「僕の太陽:38」

<太陽>






「司くん。」
司はその声にきょとんと振り返る。
どこかで聞いた事のある声だったのだ。
「こんにちは。覚えているかい?」
司は頷いた。覚えている。
まだ司が幼稚園に通っているときに、一度だけ会ったひと。
「大きくなったね。今はいくつだったかな。」
2年生。そういうとその男の人は優しげに微笑んだ。
目が細くなって、目じりがやんわりと垂れる。
その表情は司が「一番好きな人」によく似てるものだった。


「リコは元気かな。」
その問いに司は頷いた。
そうして最近の姉のことを話してあげた。
本を読んでくれること。怖いテレビを見たときは一緒に眠ってくれること。
おんぶをしてくれたことや抱っこをしてくれていたことは内緒にしておいた。
だってそれは司がもうすこし子供だったころの話だからだ。


「司くんはリコのことが好きかい?」
うん。
司は即答した。
そんなこと、考えるまでもなかったから。
男の人はそれを聞いて泣き笑いのような表情を浮かべた。
「・・司くん。リコにはね、もうじき辛いことが起きる。」
辛いこと?
ぴんとこなくて問い返すと、男の人は頷いた。
「リコのこと・・守ってやってくれないかな。」
司はぽかんとして男の人の顔を見上げた。
男の人はそんな司の頭を撫でた。
かさかさに乾いた、骨ばった手。
それでもその動作は限りなく優しかった。

「・・リコはね、僕に残された最後の太陽なんだ。」









僕の太陽38







「司?」
男の声に、リコは我に返ったように頷いた。
「は、はい。あの、弟の司です。」
「ああ、この間話をしていた・・。」

神崎はおろおろと司の横顔を盗み見た。
友人はにこりともせずに二人の前へ歩いていく。

まさかいきなり殴りかかったりとかはしないだろうけど・・もしものときは止めなきゃ。
う・・。止め・・られるかな。俺に。


その横に並びながら神崎は愛想笑いを浮かべて見せた。
内心冷や汗ものだったが、笑顔で二人の前に立つ。
そうして人間関係の基本「笑顔で挨拶」を実践してみた。
「こ、こんにちは」
すると男の方がにこりと笑んで手を差し出してきた。
それは今まで神崎が見たこともないような洗練された、優雅なものにみえた。
「はじめまして。君が…司くん?」
「ち、違います。俺は神崎って言って司の友達で・・つ、司はこいつです。」
神崎は相変わらずにこりともしない友人を目線で示して見せた。
男は司に視線を移す。そうしてほんの少しばかり目を瞠った。
「君が・・。そうか、似ていないとは聞いていたが・・。」
「血縁ではないですから。」
どこか挑むような口調の司に、男はあっさりと頷いた。
「そうか・・そうでしたね。」
「・・・。」
「リコさんから司くんのことはいろいろ伺ってます。」
「・・・。」
男は微笑み、改めて右の手のひらを司の前に差し出した。
「はじめまして。桜井正美です。」




司は目の前の男を見やった。
横ではリコが落ち着きなく佇んでいる。
その縋るような瞳は今は男の方に向けられていて、それにかすかに心臓が痛んだ。
いかにも仕立ての良い上質のスーツに身と包んだ男は、穏やかな笑顔を浮かべている。
女性のように細面の、綺麗な顔。たしかに優男だ。
しかし・・。司は思う。
優しげに見えるその瞳。しかしその瞳だけは「笑み」を浮かべていなかった。
ひたと獲物を狙う猟犬のように、静かに気配を殺している。
もちろん一見ではそんなことはわからないだろう。
差し出された手を握り、離す。
そうしてその瞳を見ながら自己紹介に答えた。
「犬丸司です。姉がいつもお世話になってます。」
「とんでもない。こちらこそリコさんには世話になりっぱなしなんですよ。」
男は一層微笑み、そうしてリコを見おろした。
リコを見る瞳。
その瞳に司はわずかに瞳を瞠った。
「・・本当にありがたく思っています。」
リコはびっくりしたように瞬き、そうして慌てて首を振った。
「そ、そんなことないです・・。」
「そんなことありますよ。」
桜井が優しく笑うとリコの顔が真っ赤になった。俯くとふわふわとした髪が肩から滑り落ちる。
今日のリコも普段とは想像もつかないような格好をしていた。人目で高級とわかるブラウスにシフォンのスカート。
色は淡い桜色で、シルエットも柔らかく仕上がっている。
それはまるであつらえたかのようだった。
いや、もしかしてこの男が全てあつらえたのかもしれない。
司は背後に控える黒塗りの車を見やる。その中には運転手らしき人影が控えていた。
「・・・。」
司は小さく息を吐く。
生活能力は申し分ないようだ。
どこか食えない気配はしているが、先ほどリコを見たその眼差しだけは労わりに満ちているように感じた。
だとしたら、俺は。
俺が「弟」としてできることは・・。


「桜井さん。」
「何ですか?」
桜井は笑顔のまま司を見る。その笑顔に向かって問いかけた。
「桜井さんは姉のことをどう思っているんですか。」
「つ、つ、司くんっっ・・!」
「司、お前公衆の面前で・・。」
リコと神埼が慌てたように声をあげた。
それはそうだろう。道を行過ぎる人が興味深けに視線を投げかけている。
しかしこれだけは譲れなかった。


桜井はしばらく黙ったまま司の視線を受け止めていたが、やがてゆっくりと答えた。
「私はリコさんのことを愛しています。」
「えっ!さっ・・桜井さん・・っっ!」
リコが素っ頓狂な声をあげる。桜井の服の袖を掴み、あわあわと口を動かした。
桜井はその手に自分の手を乗せると微笑んだ。
「リコさん。」
「・・あ、あ・・はい・・。」
その声を受けてリコは言葉をのみこんだ。そうして一瞬だけ司を見て、そうして俯いた。
「・・いずれきちんとご挨拶に伺おうと思っていたのですが、順序が逆になってしまいましたね。」
「・・・・。」


司は黙ったままそんな二人を見ていたが、やがて口を開いた。
「・・桜井さん。」
「はい。」
「姉さんのこと・・宜しくお願いします。」
そういって腰を曲げ、深々と頭を下げる。
「どうか幸せにしてやって下さい。だって姉さんは・・。」



「姉さんは俺の・・太陽、なんです。」












・・・・・・・・・・





太陽








「僕の太陽:39」に続く





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