「ガラス越しの距離」 |
「マコト、聞いてくれ!」 勢いよく窓ガラスが引き開けられると同時に騒々しい声が飛び込んできて、マコトは顔をしかめた。 その拍子に手にしたシャープペンシルの芯がぽきりと折れる。 「……五月蝿い。帰れ」 「ちょっ。来ていきなりそれはないと思うぞ俺は!」 マコトは不機嫌な表情を隠そうともせずに侵入者に問いかけた。あくまで冷静に。 「では聞こう。現在は、何時だ? 」 「ええと……10時。夜の」 「こんな夜遅くにベランダから不法侵入してくるお前のほうがおかしい」 マコトの主張はもっともな正論である。 しかし、侵入者である少年はそんなことをまったく気にすることもなくカラカラと笑った。 「今更何言ってるんだよ。俺のお前の仲じゃないか〜」 「人聞きの悪い言い方をするな。単なる隣に住んでる腐れ縁だろうが」 「あ、ひどい!」 少年はわざとらしく傷ついた体で首を振って見せる。 しかしすぐに躊躇もなく部屋に入ってくるといつものようにマコトのベッドに倒れこんだ。 スプリングの効いたベッドが大きく揺れる。 「勝手に寝るな、ヒサヤ」 マコトは溜息をつき、顔をしかめた。 「布団が臭くなるだろ」 「うわ、ひどい!」 そういいながらもヒサヤに堪えた様子はまったくない。 ベッドに置いてある枕を抱き抱えたままにこにこしていたが、すぐに起き上がると机の前に座ったままの幼馴染の顔を見上げた。 「あのな、マコト」 「ああ」 「うひひ、実はな。あのササキさんに好きな奴が居るという噂を偶然耳にしたんだ」 「ああ」 「それがな、なんとサッカー部の2年の奴らしいんだな」 「ああ」 「で、ここで質問だマコト君」 「ああ」 「って全然聞いてないじゃんマコト〜。」 ヒサヤがじたばたと手足を動かしているのを背中越しに感じながら、マコトは参考書のページをめくった。 そうして答える。 「聞いてるよ」 「マコト……可愛い幼馴染の恋の行方が気にならないわけ?それはちょっと冷たいとオレは思う」 この間肉まん持ってきてやったのに、ひどい。 ぶつぶつと拗ねたようにつぶやく幼馴染の声はあまりにわざとらしかった。 マコトはヒサヤに背を向けたままあっさりと答える。 「誰がお前の恋愛になんぞに興味があるか」 「うわ!いい切りやがったよコイツ!血も涙もない!だからモテないんだ! 」 「……いいから出て行け」 じろりと背後を睨んでみせると、ヒサヤはあっさりと頭を下げた。 「すみません。聞いてくださいマコトさま」 「……」 ヒサヤの硬そうな髪のてっぺんを見ながら、マコトは大きく息をついた。 参考書の間にシャープペンシルを挟みこんでぱたりと閉じる。 今日はヒサヤの話を聞くまでは落ち着いて勉強できないだろう。 そう思いながら椅子を回転させてヒサヤの方を向く。 足を組み、腕を組んでヒサヤを見おろすと、幼馴染は顔を挙げてぱっと嬉しそうに笑った。 これは、いつものことだった。 この世に生まれて17年。 この図々しい幼馴染と出会って17年。 こうして部屋に不法侵入されるのもほとんど毎夜のことだった。 「で、佐々木さんの好きな奴というのがだな。」 ヒサヤはおもむろにベッドの上で正座をした。 そうしてふいに真面目な表情をする。 「俺じゃないかと思うわけですよ」 「……お前がそんなにうぬぼれ屋だとは知らなかったよ」 足を組んだまま呆れた目線を向けると、相手は慌てたように首と手を振った。 「いや待て!ちゃんと理由があるんだ」 その自信満々な様子にマコトは呆れたが、あくまでヒサヤは真剣だった。 正座をした膝に両手をつき、珍しくきりりとした表情を浮かべている。 「最近のササキさん、やたらと俺に話しかけてくるんだ」 「へえ」 「今まではあんまり話したこともなかったんだよ。それが突然だぞ」 「何か思い当たる節があるのか」 「……しいていえば、この間アイダと一緒に帰っているときにな」 ヒサヤはクラスメイトで同じサッカー部である背の高い少年の名前を出した。 マコトもその名前は熟知している。 会った事も見たこともないが、毎日のように此処にやってくるヒサヤの長話の中によく出てくる少年の名前だった。 「ササキさんところの犬が行方不明になったらしくて、必死になっているササキさんに会った。だからアイダと一緒に探したんだ」 「……ほう」 「夜9時までかかったかな。真っ暗な河原でうろうろしてたんだ。で、発見してめでたしめでたし」 「……」 マコトは黙って腕を組み直した。 ヒサヤはそわそわしたように足を動かす。 「それからなんだよな。よく話してくるの。……こう、なんだ。もしかしてササキさん、俺の優しさにフォーリンラブ?みたいなさー」 「そういうことを自分で言うな」 ヒサヤという幼馴染は馬鹿だが悪い奴ではない。しかしかなりお調子者であるのが欠点だった。 しかし、とマコトは考え込む。 もちろんササキさんという少女はヒサヤとアイダに感謝しているだろう。 接点ができたので話しやすくなったのも本当だろう。 しかしだからといってすぐに恋愛感情になるものだろうか。 ヒサヤは実に惚れっぽい。だからといってササキさんがそうだとは限らないではないか。 その沈黙をどうとらえたのか、ヒサヤは焦れたように両手で膝を打った。 「で、だ。実はなマコトくん」 「ああ」 「明日、ササキさんに愛の告白をしてみようと思うんだ」 「はあ?」 そんないきなり、とマコトは呆れたが、やはり眼前の幼馴染は真剣だった。 「もうすぐ夏休みだろ。17の夏休みを満喫するためにもだ! 」 「……まあ、好きにすればいいが……」 マコトは呆れてため息をついた。高校になって3回目の「愛の告白」だ。 どうやら、ヒサヤはどうしても彼女というものが欲しいらしい。 「……どうせ止めても聴かないんだろうしな」 「なんで止めるんだよ」 ヒサヤはきょとんとした風にマコトを見上げた。 「はっ。お前まさか実は自分もササキさんにフォーリンラブとか言うんじゃないんだろうな! 」 「……なんだとこの馬鹿」 「嘘です。ごめんなさい」 絶対零度にまで下がった声音を察知して、ヒサヤはあっさりベッドの上に額をつけた。 マコトは大きく息を吐く。 出て行け、と再度言いそうになった言葉を飲み込んだ。 なんだかんだいってこの幼馴染は憎めない性格をしているのだ。 ――昔は随分うらやましかったものだが。 生まれた時から一緒に育った幼馴染。 口下手で愛想のないマコトは昔から大人受けが悪かった。 それに反していつも一緒に居るヒサヤはやたらとにこにことしている子供で、そして適度にやんちゃだった。 子供らしい子供。テレビで見るような典型的な「少年」だった。 当然大人はにこにことしているヒサヤを可愛がる。 当たり前のことだと今となってはわかるのだが、それでも当時の自分は悲しかった。 最初こそやっかんだものだが、しかしすぐにそんな感情は消えてしまった。 それもすべてヒサヤがそんなことに関して無頓着だったせいなのだと思う。 ヒサヤは大人の受けがいいからといってそれを自慢するようなことも、利用するようなこともしなかった。 そしてまた、ヒサヤは生まれ持った性質の人懐っこさをマコトに対しても惜しげもなく発揮していた。 無愛想なマコトにひっついていたのはいつもヒサヤのほうだった。ちょこちょことついて来てなんやかんやと話しかける。 やれ昨日のテレビがどうしただの朝ごはんがどうしただの裏にある家の飼ってある犬がどうしただの、とにかく五月蝿かった。 そうしてブランコに乗ろうボールで遊ぼうと言い出してはマコトの手をひいて走っていこうとし、何故かひとりで転んでいた。 そうして泣く。わんわんと鼻水を流しながら大泣きする。そのくせマコトの服の裾を掴んで離さない。 それがヒサヤという少年だった。 マコトもだから、自然とそんな幼馴染の面倒をみるのが当たり前になってしまっていた。 そうして時は流れ、お互いに17歳になった今になっても、その関係はまったく変わらないまま続いている。 つらつらと思っていると、ふいにヒサヤが口を開いた。 そうして無邪気に聞いてくる。 「なあマコト。お前は好きな奴とかいねえの? 」 その質問は鬼門だった。 マコトはかすかに言葉に詰まる。 「……いや、特には」 「ふーん。考えてみればお前からそういう話聞いたことねえよなあ。なんで? そっちの学校にはいいのいないの? 」 マコトとヒサヤはそれぞれ別の高校に通っている。 ヒサヤは「同じ高校に行きたいよなあ」と常々言っていた。 しかしマコトは結局、ある理由からヒサヤにはどうあがいても合格のできないところに決めたのだ。 マコトはかすかに視線をそらす。 そうして答えた。 「いるわけがないだろう」 「先生とか」 「いないな」 ふうん、とヒサヤが頷く。なんとなしに安堵しているようすが伝わってきて、マコトは顔をしかめた。 「ヒサヤ。今、オレだけじゃなくて良かったあ、とか思ったんだろ」 「あ、わかった? 」 ヒサヤは悪びれずに笑った。 「だってオレだけ彼女がいないなんて嫌だもんな。あ、でもだな、もしさ、俺がササキさんとうまくいったら、マコトにもうちの学校のやつ紹介してやるよ。一緒に夏をエンジョイしようぜ」 ヒサヤの笑顔は純粋な好意に満ちている。 だからマコトは、努めて表情を冷静に保ったまま頷いた。 「……ああ。じゃあ、頼むよ」 「うん! 」 マコトの言葉に、ヒサヤは嬉しそうに笑う。 子供の頃から変わらない、マコトに絶対の信頼をおいてある笑顔だった。 それを見るとマコトは何も言えなくなってしまう。 本当に言いたいこととか、隠している事とか、何一つ。 まったくもって、情けないことに。 だからマコトは幼馴染として口を開いた。 「……ササキさんと、うまくいけばいいな」 なんとか声を絞り出すと、幼馴染はいっそうその笑みを深くした。 「うん。ありがとな。……あ、でもなあ、マコト」 ヒサヤは嬉しそうににこにこしていたが、ふいに思いついたようにさらりと続けた。 「マコトもさ、結構可愛いんだから、もうちっと女の子らしくなればもてると思うぜ? 」 マコトは沈黙した。 ヒサヤはそんな彼女にはまったく気づいた様子もなく、にこにこと続ける。 「まあとりあえず、風呂上りなのに中学校時代のジャージとか着るのはやめたほうがいいと思うけどな。もっとこう、可愛いネグレジェとかいいんじゃね? 」 「……か」 「ん? 」 「……この、馬鹿が……」 「んん?どうした、マコト? 」 ヒサヤは急に大人しくなった幼馴染に首を傾けた。 マコトが静かに立ち上がる。 そうしておもむろに、今まで座っていた椅子をむんずと掴んだ。 ふつふつと湧き上がってくる怒りをそのままに言葉を搾り出す。 「……変わらないようにしているのは、誰のせいだと思ってるんだ……」 「へ? 」 「出て行け」 「え?なんで?ちょっとまって俺の告白の相談はまだ途中……」 ヒサヤは慌てたようにマコトを見上げてくる。しかしすぐにぎょっとしてその身を引いた。 「出て行けといったんだ」 その細い手で椅子を振りかざすマコトの顔は怒りの色に染められていた。 ヒサヤはそれに一瞬だけぽかんとしたが、すぐに振りかざされる椅子から逃れて窓の外へと飛び出した。 「え、な、な……マコト? 」 慌てるヒサヤの鼻先で窓ガラスがぴしゃりと閉じられる。 次いでカーテンを掴む白い手が見えた。 そうして、眼鏡をかけた長い黒髪の少女の姿も。 その端正な顔が赤いのは怒りなのか、それ以外のものなのか。ヒサヤにはまったくわからない。 「……マコ……」 「帰れ、バカ」 顔に似合わない低い声でマコトが言い放つのがガラス越しに聞こえた。 そうしてカーテンが完全に閉じられる。 ベランダに放り出された形になったヒサヤはいきなりの展開に、しばらくの間呆然としていた。 2008・9・21 ガラス越しの距離Aへ 戻る 戻る |