「僕の太陽:45」

<すれ違う心>







感謝される覚えなんてひとつもなかった。
桜井にも…そして司にも。

自分は結局のところ自分勝手で我侭で。
「自分のために」なることしかしていない。

…していないのに。








僕の太陽45














「司くん…」

小さな問いかけに司は振り返った。
朝の気配が薄らぐ中、リコは司の後ろをとぼとぼと歩いていた。
帰ろうと言ったのはリコだった。
歩いて帰ることにしたのは、リコの気持ちを落ち着けたかったからだ。
だから出来るだけ人通りのない静かな道を選んで歩いた。リコは大人しく後を着いてきた。
そうして寂れた工場のある道にさしかかった時、リコが口を開いたのだ。

「司くん…知ってたの?」
司は足を止める。見下ろす姉の姿はとても小さかった。
「いや…」
答えるとリコは顔を上げた。憔悴しきった表情の中、大きな瞳だけが揺れている。
「聞いたのは今日の朝。西園寺さんが教えてくれた」
「…小町さんが…」
リコは小さく息を吐いた。
「そっか…」
「なんで…隠してたんだ?」
自分で思っているより司は落ち着いていた。
問いかけは静かに空気に溶け込んでいく。
「…桜井さんのお父さんに知られるわけにはいかなかったの」
「……」
「桜井さんのお父さんはねとてもひどいご病気だったの。わたしが桜井さんにこのお話を聞いたときには、お医者さんには余命三ヶ月って言われてて…」
「……」
「桜井さんは最後くらい親孝行をしたいって言ったの」
「……」
「わたしもそれを勧めた。…「お父さん」に何もできなかったことに対する後悔はしてほしくなかったの。
…ううん。わたしはきっと、桜井さんに自分を重ねてたから…勝手に…」
「……」
「桜井さんのお父さんは桜井さんのことをとても心配していたの。桜井さんにはね、凄く凄く好きな人が居るの。それは知ってる?」
「…ああ」
「だけどその人は桜井さんの求婚を断り続けてる。その人は生まれつきの身体の事情で
おうちから出ることが出来ないし子供も作れないんですって。だから桜井さんのお父さんも彼女との婚姻を認めてないって…」
「……」
「でも桜井さんは彼女のことを諦められないって言ってた。
なにがあっても、それが親の頼みでも心を偽ることはできないって。でもお父さんがあんなことになって…」
「…それで姉さんが身代わりになったのか」
リコは小さく頷いた。
アスファルトに目を落としたまま、小さく続ける。
「好きな人とお父さん。どちらも大切なのはよくわかるの。
わたしは桜井さんに好きな人のことも諦めて欲しくなかったし、お父さんも大切にして欲しかった。だから、引き受けたの」
「……」
「でもね、桜井さんのお父さんははじめから疑っていたみたい。秘書の人とかにわたしのこと調べさせてたみたいなの…」
「…だから俺にも隠してたのか」
「…心配かけてごめんね」
リコはいっそう俯いた。
「何処から洩れるかわからないからこのことは誰にも話していないの。
…でも、結局、お父さんには全部ばれてたみたい…馬鹿みたいだね、わたし…」
姉の声は小さく儚い。
必死に隠そうとしているがその語尾が震えているのを司は感じ取った。
ふいにリコはその顔を上げた。
「司君…心配してわざわざ来てくれたんでしょう?ごめんね。あの、もう、学校に行っていいよ」
「……」
「わたしは大丈夫だから。そんなことより、学校のほうが大事だよ。受験も控えているんだし。ね?」
司の視線を受けてリコは微笑んだ。
司は眉をひそめる。
まったく何を言っているんだ。そう思った。
桜井も馬鹿だ。こんな人間に嘘をつかせるなんてどうかしている。
そうして誰よりも嘘が下手なくせに、今もなお嘘をつき続けている。
「何が大丈夫なんだよ」
司の溜息に目の前の姉はびくりとした。
「姉さんは嘘が下手すぎる」
「う、嘘じゃないよ…」
「下手だ」

司は手を伸ばした。
リコの身体を引き寄せて出来る限り優しく抱きしめる。
その動作は以前のように激情にかられてのことではなかった。
今の司は理解していた。
そうしてそれは多分、「家族」である自分でしか出来ないことだった。

実際司はリコの「父親」ではないし「弟」でもない。そんな感情すら持っていない。
それでもリコがそれを求め続けていることはなんとなくだが理解していた。
だからこそ、以前は苛立っていた。
リコが求めているものと自分が求めているものが相容れないことに、ただ、苛立っていた。
だけども今は違う。

「相手を幸せにするために今の司くんができることは、たっくさんあると思う。多分、な。」


赤谷の言葉が脳裏に蘇る。
それは司にとっては衝撃的な言葉だった。
欲しいものが手に入らなくて駄々をこねていただけの自分が、あまりにも馬鹿らしく思えた。
今でも欲しくて欲しくてたまらない。その気持ちだけは変わっていない。
だけども今はそれだけではなかった。
…リコが「家族」を望むなら、それでもいい。


腕の中のリコが震えるのを感じた。次いで嗚咽が洩れてくる。
リコは今まで泣かなかった。泣きたいだろうに泣かなかった。
他人のために苦手な嘘までついて、誰にも相談できずに今日まで来た。
そして…本来なら受けなくてもいい「父親の死」に対面した。
それは愚かで、あまりにも馬鹿な行為だと司は思う。
思うがそれすら愛おしかった。
司はリコの望むことを考えた。
こんなとき「父親」ならどうするのだろう。
あのとき出会った、おそらくはリコの父親である男ならどう言うのだろう。
「…姉さんはよくやったよ」
優しげだったリコの父親。
リコのことを何よりも大切にしていた彼女の家族なら、きっとこう言う。
「…偉かったな」
腕の中のリコが身じろぎするのを感じた。
瞳を落とすと、驚くほどの至近距離で自分を見上げるリコの顔が目に入ってきた。
涙に潤んだ瞳と濡れた頬。
触れたい衝動を抑えながら努めて優しく見えるように微笑んでみせる。
するとリコは呆然とした表情のまま口を開いた。
「…なんで…お父さ…ん、みたい…なの…」
司は言葉に詰まった。胸中に痛いものが走る。
だけどそれでもいいのかもしれない。
家族が欲しいならそれでも構わない。
それで彼女が、笑ってくれるなら。
「…それでいいよ」
しかしそう答えた次の瞬間、目の前の顔がくしゃりと歪んだ。
次いで胸に衝撃を受ける。
両手で押されて司は姉の身体に回していた腕を解いた。
「…姉さん?」
姉は泣いていた。
ぽろぽろと零れる涙が蒼白の頬を伝って流れている。
「司くん…ごめんね」
しゃっくりあげながらリコがつぶやいた。

「ご、ごめんね司くん…。ごめんね、ごめんね…ごめんなさい…」








すれ違う心






「僕の太陽:46」に続く



戻る





・・・・・・・・・・