「ガラス越しの距離K」

「ガラス越しの距離K:シロツメクサ」





悔しかった。
本当に、本当に悔しかった。

あいつは、そんなことをされてよいような奴じゃない。
それなのに。

涙が溢れた。
ぼろぼろと零れる涙をてのひらで拭う。それでも涙はちっとも止まらなかった。
こんな奴に涙を見せるなんて嫌だったけれど、あまりに悔しくて悔しくて、たまらなかった。


――だから私は、ひとつの決意をした。




シロツメクサ









これは復讐。意趣返し。


あいつには何を言っても、どんな態度を向けても効果がなかったから、あたしはターゲットをあいつの唯一人ともいえる男友達に向けた。
正直タイプじゃないし、全然好きでもなんでもない。
生意気にも「今、好きな奴が居るから……」と、あたしの告白を断ってこようとさえするという、気に食わない奴でもある。
だけれどコレは駒だ。今は、せいぜい大事にしてやらねばならない。
可愛く笑って、毎日弁当を作ってきて、大好きだと囁いて。
面白くもない話にいちいち反応して、笑ってあげる。
反吐が出そうになるほどの尽くしっぷり。
だけれど仕方がない。
今は準備期間なのだ。あいつへの、復讐の為の。

神埼久弥。
あたしはコレを、あたしに夢中にさせて、あたしなしじゃ居られないようにさせて、そうして最後にはゴミのように捨ててやらねばならないのだ。
あいつがあたしに、やったように。

それを見てあいつは何て思うだろう。
怒るだろうか。
自分の親友に酷いことをしたあたしを憎むだろうか。恨むだろうか。
そう。
そうなればいいとあたしは思っている。
実際、あいつはなにかに気づいているようだった。
あれきり近づきもしなかったあたしを捕まえて、どういうつもりか問いただしてきたのがその証拠。
あの、他人に興味なんて示さなかった人間も、親友となれば話は別らしい。
あたしはターゲット選びを間違えてなかったことを知り、満足した。
だからあたしは華やかに笑い、「久弥くんのことが好きになったのよ」と答えてやった。
あの時のあたしの怒りや恨み。プライドをズタズタにされて悔しい気持ち。
あいつもそれを、存分に味わえばいいんだ。

あたしはゴミじゃない。
こんなに綺麗で可愛いのに、その辺の女共には絶対に負ける訳が無いのに。
それなのにあいつはあたしを捨てた。
あっさりと。まるで紙くずを放るかのように、迷いひとつなく。
いや、「捨てた」というのは語弊があるかもしれない。
正確にいうならあたしたちは付き合ってなんかいなかった。ましてや恋人同士でもなかった。
簡単に言うなら「遊び仲間」。
もっというなら「セフレ」だ。
あくまで双方同意の上の、単なるお友達。たしかにそういう関係だった。

だけど、あたしはあいつのことが気に入っていた。
あいつは、このあたしが隣に立つことを許してやってもいいというほどの顔を持った男だった。
あたしもあいつもモデルをやっているのだが、その仲間にもあれだけの美形はそういない。いうなれば、極上のダイヤの原石ってやつだ。
洗練されては居ないけれど、だからこそ人を惹きつけるだけの魅力をもっていた。
だから、そう。
あたしは結構本気になっていた。
あいつは特定の彼女を作らずにふらふらしていたけれども、当時のあたしはそれを自分に気があるからだと思い込んでもいた。
だってあいつの「他の遊び相手」には、どう考えてもあたし以上に綺麗な奴なんていなかったから。


「ねえ、付き合おうよ。あたしって、もうカノジョのようなもんでしょ」

だからそう言ってみた。
しかしあいつはそう言ったあたしを一瞥して、そうして冷たく言い放った。

「……面倒くさい」

どういう意味?
そう問いかける暇もなかった。あいつは立ち上がり、そうして部屋を出ていった。
それきりあいつからの連絡は途絶えた。
学校ですれ違っても視線ひとつよこさない。
あれは奴にとって、あまりにあっさりした別れの言葉だったのだ。
あいつはあたしという「セフレ」がいなくなっても困らない。
他の奴らと、同じ。
本当に、本当にどうでもよかったのだ。
馬鹿なあたしがそのことに気づいたのは、未練がましくあいつからのメールを一週間待ち続けてからのことだった。



「どうしたの、久留巳さん」
のんきな声に、あたしは慌てて顔をあげた。
そこには今のあたしの「彼氏」の心配そうな顔がある。それにあたしは内心で舌打ちをした。
「ううん、なんでもないの。心配してくれてありがとう、久弥くん」
「いや……。あ、気分悪いならあそこのベンチで休もうか? 」
神埼久弥。
あたしのターゲットである男は心配そうなそぶりで、駅前の噴水広場にあるベンチを指差した。

―冗談でしょ。

あたしは心の中で毒づいた。
今は18時。学校帰りの学生が溢れかえっているこの場所で、このあたしがこんなダサい男と一緒に居るなんて格好が悪すぎる。モデル仲間に知られたら一生の恥だ。
だけどこれは大事なターゲット。
賢いあたしはにっこり笑って、神埼久弥の腕をひいた。

「やさしいのね、久弥くんは」
「え、いや、別に……」
「あたしは本当に大丈夫よ。どちらかっていうと、もっと静かなところで久弥くんとお話ししたいな……駄目? 」
「え、いや、ええと……」

目の前の男は目に見えて困ったような顔をした。
あたしは再度、内心で舌を打つ。
まったく、面倒くさい男。
そう思ってうんざりした。
幼馴染に片想いをしているとかなんとか言っていたけれど、そんなやつ、どうせあたしよりの遥かにブスに決まってる。それなのに、一体何を悩むっていうのよ。
あたしは神埼久弥を思わず苛々と睨み付けそうになったけれど、なんとかそれを押さえ込んで俯いて見せた。
悲しくて切なくて、しょんぼりとして見えるように。
馬鹿な男はこういうのに弱いことをあたしは知っている。

「ごめんね、久弥くんには好きな人がいるのに……」

そういうと神埼久弥はそんな、と声をあげた。

「く、久留巳さんが謝ることじゃない。俺の方こそ謝らなきゃいけないのに」
「そんなことないわ。あたしが無理を言って付き合ってもらっているんだもん」

お試し期間、2週間。
生意気にも告白を断ろうとしたこいつに、あたしはそういって頼んでみせた。
瞳をうるうるさせて、今にも泣きそうにしながら見上げてやったらイチコロだった。
今度の週末で2週間になるけど、こいつはもう最初の段階であたしに落ちかけてる。だからあとは簡単なはず。
そうして今週末はデートの予定を入れている。
まあ、童貞に違いないダサ男のこと。それでひとたまりもないだろう。
もしかしたら、ホテルにまで行かなくてもすでにあたしに落ちちゃっているかもしれない。
そう思うと、あたしは腹の底から笑いがこみ上げてくるのを感じていた。

これは復讐。意趣返し。
だからあたしが、あいつの大切なものをぐちゃぐちゃに壊してやるのだ。


それがあたしをゴミのように扱ったあいつへの、最大の復讐になるはずなのだから。







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2011・2・20