「ガラス越しの距離F」

「ガラス越しの距離:青少年の葛藤@」





久弥にとって真琴は、冷静で頼れる、誰より身近な「幼馴染」だった。




青少年の葛藤@








真琴とは生まれたときから家が隣どうしだった。
だから物心ついたときにはいつも側に居る存在だった。
久弥と真琴の母親同士が仲がよかったから、余計にそうなっていたのかもしれない。

真琴は小さな頃から静かな子供だったように思う。久弥のようにぎゃあぎゃあ騒ぐことも、声をあげて笑うこともあまりなかった。
真琴には10歳年上の兄がひとり居るが、彼もどちらかというと静かな人なので、もしかしたら遺伝というものなのかもしれなかった。
静かだったけれど、久弥は真琴のことが好きだった。
久弥の話をきちんと聞いてくれるし、困ったときには助けてくれる。転んで泣いていると、自分のポケットから絆創膏を出して貼ってくれていたのはいつも真琴だった。横断歩道を渡るときは必ず手をつないでくれていた。その小さなてのひらが、とても頼もしかったのを覚えている。
遊びに誘うと必ず付いてくるし、久弥が読めない絵本だって読んでくれた。
真琴は頭が良くて、幼稚園前からひらがなもカタカナも、全部読むことが出来た。だから久弥はよく真琴にせがんで読んでもらっていたのだ。

幼稚園も小学校も、もちろん同じところに通うことになった。
あいかわらず真琴は頭がいいし頼れる存在だった。顔もしっかりしていそうな造りをしているせいか、クラスメイトにも頼られることが多くなっていた。
ほんの少しばかり引っ込み思案なところがあって、実のところ努力家でもあったのだけれど、頼られると断ることができないようだった。そうしてこっそりおなかをおさえている。そうしてそのことに気づいているのはどうやら久弥だけのようなのが不思議だった。
「真琴、おなか痛いの? 」
「……なんでわかる? 」
そう聞くと真琴はいつもびっくりしたようだった。けれど久弥にとっては見てればわかることだったので、真琴の質問の意味こそがわからなかった。

久弥が初恋をしたのは小学3年生の頃だった。相手はクラスの中でも一番可愛い女の子で、長い髪の毛がとても似合っていた。
久弥は真琴になんでも報告していたので、もちろんそのことも話していた。
その子の髪型がとても可愛かったこと。ピアノを習っていて、とてもうまいこと。消しゴムを貸してくれたこと。
「……ふうん」
真琴はいつものようにクールだった。そうしてそのころから、親身になってアドバイスをしてくれていた。
だから久弥は真琴のことが好きだった。とてもいい奴だ。そう思っていた。


中学になって、久弥はようやく真琴の背を追い抜くことが出来た。小さな頃から真琴の方が大きかったので、これは革命的なことだった。
「へっへっへ。ようやく追い抜いた! 」
そういって胸を張ったが、真琴はくやしそうなそぶりは見せなかった。ただ珍しく目をぱちぱちさせてヒサヤを見上げだけだった。
そのころから真琴は久弥の手をひくことはなくなった。まあ久弥だっていつまでも横断歩道で危なっかしい子供ではない。だから気にもしなかった。

同じクラスでないときも、別段気にはならなかった。
何故なら久弥は毎晩真琴の部屋に通っていたからだった。
そうしていろいろな話をする。恋愛相談も、包み隠さず、すべて。
真琴は時折面倒くさそうにしながらも、それでも久弥の話をきちんと聞いてくれた。

高校になっても、それは同じことだった。
真琴は真琴で、いつまでも変わりがなかった。
相変わらず冷静で頼りになる。そうして結局のところ、なんだかんだで優しかった。
だから久弥も真琴のことが変わらず好きだった。
もちろん、幼馴染として。


しかしそれが一夜にして、180度変わってしまった。



その日は、なんの変哲のない日のはずだった。
むしろテストが終わった日だったので、ご機嫌で過ごせるはずの日だったのだ。
だから真琴のところに行った。
真琴がまた腹を痛そうにしていたので、同級生の藤堂に教えてもらったココアを作って持っていった。
そうしたら、だ。

「いつもお前に被っている迷惑料を、身体で払ってもらおう」
そういった真琴は何故だか頬を染めていた。
「私が眠ってしまうまで、一緒に寝て、子守唄を歌えといっているんだ」
いつもの冷静な真琴じゃない。
久弥の服の裾を掴んで、頬を染めている真琴は、れっきとした「女の子」に見えた。
普通に「甘える」ということをしている「女の子」に。


それに、自分の心が反応した。


正直、可愛いと思った。
相手が「真琴」なのに、凄く可愛く思えた。
もともと久弥は真琴のことが好きだった。けれどもそれは幼馴染としてのことだった。
初恋の時のように心臓がどきどきした。子供じゃあるまいし。そう思うが頭に血が上ってくるのを止められなかった。

その夜は真琴の言うとおり一緒に寝た。
寝るといってもその名の通り「寝る」だけだ。いつものように。
真琴がすぐに寝入ってしまったので子守唄までは歌わずにすんだ。だからすぐに帰っても良かったのだが、しかし久弥はなかなか動けなかった。
正確に言うならがちがちに緊張してしまっていた。
背中合わせに寝ている「幼馴染」は意識すればするほど「女の子」だった。小さくて、柔らかくて、くらくらするような、とても良い匂いがした。
そのことに今まで気づかなかった自分にあきれた。
兄とも弟ともとれるほどに近い存在だった。幼馴染という気心のしれた、誰より身近な存在だった。
だけどもこれは、「女の子」だ。
れっきとした、「女の子」だったのだ。
昨日までの自分の方がおかしかった。よくも平然としていられたものだ。
真琴の匂いに包まれながら、混乱する頭の中でそう思った。


――このままではヤバイ。

そう思ったのでそろそろと布団からはい出る。
ちらりと真琴を見ると布団の裾がめくれて、これまで思っていたよりも遙かに小さな真琴の背中が見えた。ほどいている髪の毛も艶やかに綺麗で、それにさらにどきりとした。
緊張する手で布団を直す。
すると気配に気づいたのだろう。真琴が目を開けた。
眠そうにぼんやりした瞳が久弥を捕らえる。
二、三度瞬きをして、そうして。

それはそれは愛らしく、笑った。

「……ありがとう、久弥」

起きているときの真琴なら見せないだろう、あまりに無防備な笑顔だった。
久弥の脳が沸騰する。
このとき、久弥が本能をおされられたのは奇跡に近かった。
あわてて窓ガラスを開けて外に出る。
外のひんやりした風がほてっている頬に当たって、それに少しだけ我に返った。
「……うわ……」
久弥はその場にしゃがみこむ。
がっくりと項垂れ、そうしてつぶやいた。


「……これは……やべえ」


これが神崎久弥という少年の、正直すぎる感想だった。




2011・1・16





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