「みえるもの、みえないもの」

ガラス越しの距離B






「拙者、本日をもってテストが終わりましたであります! 」
部屋に入ってくるなりそう宣言した幼馴染を見ながら、真琴は眉をひそめた。
「……はあ? 」
「だから明日は遊びたい所存であります。遊び倒したい所存であります」
「……そうか。それはよかったな」
真琴はくるりとシャープペンシルを回し、そうして参考書へと視線を戻した。
「えっそれだけ!? 」
「……他にどういうリアクションをしろと 」
呆れた目線を長馴染みに向けると、久弥は入ってきたばかりの窓にもたれかかり、わざとらしく肩をすくめた。
「もう、真琴は相変わらずノリが悪いなー。テストが終わったんだからはじけちゃってもいいと思うわけですよ、ボクは」
「あいにくと私の方は終わっていない」
「は? 」
「うちの高校はあと1日テストがあるんだ。わかったら速やかにその五月蝿い口を閉じて出て行け。というか縫い付けてしまえ。いやむしろ捨てさってしまえ。それは立派な騒音障害に該当している」
「うおう、いつになく毒舌」
真琴は再度視線を参考書に戻す。勉強は嫌いではないがテストというものは苦手だった。制限時間内に求められたことをやりとげなければならない状況というのが苦手なのかもしれない。要するに自分は緊張しやすいのだ。
外見のせいだろう。そうみられることなどほとんどないが、実のところ神経が細かいのだろうと思う。
「そっかあかわいそうだなあ真琴。俺は終わったけど。俺は終わったけど! 」
「うるさい。何故二回言うんだ」
「はっ! 大事なことだからです! 」
相変わらず無神経を具現化したような性格の幼馴染は明るい声をあげながら、後ろにある真琴のベッドに飛び乗った。いつものことだが、帰るつもりなど毛頭ないらしい。
真琴は大きく息を吐いた。実のところ幼馴染の行動には慣れきってしまっている。久弥の五月蝿い声をBGMに勉強するなど朝飯前のはなしだった。だいたい、明日のテスト勉強だってきちんとしているのだ。範囲は5遍は軽くやりきった。
問題なのはただひとつ。
明日のテストのことを考えると緊張して眠れないということだった。体調を万全にしておかないと出せる結果も出せない。
それはわかっているのだが、そう思えば思うほど眠れなくなってくる。そうして胃が痛くなる。
真琴はそっと胃の上を撫でた。

とても苦しい悪循環。
そんなこと、誰にも言えないけれど。







ガラス越しの距離B








真琴は自分の外見があまり好きではなかった。
幼い頃から「真琴ちゃんはきれいな顔をしてるねえ〜」と言われることもあったが、同時に「でもきつい顔立ちでもあるわね。女の子は笑顔が大事なのよ」と言われることも多かったからだ。
正直、損ばかりしていたようにも思う。「しっかりしている」と思われて教師から学級委員に任命されたり、班活動のリーダーにされてしまうこともしばしばだった。
「しっかりしている」「頭がいい」。
第一印象で勝手にそう判断される要員が、おそらくはきつめの顔立ちのせいだと気づいたのは小学5年生の頃。そうしてその印象と違う自分を見せて、人にがっかりされることが怖いと思っている自分を認識したのもその頃だった。
だからいつも、自分の持っている能力以上に肩肘をはっていたように思う。頑張って頑張って、そうしてようやく与えられた物事をこなすことができる。真琴はそんな子供だった。
「さすがだね」。そう言われる事が嬉しいわけではない。ただ期待を裏切ったあとに自分が嫌われてしまうのが怖かったのだ。

高校を、親の望むところに決めたのもそういう理由だった。別に親に愛情をもらっていないわけでもない。むしろ大切にしてもらっていると思う。しかし、だからこそ嫌われたくなかった。
結局のところ、自分は神経が細いのだと真琴は思う。強がって、出来る子に見られたくて、精一杯背伸びをしている。

だからこうして―胃が痛くなるのだ。


机の下でこっそり腹を押さえていると、ふいに背後で明るい声があがった。
「あ。真琴、台所借りるな! 」
久弥である。幼い頃から無神経で能天気な性格の幼馴染は、真琴のことなど気にもせずに、鼻歌を歌いながら階下に降りていった。そうしてすぐに階下から明るい笑い声が響いてきた。
真琴の家では久弥は家族も同然である。両親も久弥のことをまるで息子のように可愛がっているふしがあった。
いつもは人懐こい久弥のことが羨ましかったが、さすがに今日はいらついた。自分がこんな目にあっているのにどうして久弥だけは楽しそうなんだと、勝手に腹を立てる。八つ当たりだということはわかっているが、それでも苛々する気持ちを止められなかった。


だからコップを片手に部屋に戻ってきた久弥を苛立ちのままににらみつける。
いい加減帰れ。邪魔なんだ。人の迷惑ぐらい考えろ。
そう言おうとした真琴だったが、その言葉は結局表に出ることはなかった。
久弥が、こう言ったからである。

「ほら、ホットココア作ってきたから飲めよ。真琴さあ、また腹が痛いんだろ? 」
「……」
真琴は思わずぽかんとした。気づいていたのか。そのことに驚き、そうして同時に「ああ、そうだった」とも思った。


そうだ。久弥は、いつも……。


「え。なんで青陵高校受けねえの? お前が受けるっていったから、俺、青陵頑張ってんのにさー」
「……聖マリは都内で一番の女子高だからな。担任もそこをすすめてきた。まあ、嫌じゃなかったし、妥当なところだろ」
「担任も、“も”? あーそうかあ。おばさんが昔憧れた高校だったっけ? そこ」
「……」
「……しっかたねーなあ。お前、親に優しいのはいいけど、無理はすんなよなー」


空気も読まないし、とてつもなく無神経なくせに。
自分の恋心にだって気づくそぶりもないくせに、気づかれたくないことだけはすぐに見通してくる。


そうして今現在。
鈍感極まりないはずの男は、満面の笑みを浮かべて真琴の目の前に居る。
「それな、学校のやつに習ったんだ。作るのめんどくさいココアなんだぜ〜? ココアをな、牛乳でじっくり練ってのばすの。だから心して飲むがいいよ」
「……」
「で、飲んだらもう寝ろよなー。調子わるいのに勉強したって意味ないじゃん」
「……」
「なんならむかしみたいに一緒に寝て子守唄うたってやるからさー。なんつってー」
「……」
「ん? 真琴……怒った? やだなー久弥くんの冗談だってば」
けらけらと笑う久弥を尻目に、真琴は渡されたホットココアを一気に飲みほした。甘くてあたたかなものが胸元に広がっていく。
おいしい。たしかにおいしいが、それだけではない。
「わかったよ。たしかにお前の言うことにも一理ある。もう寝よう」
「うん、それがいいや。じゃ、今日は遠慮して帰るわ」
「……」


神埼久弥はにっこりと笑うといつものように窓枠に足をかけた。
じゃあな、と言おうとしてその動きがぴたりと止まる。ゆるゆると目線は下がり、自分のトレーナーの袖口で止まった。
正確には、袖口を掴んでいる真琴の手に。
「ええと、真琴さん? 」
「いつもお前に被っている迷惑料を身体で払ってもらおう」
「は? 」
「だから、お前がさっき言ったろうが」
目の前の真琴は目を合わせない。
しかしすぐに開き直ったように久弥の目を覗き込むと、こう宣言した。
「私が眠ってしまうまで、一緒に寝て、子守唄を歌えといってるんだ」


久弥はほんの少しだけうろたえた。
一緒に寝るのはいつものこと。
彼にとってそれは、別段恥ずかしいことではない。


問題なのは、何故だか頬を染めている幼馴染がはじめて、そう……生まれてはじめて、れっきとした『女の子』に見えてしまったからである。













みえるもの、みえないもの




2010・12・12








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