきたかのように美しくきらめいております。
すらりとした体躯に純白の豪奢な衣装を纏い、そうして金の糸で複雑に刺繍をほどこされたマントを羽織っておりました。
その胸に光る紋章は青年をこの国の王子であることを高らかに示しております。
青年はシンデレラの前に優雅に膝をつくと、目の前の少女を潤んだ熱い瞳で見上げました。
「美しいお嬢さん。ぼくと踊ってくれませんか」
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屋根裏へと続くはしごを昇ってくる足音に、灰色ネズミははっと顔をあげました。
さきほど遠くの方で鐘が鳴ったのをネズミは聞いていましたから、その足音の主が誰なのかはすぐにわかりました。
「シンデレラ? 」
そうして扉を開けて入ってきたシンデレラは、いつもの衣装に戻っておりました。
魔女の魔法は深夜12時まで。おそらくは帰る途中で魔法が解けてしまったのでしょう。
栗色の髪をたばねているのはいつもの赤いほっかむりだけでしたし、つぎはぎだらけのスカートは灰にまみれておりました。
「……」
シンデレラは、ベッドの上にちんまりと座っているネズミをみとめて、そうして少しだけ変な顔をしました。
ネズミはその顔にどきりとしました。
おそらくは今までいた素晴らしい世界との差異を感じて落胆してしまったのでしょう。
そう思うと汚いドブネズミの自分がこんなところに居ること自体が申し訳なくもなりました。
「おかえり、シンデレラ」
「うん……」
シンデレラはのそのそと屋根裏部屋に昇ってくると、ベッドにも座らずじっと俯いております。
ネズミは胸のところの白い毛をなんとなしにいじりながら、シンデレラの顔を見上げました。
「どうだった? 楽しかったかい? 」
「うん……」
「王子様には会えた? 」
「うん……すごく綺麗な人だったわ。あのね、着いてすぐにダンスの申し込みをされたのよ。
それからもバルコニーでずっとふたりでお話をしていたの」
「それはすごいね」
「でね、プロポーズもされたのよ」
「そう」
その言葉に、ネズミはほっと息を吐きました。
王子はすっかりシンデレラのことを気に入ったのでしょう。
それはネズミにとっても、とても喜ばしいことでした。
「それはよかった。君はこれできっと幸せになれるね」
「……」
心の底からそういうと、シンデレラははじめて顔をあげてネズミをみつめました。
やはり変な顔をしています。
「どうしたの? 」
「……べつに」
シンデレラは再び俯き、そうして両の手でスカートをぎゅうと握りしめました。
何かを考え込んでいるような、不思議そうな、不機嫌そうな、悲しそうな。シンデレラの頭の中を、そんないろいろな感情がぐるぐると渦巻いているのがなんとなしにわかりました。
だからネズミは首を傾げました。
行くときはあんなにはしゃいでいたのに、いったい何があったのでしょう。
思慮深いネズミはじっと考え込み、そうして違和感に気づいて声をあげました。
「シンデレラ、足はどうしたの? 」
「あ……」
シンデレラは透明に輝くガラスの靴を履いておりました。
しかしそれは何故か左足だけで、対する右足はむきだしのままでした。
そのまま歩いてきたのでしょう。右足はどろどろに汚れておりました。
「ええとね、12時の鐘が鳴ったから帰ろうと思って階段を走っていたの。
そうしたらガラスの靴がかたっぽ脱げちゃって……。でも魔法が解けそうだったから拾えなくて、そのまま帰ってきちゃったの」
「それは大変なことじゃないか」
「うん……どうしよう。これ、魔女さんに借りたものだったのよね。返せなくなっちゃった」
「そうじゃないよ」
ネズミがぴしゃりというと、シンデレラは目を丸くしました。
「はだしの足は大丈夫なの? 痛いところはない? 」
ネズミがちょろちょろとシンデレラの足元によると、シンデレラはネズミをみつめて糸の切れた人形のようにこくんと頷きました。
「うん……」
「一応きちんと洗ったほうが良いよ。傷口からよくないものが入り込んじゃったりすることがあるから」
「うん。うん……」
シンデレラは何度も頷きます。
そうして急にしゃがみこむと、ネズミをぎゅうと抱きしめました。
「わ。急にどうしたの? 」
「うん」
「変なシンデレラだなあ……ああ、そうか」
「……」
「慌てて帰ってきたから王子様にプロポーズの返事ができなかったんだ。だから落ち込んでいるんだね」
「……」
「大丈夫だよ。きっと、王子様はシンデレラを見つけ出してくれるよ」
「……」
ネズミはシンデレラをなんとか慰めようとその指をたふたふと叩きました。
しかしシンデレラは何も言わず、ただずっとネズミを抱きしめているばかりなのでした。
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