「素直すぎる告白」 |
久弥との喧嘩はそう長く続かない。 小さな頃からそうだった。 喧嘩をしても長引かない。 どちらかがきちんと謝っていなくても、1日も経つといつの間にやら仲直りをしている。 おそらくはこどもの兄弟喧嘩みたいなものなのだろうと真琴は思う。 ぎすぎすするのも時間の問題。どうせいつも顔を合わせるのだから怒っているのが馬鹿らしい。 そう思えるほどに近しい関係。 真琴には兄がひとり居るが、年が離れている為かそんなに喧嘩をしたことはない。 むしろするのは久弥とで、だからこそこの度の喧嘩の長さは驚くべきことだった。 なにせ、1週間も話していないのだ。
素直すぎる告白
久弥とベランダ越しに喧嘩をしてから1週間経った。 あいかわらず久弥は真琴の部屋にやってくる気配はない。 しかし、だからこそわかることがあった。 久弥がやってこなければ、自分達の接点は絶たれてしまうということだった。 高校が違うから日中に会うことはない。 朝も夕方も、通学時間帯が違うから顔を合わせることもない。 メールアドレスも携帯番号も知っているから連絡手段はある。 しかしいままでそれを使ったことはなかったから、なにを話せばいいのかもわからなかった。 とはいえこのままでいいはずがない。 真琴は動く気配のない窓ガラスを睨みながら思った。 久弥のくせになにを考えているのか知らないが、いつものようにやって来ればいいのに。 私が怒ってようと落ち込んでいようと、自分の思うままに無神経に振る舞えばいいのに。 そうしないと、会えないのに。 時計の秒針の刻む音がやけに大きく感じられる。それほどに、今のこの部屋は静かだった。 いままではそんなこと感じたことはない。 だとしたら、それは何故なのか。 真琴は思い、そうしてその答えを考えるだけで気分が落ち込んできた。 結局のところ、結論はひとつだけ。 ――「会いたい」ということだけ。 真琴は窓ガラスを睨みつける。 ずるい、と思った。 どうせこんな風に思っているのも自分だけなのだ。たぶん久弥はなにも考えていない。 きっと自分の生活が忙しくて真琴のことなどかまっていられなくなったのだ。 いつかはこうなるとは思っていた。 だけど……。 「久弥! 」 そうして真琴が取った行動は、いつもの彼女らしからぬものだった。 突然窓ガラスを開けてやってきた真琴を見て久弥はぽかんとする。ついで慌てたように寝転がっていたベットから起き上がった。 「ちょっ、まっ、えっ、なっ、まこ……えええーっ!? 」 「邪魔をする。異論は認めない」 「ええ――っ! 」 「お前だっていつもやっていたじゃないか」 「え、いや、そうだけど、いや、今はお前、おれは頑張って行くのを我慢してるってゆーかだな……」 「うるさい! 」 真琴はなにやらぐたぐた言っている久弥を無視して部屋の中に入り込んだ。 久弥の部屋はあいかわらず汚い。 床は雑誌やら服やらがちらばっているので、唯一スペースの開いているベットに腰掛けると、同じようにベットの上にいた久弥がぎょっとしたように身を引いた。 そのようすに真琴はむっとする。ふつふつと怒りが湧いてくるのがわかった。 「逃げるほど気持ち悪いのかな、私は」 そもそも喧嘩の原因はそれだった。 いきなり久弥の様子がかわって、真琴のことを気持ち悪いだの変だのと言ってきた。 真琴の口調はたしかに変わっている。それも要因のひとつであるのかもしれないと、その後思った。 いつもはそんな口調はしないが、久弥や、家族でいる時にはこのような口調になる。 けれどもそれはほんの小さい頃からのものだし、それを治せと矯正されたこともなかった。 これまで久弥だって、そんなことを言ったことはなかったのに。 そう考えると、ますます怒りが募ってきた。 何故だか壁際にべったりとすり寄っている久弥を睨みつける。 「このあいだのことをどう思っているのか聞きにきたのだが」 「へ? 」 「気持ち悪いだの変だの、好き放題言ってくれただろう」 「え」 久弥は呆けたような顔をしている。だいたいマヌケな顔をしているが、今日のそれはいつも以上だった。 「正直私は傷ついたんだが。それなのに謝りにもこないとはどういうことだ。お前がそんなに薄情だったとは知らなかったよ」 「ああ、うん」 「ああうん、じゃない! 」 真琴がぴしゃりと言ってやると、久弥は困ったように頭をかいた。 「そうか、傷ついてたのか……。いや、違うよ。あのときの発言は、真琴のことが気持ち悪いと言ったわけじゃない」 「……」 「でもごめん。勘違いさせてたんだな……。はあ。駄目だな、オレって」 久弥の言葉に、今度は真琴がきょとんとした。 「勘違い? 」 「うん。オレが真琴のことを気持ち悪いとか、絶対思うわけないじゃん」 「あ、ああ、そう、かな……」 やたらあっさりといいきる幼馴染に、うかつにも真琴はひるんでしまった。 しかしそんな真琴に気づいたようすもなく久弥は続ける。 「気持ち悪いのはオレの方だよ。もうさ、なんか最低だって思ってさあ」 この間の時と同様、久弥は目を合わせない。それをじれったく思いつつ、真琴は尋ね返した。 「なにが? 」 久弥は小さく息を吐く。そうしてそわそわと枕に手を伸ばし、それを抱え込んだ姿勢でもう一度息を吐いた。 「お前はさあ、幼馴染じゃん」 「ああ」 「幼馴染であって、女じゃないじゃん」 さらりと言われたその言葉に真琴は唖然とした。 消えかけていた怒りがふつふつと再熱する。 「……おい。何を勘違いしているか知らんが生物学的には私はれっきとした女性というやつなんだが」 「わっ! い、今はわかってるから近寄るなって! 」 ベットの上でにじり寄ると、何故だか久弥は悲鳴に似た声をあげた。 「もうわかったんだよ。だから悩んでるんじゃん! 」 「は? 」 真琴はきょとんとする。至近距離にある久弥の顔はゆでだこのように真っ赤に染まっていて、それを不思議に思った。 「何を」 「だから……」 真琴の目の前の幼馴染は、真っ赤な顔のまま片手で枕を抱え込み、空いたほうの手で頭をかきむしっている。うう、と唸り、視線を宙に彷徨わせたりするようすは確かにいつもの久弥ではなかった。 「……お、オレはさ」 「ああ」 「真琴のこと、当たり前に好きだよ」 「…………っ 」 顔を赤に染めて言う幼馴染の言葉に、瞬間的に真琴の心臓が跳ね上がった。 久弥はぽつぽつと続ける。 「だって、ずっと一緒に居たし。もちろん好きなわけだよ。たぶんさ、一番好きかもしんない」 「…………」 「男女とか関係なく。ひとりの友達としてさ」 「…………」 「だからさ、お前が女の子ってわかったからって、いきなり意識して、そういう対象にみるのなんてなんかおかしいじゃん」 「…………」 「好きなのにさ、純粋に好きだったのにさ、いきなりそんな風に見てさ……」 「…………」 「オレって最低だよ……」 久弥の告白の間、真琴はぴくりとも動けなかった。 この幼馴染は素直すぎる。こんなことまで他人に伝えることじゃないだろう。 そうは思うが、それこそが久弥と真琴の関係だった。 久弥が自分の思ったことをなんでも伝えて、それを真琴が受け止めて。 それがふたりの関係だった。 だからこそ仕方がない。 仕方がない、のに。 久弥の心の変化や機微をあまりに如実に伝えられて、真琴の頭は破裂寸前の状態になっていた。 久弥はそんな真琴の様子には気づかないようだった。 抱え込んだ枕を抱きつぶすようにして小さく続ける。 「ごめんな、真琴」 「…………」 「…………なあ、お前はさ、どう思う」 「…………」 「オレのこと、男だって思ったことある? 」 「…………」 「んなわけないよなあ。だったら一緒にベットで眠ったりしないよな」 「…………」 「…………真琴? 」 「…………」 「…………」 「…………」 久弥が口を閉ざすと部屋にはしんとした沈黙が落ちた。 真琴は、このときの自分がどんな表情をしていたのか知らない。 だから久弥の言葉が全部頭に染み込んでくるまでの間、ぼうっと久弥を眺めていた。 そのうちに久弥が不思議そうな表情がふいに真剣なものに変わる。 やがてそろそろと久弥の手が伸びてきて、真琴の髪に触れた。 「…………」 それでもただ呆然としていると、そうっと頭をひきよせられた。 そこでようやく気がついた。 そらされていた久弥の瞳が、自分のそれをじっとみつめていることに。 「…………真琴」 すごく近い距離にある久弥の瞳が潤んでいる。 声もうんと熱くて、それが注ぎ込まれる耳が燃えてしまいそうだと思った。 手が頬に触れてくる。 痛いくらい真剣な瞳が覗き込んでくる。 ゆるゆると距離が近づいてくる。 唇に、かすかに吐息が触れた。 「…………っ! 」 気がつくと、真琴は久弥の身体を思い切り突き飛ばしていた。 とはいえ男女の体格差は伊達ではなく、久弥はほんの少し真琴の身体から離れた位置で留まっている。 「あ……」 「……あ、ご、ごめん」 しかし久弥の顔はすでに蒼白だった。 強張った顔でそろそろと真琴から手を離す。 「本当にさ、オレって最低。ごめん。本当に、ごめん」 「…………」 「……ごめん……」 違う、と言いたかった。 嫌ではない。そんなこと思うはずがなかった。 ただ、あまりに急なことなので驚いた。 なんせ、怒りでこの部屋に踏み込んだときにはこんなことになるなんて思っていなかったのだ。 久弥の気持ちなんてしらなかった。 だって、急だ。 急すぎた。 こんなこと、考えもしていなかった。 いくら真琴の気持ちが昔からのもので、ちゃんと決まっていたものだとしても、久弥が変わるなんて思ってもみなかった。 ただ、それだけだ。 しかし真琴の口からは何も出てこなかった。 頭の中がいろんな思考でぐるぐるとしている。 「…………」 「…………」 久弥は視線を落とし、唇を噛み締めてじっとしている。 何かを言わなければ、と思うのだが真琴の頭はいつものように働いてはくれなかった。 こんなときに久弥をフォローするのは幼馴染である真琴であるはずだった。 だけども動けない。心臓ばかりがばくばくと動いていて、五月蝿いぐらいだった。 すると久弥がゆっくりと立ち上がった。ベットから降り、扉の方へと歩いていく。 それを見てようやく声が出た。 「……久弥」 声はからからに掠れている。 それでも久弥は気づいてくれたようだった。ちらりと振り返り、そうして目を伏せる。 あ、泣く。 そう思った。 小さなときの久弥のくせだ。それもわかっている。 しかし今の久弥は片手を挙げて頭をかく。 ついで涙のかわりに強張った苦笑を浮かべた。 「……ごめんな、真琴」 そうして何度目かの謝罪の言葉を残し、静かに部屋を出て行った。 2010・12・30 ガラス越しの距離Eへ 戻る |