「幼馴染としての」 |
「真琴、ごめん」 昔から久弥は素直に謝ることのできる性格をしていた。 喧嘩をしてもほとんどは何もなかったかのように仲直りをすることが多いふたりだったが、それでも時々は本気で怒ることもある。 そんなとき素直に謝ってくるのは久弥のほうだった。 いつものようにベランダからやってきて、しゅんとしながら謝ってくる。 そのときには久弥にとっての宝物を手土産にもってくることも多かった。 だから真琴の机の中には今でも、お菓子のおまけのシールやらガラスの欠片など、謎の品物がたくさんしまわれている。 しかし、反対に真琴はなかなか謝れなかった。 自分が悪いことをしたとわかっていても、久弥のように無防備に謝れない。 しかし2日もすると久弥はけろっとした表情で部屋にやってくるので、うやむやになってしまうことも多かった。
幼馴染としての
今回のことはどうなのだろう。 真琴は枕に顔を埋めながら考える。 今日は、ふとすると昨夜の久弥の顔やことばが脳裏に浮かんできて、頭が沸騰しそうになる1日だった。 普通に学校に行って級友と話していても、昨晩のことが頭から離れない。 自分の部屋から久弥の部屋を見ただけで、そのまま卒倒しそうになった。 昨日、部屋を出て行った久弥はあれきり戻ってこなかった。 真琴はなんとかベランダを越えるとそのままベッドに倒れこんだ。 一睡も出来ず、そうして今もまた眠れそうにはなかった。 昨日の久弥の言葉。態度。 それを考えてみると、答えは明白だ。 つまりは、真琴と同じようなことを久弥も思っているということだった。 絶対に縮まらないと思っていた距離。 それが、いきなりだ。 あまりに突然すぎた。 この間まで、なんとも思っていなかったくせに。 「真琴」 こつん、とガラスが音を立てた。そうして響いてきた聞きなれた声に真琴はびくりとする。 ちょっと待て、と思った。 心の準備がまだ出来ていない。 だいたい、何を話せばいいというのだろう。 これまでの想いをぶちまければいいのだろうか。 十数年も抱えてきた、隠していたものを、今、ここで。 跳ね続ける心臓を押さえながら窓ガラスを見る。 しかし、向こうに居るはずの久弥は入ってこなかった。 カーテンをひいていあるせいで、その姿を見ることもない。 こつん。 もう一度音が鳴る。 「真琴、話があるんだけど……起きてる? 」 その声に、真琴は覚悟を決めた。 今にも泣きそうな、しょんぼりとした声音には聞き覚えがある。 喧嘩した時にいつも、謝りにやってくる久弥の声だ。 この声には弱い。 悔しいけれど、昔からこんなときの久弥を放って置くなんてできなかった。 「……うん」 大きく息を吐いて、吸って。 出来うる限り冷静を装って、真琴は声を出した。 「起きてる」 カーテンを開けると予想通り、しょんぼりとした体の久弥が立っていた。 今日はベランダを越えてきている。 それを認めて窓ガラスを開けようとすると、久弥の慌てたような声がガラス越しに響いてきた。 「あ、そのままでいい」 「……は? 」 「声、聞こえるだろ。ならそのままでいいからさ、聞いて」 怪訝そうな顔を向けると、久弥は少しだけ困ったように笑った。 その顔は昨日よりもかすかにやつれて見える。 「わかった」 真琴は頷いた。そうしてガラスに出来るだけ近づく。 今、二階には真琴しか居ない。だから久弥との会話を誰かに聞かれるようなことはないだろうけれど、それでも大きな声で話すような内容ではないだろう。 だからガラス越しとはいえ久弥に近い距離に立ち、そうしてその顔を見上げた。 心臓が五月蝿いほどに鳴っている。 たぶん、自分のことだからそれほど表情には出ていない。 しかし今の真琴は、これ以上ないほど緊張していた。 隠して隠して、絶対に打ち明けることの無いと思っていた恋だった。 だけれどたぶん今が、この距離を変えることのできる最大のチャンスであることは明白なのだ。 真琴の視線を受けて、久弥がひゅっと息を飲んだのがわかった。そうしてゆるゆると顔を強張らせる。 「……真琴」 「うん」 「昨日は、ごめん」 久弥の表情は真剣そのものだった。 そうしておもむろにその頭を下げる。 「本当にごめん。おれ、真琴にひどいことしようとした。ごめん。本当に、ごめん」 それはまっすぐな謝罪の言葉だった。 もしかしたら真琴と同じく、久弥も一睡もしていないのかもしれない。 いや、たぶん。きっと。 「ごめん」 「……うん」 「ごめんな」 「うん。もう、いいよ……」 真琴はそっと息を吐いた。 本当なら、久弥が謝ることなんてないのだ。 本当は嬉しかった。ただ、驚いただけだ。 だから今、真琴はそれを伝えなければならなかった。 そう思い、今は頭のてっぺんしか見えない久弥の名前を呼ぶ。 「久弥」 「……」 「わ、私はな……」 すると久弥はぱっとその顔を挙げた。 「だけど大丈夫。オレ、もう絶対、こんなことしないから」 「え」 「絶対、絶対しないから。もう真琴を変な目で見たりなんかしない。オレ、ちゃんと好きな女の子みつけるし、彼女もつくる」 「え、ちょっと、待て……」 「大丈夫。できる。だからお前だって気にせずに、ちゃんと彼氏つくってな」 「……」 「そのほうがいいよな。……幼馴染のままのほうが、いいよな。うん」 「……」 「わかってるから」 真琴は呆然とした。 話が変なほうに流れていっている気がする。 しかし言い募る久弥の目は、あまりに真剣そのものだった。 「だから……だから、今までどおりでいてくれよな」 「…………」 真琴の沈黙をどう捕らえたのかわからない。 しかし久弥はにこりと笑うと、すぐに窓ガラスから離れてベランダを越えていってしまった。 ひきとめる暇も無い。 「じゃあな!」 手を振り部屋の中へ消えていく幼馴染の姿を、真琴はただ呆然と見送っていた。 2011・1・8 ガラス越しの距離Fへ 戻る |