苦いほど甘い蜜:前編 |
クリスマスプレゼントは手袋にしよう。 決めたその日、リコは電卓をたたきながら盛大に唸っていた。 気を取り直して家計簿に目を通し、そうしてもう一度電卓を叩く。 「うううううう……」 しかしどうあがいても結果は同じだった。 どこを節約しても、食費をぎりぎり削っても余裕が無い。 リコは机につっぷした。 「どうしよう……」 リコは血のつながらない弟と二人きりで暮らしている。 弟である司は14歳。そしてリコは19歳。血こそつながっていないが、リコにとっては何よりも大切な弟だった。 司は2年前、両親を火事で亡くしてしまった。12歳の男の子は一夜にして帰るところを失ってしまったのだ。 リコは高校の寮に入らせてもらっていたが、すぐに高校を辞めて司をひきとることに決めた。良い人たちと出会うことが出来、働く場所も住む場所もみつけることができた。 だからこそ姉弟ふたりは、貧しいながらも生活することができている。 しかしその生活はぎりぎりだった。 19歳で、しかもなんの資格もないリコの給金は本当に少ない。 家賃に公共料金に税金。それを払ってしまうと残るお金はごくわずかで、それでもその中から食費や服飾代を捻出しなければならなかった。 特に成長期の弟の服飾代はかなりのものだった。すぐに上着もズボンも、つんつるてんになってしまうのだ。 とはいえみるみるうちに大きくなっていく弟の姿は嬉しくて誇らしい。 リコにとって司は大切な弟だった。だからこそ、絶対に不憫な目にはあわせたくなかった。 なのに。 司は毎日大きくなる。 1年前に買っていた手袋が寸足らずになっているのに気づいたリコは、今年のクリスマスプレゼントは手袋にしようと決意した。 それなのにどうあがいてもお金がない。 リコはうう、と唸った。 なんという情けないお姉ちゃんなのだろう。ううん、これではお姉ちゃん失格だ。 べそをかきながら頭を捻っていると、ふいに自分のマフラーが目にとびこんできた。 青い色のそのマフラーは、司の家族と暮らしていた時に自分で作ったものだった。 司の母親は本当に優しくて、手つきのおぼつかないリコに作り方を丁寧に教えてくれた。リコは手先が不器用だったからそのあみ目はがたがたになってしまったけれども、それでも出来上がった時にはふたりで手を叩いて喜んだ。司の父親も凄いねと褒めてくれた。 そして司は……そう、今よりももっと小さかった弟は、リコに抱きつきながらこういったのだ。 「おねえちゃん、ぼくにも! ぼくにもつくって!」 その日からリコは手袋を作り始めた。 それは自分のマフラーを丁寧に洗って、ほどいて毛糸玉に戻す作業からはじまった。 毛糸は高い。だからリコは迷わずそのマフラーを手袋にすることにした。 クリスマスまで一ヶ月を切っている。 だけれどこれはクリスマスプレゼントだから、司に知られるわけにはいかなかった。 さすがにサンタクロースを信じてはいないだろうけど、それでもプレゼントというものは驚きがあると楽しさが増す。 司に知られないように職場の休憩時間や、司の眠ってしまった夜中に編み物をすることにした。とても眠いときもあったけれど、それでも司が喜ぶ顔を想像するだけでそんなもの吹き飛んでしまう気がした。 そうして12月24日がきた。 学校から帰ってきた司を出迎えて、包装したそれを手渡す。 「司くん、メリークリスマス! 」 司は驚いたようだった。手にしたそれをじっと眺めて、そうしてぽつりと言葉を洩らす。 最近の司は口数がすっかり少なくなってしまっていたから、それは非常に端的なものだった。 「……開けていい?」 「うん」 リコは喜色満面で頷いたが、ふと違和感を感じた。 包装紙を破っているその手には、綺麗な手袋がはめられていたのだ。 「あれ?司くん、その手袋……」 「ああ、クラスの女子にもらった。手作りだって。ちょうど手袋が合わなくなってたからはめて帰ってきた」 「……っっ! 」 リコは慌てた。そうして司の手から包装紙をとりあげる。 しかしそれは半分以上開けられていて、片方の手袋がぽとりと床に落ちてしまった。 司はさらに驚いたようだった。 「姉さん、それ……」 「こっこれはね、あのね……」 リコは慌てて手袋を拾い上げると後ろ手に隠した。そうしてぐるぐると考える。 こんなものをあげるわけにはいかないと思った。 リコの手袋はあみ目はがたがただし、なにより自分のお古にすぎないものだった。 それにその女の子の気持ちを考えると、その手袋を大切にして欲しいという気持ちも強かった。 司は気持ちの優しい子だ。だからリコの手袋を貰ってしまうと、それがどんなに不恰好なものであろうとも無下にはできなくて困ってしまうことはわかっていた。 「ちちち、違うよ」 リコは慌てて首を振った。ええと、と脳をフル回転させる。 「こ、これはね、ええと、ま、間違い!」 「……は?」 「間違えたの。だから忘れて、ね?」 リコはにっこりと笑う。そして司が何か言いたそうなのを見て取って言葉を続けた。 「あああ、あのね、店長さんがね、クリスマスケーキを格安で売ってくれたの。うちのケーキは本当においしいんだよ。だからね、一緒に食べよう? ほら、早く手を洗ってきて、ね?」 司は黙したままリコに視線を注いでいる。だからリコは慌てて背を向けた。 プレゼントの話題から話をそらせたくて、だからその日のリコはいつも以上に饒舌だったと思う。もっとも、その大半がどうでもいい話だったに違いがないけれど。 司は何も言わなかった。 やはり聡い子だったから、リコの気持ちを汲んで何も言わないでおいてくれたのだろう。 リコはその手袋を箪笥に入れると、ほっと息を吐いた。 これは司の母親との想い出でもあるものだった。だから捨てることはできなかったから、綺麗な布に包んで丁寧になおしこんだ。 いつか時間が出来たら、マフラーに戻して自分で使おう。 そう思った。
苦いほど甘い蜜
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