「ガラス越しの距離L」

「ガラス越しの距離L:存在理由の果て」




幼馴染でいよう。
この関係を続けたくてそう決意した久弥だったが、しかし、あれからずっと真琴とろくに話せずにいた。

「あのさ、マコト……」
「悪い。忙しいんだ」

ベランダ越しに声をかけても真琴はそっけない。
あっさりとそう答えてカーテンの向こうに姿を消す幼馴染をみやって久弥は泣きたくなった。ついに嫌われてしまったのだ。しかしそれを認めるのが嫌で、毎晩こうして声をかけ続けている。
可能なら、時間を戻してあんなことをする前に戻りたい。
しょんぼりとそう思いながら部屋に戻ると、携帯に新しいメールが届いていた。

久留巳さやか。

それは久弥の「仮のカノジョ」の名前だった。
2週間のお試し期間。そうして明日はその期日になる。

明日のデート、楽しみにしてるね。
何を着ようか迷っているところだったりします。久弥くんはどんな服装が好きなのか教えて欲しいな。

可愛らしい絵文字付きで送られてきたメールに、正直久弥は困惑した。
学校の中でも1,2を争う美人と名高い少女。そんな女の子と付き合えるなんて本当に僥倖なことに違いない。
それに、取りえのない自分を好きだといってくれただけでも嬉しかった。それだけでも有り難いと、本当に思っている。
だけどもその気持ちを利用するのはどうだろう。
久弥はメールの画面をみつめた。返信ボタンを押そうとした指が止まる。

久弥はベランダ越しに見える窓ガラスをみやった。
真琴のことがたまらなく懐かしかった。
毎日当たり前のように側に居た。なんでも相談してきた。
側に居るのが当たり前で、居なくなるということが起こるなんて考えたこともなかった。
真琴は誰よりも優しかった。
誰よりも厳しいくせに誰よりも優しくて、結果、久弥はとても大切にされていたのだと思う。
それなのに自分は、幼馴染という一線を踏み越えようとした。
あんなに大切にされていたのに、恩を仇で返したのだ。

――だけど、司なら。

久弥はそう思いながらベッドにごろりと横になった。
毎日ちらりとだけ顔を見せる真琴は、日に日に綺麗になっていくように思う。それが、「付き合っている」司のおかげであることはあまりにも明白だった。
あれから、司は真琴のことについては何も語らない。けれども頻繁に会っているようすはあった。
付き合っているなら当たり前のことだ。だから久弥も、いくら心臓がじりじりと痛んだとしてもそれ以上のことは聞けなかった。
天井に向かって手を伸ばす。
自分の骨ばったてのひらを広げて、そして思った。
もうあのちいさな手が、自分の手をひいてくれることはない。


だから、自分で答えを出さなければならないのだ。




存在理由の果て








デートの待ち合わせ場所に現れた男に、久留巳は思わず舌打ちをならした。
勿論聞こえるようなヘマはしない。けれどもうんざりとする気持ちは押さえられなかった。

―こいつ、普段着で此処にくるなんてどういう神経してんのよ。

都心の駅前。人通りは多く、若者の待ち合わせ場所として有名なこの場所に普段着でのこのこ現れる神経が、久留巳には理解できなかった。
というか恥ずかしい。こんな服の男と一緒に歩いているところを他人にみられるなんて恥でしかなかった。
「久留巳さん、ごめん」
待ち合わせの男、神埼久弥は走ってきたようだった。汗だくで、髪の毛もぼさぼさに乱れている。
ここは献身的な彼女としてはハンカチでも出した方がいいのだろう。そう思ったが他人の目が気になってそこまでは出来なかった。だいたいハンカチが汚れるのも嫌だ。これはブランド物だし。
対する男はぜいぜいと荒れる息をなんとか整えると、もう一度ごめんと言った。そうして続ける。
「久留巳さん、あの、話があるんだ」
「話? 」
久留巳は首を傾げて見せた
「できれば、静かなところで……」
おずおずと神埼久弥は言った。

まったく、まさか来て早々ホテルに連れ込もうっての?気持ち悪。
そううんざりしながらも、笑顔で歩き出そうとした久留巳を止めたのは久弥自身だった。
「いや、あそこでいいよ」
は?ここでいい?
さすがに驚いた久留巳をひっぱって、広場の端に移動する。植え込みの影、人の少ない場所に来た久弥は、乱れた髪を撫で付けると、こころもち顔を引き締めて久留巳の名前を呼んだ。
「久留巳さん」
「……なあに」
ああ、なるほど。久留巳は内心でほくそ笑んだ。
「お試し期間」の答えをくれるというのだろう。まあ、その答えはすでにわかっている。
わざわざこんな風に小学生みたいに言うことないのに。馬鹿な奴。
そうは思ったけれど、久留巳は上目遣いに久弥をみつめてやった。
自分でも一番可愛い角度で目の前の場かな男の瞳をのぞきこんでやる。そうすると、神埼久弥はかすかにとまどったようだった。
まあ当然だわ。
久留巳は久弥の反応に満足して微笑んで見せた。

久留巳は自分の容姿が好きだった。
子供の頃から可愛らしいと評判だった。それだけで大人は優しくしてくれた。親でさえも他の兄弟よりも優しく接してくれていた。それを妬んだ兄弟に影でいやがらせをされたりしたけれど、それすら泣いて親に訴えれば、親はきちんと兄弟たちを叱ってくれた。
小学校に入っても、皆はちやほやしてくれた。
顔だけの癖に。そういって、やはり一部の女子に妬まれたりもしたけれど、教師や力のある男子生徒にそれを訴えればすぐにそれはおさまった。
中学に入ってもそうだった。その頃街で声をかけられ、雑誌モデルをはじめた。
さすがにこの業界では綺麗な女の子がたくさんいる。だからもっと綺麗になるように頑張った。化粧も研究したし、身体を魅力的にみせるような運動もした。
自分は綺麗なはずだった。誰よりも綺麗で、愛らしい。
なのに。それなのに、あいつは。
ぐらぐらと視界が揺れるかのような怒りを感じた。
あれからずっと、こんなふうに自分の中では激しい感情が燻っている。
だけど、あとすこしでこんな感情もなくなるのだ。
目の前の男を、ぐちゃぐちゃに壊したら。そうしたら。
そう考えると幾分胸が晴れる。
だから久留巳は微笑んで久弥の言葉を待った。


――しかし。



その瞬間、腹の中の怒りが、沸騰したような気がした。
沸騰し、決壊する。
唸りをあげて外へと流れ出していく。

「……ねえ、あんた馬っ鹿じゃないの? 」

久留巳は鼻で笑って見せた。ああ、本当に馬鹿らしい。
この男は何を勘違いしているのだろう。
あんたなんてただの駒。あいつを貶めてやる為の駒でしかないのに。
何が「ごめん」?
何が「付き合えない」?
なんでこのあたしが、振られたみたいになってんの?

「あんたみたいなダサ男、誰が本当に好きになるってんのよ」

今の今まで頭を下げていた男は呆然としたように目を見開いている。
まさか本当にあたしがこの男を好きだとでも思っていたんだろうか。
その顔が面白くて、久留巳はさらに笑って見せた。

「え、で、でも……」
「まだわかんないの? あたしがあんたのことなんて好きなわけないじゃないっていってんのよ」
「……」

神埼久弥の瞳が瞠られる。その顔に広がるのは傷つけられたような切なげな表情だったので、幾分気が晴れたように感じた。
生意気な男。
あたしの価値をわからないクソ男。
予定とは違うけれど、この男をぐちゃぐちゃにしてやろう。そう暗い気持ちの中で思った。
腹の中から溢れるものがしっかりとした形を取る。
だから久留巳は華やかな笑みを浮かべた。そうして告げてやる。

「馬鹿だし、冴えないし、へらへらしてて自分ってものがないし、大体面白くないのよ、あんたと居たって。話だってくだらないし。あんたの存在意義ってなんなの、みたいな」

胸の奥のほうからうずうずと快感が湧き出てくる。
人を傷つけるということは楽しい。あいつもこういう気持ちだったのかしら、暗い熱情の中でそう思った。

「だいたい恥ずかしくないわけ? あいつと……ツカサと一緒に居るってこと自体、あんたはただの引き立て役だっての。クラスの女はみんなそういうふうに見てるわ。だからあんたは振られ続けんの。ふふ、ばっかみたい」

呆然としていた男の顔が次第に悲しみという感情に彩られていく。
ああゾクゾクする。
こいつは不細工で、弱くて、馬鹿で、どうなったっていい人間だ。
こういうのを存分に罵って、傷つけてやるのは、凄く楽しい。
そうしてそれはあたしのせいではないのだ。
すべてはあいつのせい。そして、あたしを邪険に扱ったこいつのせい。
だから罪悪感なんて欠片もない。

「ねえ、知ってた?あたしはそもそもあんたのことなんか好きじゃないの。ただ、ツカサの奴に当てつけてやりたかっただけなのよ。あんたなんてどうでもよかった。あんたみたいなダサい屑、誰が相手にしてやるっての」

ざまあみろ。
こいつと、そしてツカサに向かってあたしは笑う。
あんたのせいであんたの親友は傷ついている。
これであんたはこの男に嫌われる。
ううん、もっとひどいことになるかもしれない。
ざまあみろ。
ざまあみろ。

「あんたなんて居なくたって誰もこまらない。社会の屑なのよ。だからあ」

あたしは首を傾げて、可愛らしく笑ってみせた。
だってあたしは可愛い。あたしは綺麗。
生きてるだけで他のやつらに必要とされているあたしと目の前の男の価値は、全然違うのだ。
だからあたしは、ハチミツをたっぷり流し込んだココアのような、甘ったるい声で囁いてやった。

「いっそのこと、死んじゃえばいいのに」


そのときひとつの声が割って入ってきた。


「勝手なことをいってもらっては困る」

それは知らない女の声だった。
涼やかで凛とした、強いけれども淡々とした声。
そうしてそれは、あっさりとこう続けてきた。


「――そいつは、私のものだから」






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2011・2・26