とまどいの、交差点 |
久弥の様子が、このごろおかしい。
とまどいの、交差点
久弥が真琴の部屋に毎日やってくる。 雨に日も風の日も、喧嘩をした日も何もない日も。 毎日毎日やってくる。 それはベランダを越えることのできるようになった8歳ごろからは、息をするかのように当たり前のことだった。 だから久弥がこのように、3日間もやってこないなんて青天の霹靂のことなのである。 テスト期間も無事に終わり、ようやく日常の平和が戻ってくると息をついていた真琴の心配事は、3日間音沙汰なしの幼馴染のことだった。 1日目、2日目。 そうして3日目になってようやく勇気を出して布団たたきを持ち出す。そうしてベランダから久弥の部屋の窓ガラスをつついてみた。 「風邪でもひいたのかい? ナントカは風邪はひかないと聞いたことがあるんだが」 そうして顔を出した幼馴染に、いつものような言葉をかける。すると顔を出した幼馴染はその言葉に返事もせず、なにやら呆けたように自分をみつめてきた。 「……なんだ? 」 「……いや、なんか、お前……変わった? 」 「はあ? 」 今度は真琴がぽかんとする番だった。布団たたきを手にしている以外、普段と変わらない服装である。中学時代のジャージに、暑いので半袖のシャツ。風呂上りなので濡れた髪をポニーテールに括っているが、これも風呂上りならいつものことだった。 「何が? 」 「いや、なんか、その……なんかなー」 久弥ははっきり答えない。なにやらもごもごとして困った様子だった。とりあえずは病気ではなさそうだ。そう判断した真琴だったが、では久弥が何故3日も来なかったのかは理解できなかった。 「ではどうして3日も……もしかして、怪我でもしたとか? 」 「……え? なんでそうなんの? 」 「だって、お前が3日も来ないから」 真琴はさらりと答えたが、目を丸くした幼馴染の顔を見た瞬間に自分の心臓が飛び跳ねるのを感じた。 あまりに簡単に答えてしまったが、今のは「お前が来ないから寂しかった」と言っているようなものだった。 「お。おい、誤解するんじゃないぞ。私は心配してやっていたんだ」 真琴は慌てて言い添えた。 久弥のことだから「寂しかった? 寂しかった? 」と言って大喜びするにきまっているのだ。そして「真琴はしょーがないなー。甘えんぼだなー」とか言いながらにやにやする。 小さな頃からそうだった。 久弥はいつも真琴を頼りにしている風だったから、逆の立場になるとここぞとばかりにお兄さんぶってくるのだ。 しかし、今日の久弥は違った。 「あ、うん。だよなー」 それだけである。 真琴は拍子抜けした。これは本格的におかしい。 「久弥、何かあったのか? 」 「いや、別に」 「何もないならどうして目を合わせないんだ」 「いや、ええと」 「久弥」 名前を呼ぶと、久弥は観念したように目を合わせてきた。 しかしそれはすぐに逸らされる。 「なんか、変なんだよなあ」 「なにが」 「なんか違う。なんか気持ち悪い」 「気持ち悪い、だと」 さすがの真琴もカチンと来た。花の女子高生をつかまえて気持ち悪いとはなんという言い草だろう。 そりゃあ自分はちっとも女の子らしくはないけれど、可愛らしくもないけれど。 これはあまりにひどすぎるのではないだろうか。 「こんなんじゃ、なんか落ち着かないというか……」 久弥は片手でがしがしと頭をかいた。 その表情はみるからに困り果てていて、なにかに悩んでいることは明らかなようだった。 しかし。 「たぶん、やばい。たぶん、真琴が」 「……」 「そんなん嫌じゃん」 「…………」 「なんか、可哀想じゃん。そうなったら」 久弥が何かに悩んでいることはわかる。 しかしそれでどうして真琴に暴言をはいてくるのだろう。 まったくもって、それはおかしい。 自分は心配していたのに。会えなくて……認めたくないが、とても寂しかったのに。 そう思うとふつふつと怒りがこみあげてきた。 「……気持ち悪いだのヤバイだの嫌だの可哀想だの、随分な言い草じゃないか」 思わず低い声が零れ出る。 真琴の怒りに気づいたのだろう。 久弥がようやくこちらを向く。そうしてぎっととしたように目を見開いた。 「え、いや、そういう意味じゃ……」 「もういい」 「ま、真琴……」 真琴はくるりと踵を返した。 まったく、人がどれだけ心配したと思っている。会いたかったと思っている。 勇気を出して、布団たたきまで持ち出して。 それでこのザマだなんて、泣けてくる。 「気持ち悪い女で……わるかったな」 そう吐き捨ててガラスを閉める瞬間、身を乗り出した久弥が何か言いかけているのがわかったが、真琴はそれにはかまわなかった。 いつも強がっている自分が泣きだしそうな姿なんて、一瞬たりとも見せたくなかったのである。
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2010・12・18 ガラス越しの距離Dへ 戻る |