「僕の太陽:37」<五月の花火> |
小町は悩んでいた。 ううん、と唸りながら夜の街を歩く。 いきつけの店でも大好きなお酒を気持ちよく飲めなかったのは、一週間程前に赤谷に聞いた事柄のせいだった。 「リコちゃんと桜井が・・いや、まさかねえ。」 可愛い後輩の元気がなかった。 だからひとりの友人を紹介した。もちろん、友達として。 とはいえその友人は「男」で、リコは「女」だ。 だからその二人が男女の関係になったっておかしくはない。 ・・通常はおかしくはない、のだが。 「うーん・・。」 小町は不審げな呻き声をもらしていた。 どう考えてもしっくりこないのだ。 何かがおかしい。狸にでも化かされているような気分。 そうしてそれは自分がリコや桜井のことを知っているからこそ抱く疑問でもあることを小町は知っていた。 「あの変態がリコちゃんに惚れるってのは・・。」 リコは良い娘さんだ。 多少・・いや、多分に鈍くさくて要領が悪くてお人よしで頭の回転が遅いところがあるが、それでもそれを補って余りあるほどの努力は見ていて気持ちの良いものだった。 だからこそオーナーも赤谷も、そうして自分も放っておけないのだろう。 しかし・・だからといって、自分の知る「桜井正美」が彼女に恋心を抱いたりするだろうか。 あの「桜井正美」が。 ぶつぶつとつぶやいていると、ふいに目の前に黒塗りの外車が停まった。 そうしてその自動車から一人の男が降りてくる。 いかにも高級そうなスーツを着こなしている若い男。 「桜井!」 「ん?」 小町は振り返ったその男に向かってボディブローを一発ぶちこんでやった。 ぐ、と呻いてよろめく男を見て側に居た運転手が悲鳴に似た声をあげる。 「しゃ、社長・・!」 「・・・・。」 男は小さく呻いて何故だか踏ん反り返っている女性に目を移した。 「・・なんだ。西園寺。」 「なんだじゃないわよこの変態〜。」 その言葉に運転手の方が蒼ざめたが、当の桜井は平然とした顔をしている。 「変態のどこが悪い。」 「ううん。それは別に悪くないけど。」 小町は桜井の顔を見上げた。 整った顔立ちの上に今や或る大企業の社長になっているという傍から見ると小憎たらしいことこの上ない男は、やはり小町の知る「桜井」で間違いなかった。 と、なるとやはりおかしいのはただひとつ。 「桜井。」 「なんだ。」 「あんた・・リコちゃん使って何を企んでんの?」
僕の太陽37
「こんなもんでいいかな。」 「ああ。」 司は頷いた。 その両手に下げた袋には買い込んだ花火が詰め込まれている。 「しかしお前本当に大丈夫なのか。花火なんかしている暇は無いだろ?」 司は隣を歩く神崎に問いかけた。 神崎が受験するのは国公立大学のひとつだった。なんでも幼馴染と同じ大学に行く約束をしているらしく、最近はひたすら勉強に打ち込んでいる。 とはいえもともとの神崎の成績は芳しくない。その偏差値は足りているとは言いがたかった。 しかし「週に一回、勉強会終わりに花火をしようぜ。」と言い出したのは神崎の方だった。 「たまには青春っぽいことしようぜ。勉強ばっかじゃ身が持たないっての。それに・・ええと、司はさ・・もうちっと火に慣れといた方がいいと思うんだ。」 「いいね〜それ!」 ぱちんと手を打って喜んだのは二ノ宮だった。その横では勉強会の参加者が無言で頷いている。 司は呆れたが、それでもその申し出は有難かった。 これまでさほど楽しくなかった学校生活がそうでもなくなったのも神崎や友人たちのおかげであるということを、今では理解していた。 「・・ありがとう。」 だからぼそりとそういうと、神崎と二ノ宮はぎょっとした表情で顔を見合わせた。 「うわ!ワンちゃんがデレた!」 「男のツンデレなんて気持ち悪!」 「・・・。」 ・・じつに失礼極まりない友人達であった。 季節はもうじき6月になる。 爽やかな風は夏の匂いを含んで流れていた。 「しっかしジャンケンで負けたとはいえ、男二人で花火の買出しってのもなんだかなあ。」 ふいに神崎が大きく息を吐いてぼやいた。 「男女ペアならちょっとは楽しいのにな。」 「・・女子と言っても五月蝿いやつかちんちくりんのやつだけじゃないか。色気もなにもない。」 「う・・フォローできねえ。それでも女の子のほうがこう、花があるじゃん。並んで歩くのが男だなんて悲しすぎる。」 「それはこっちの台詞だ。」 司は呆れた口調で答えたが、ふいに前方を見てその足を停めた。 「ん?どうした、司。」 「・・・。」 神崎はきょとんとして司の視線の先をみやった。 そうしてそこに立つ人影を見てあっさりと納得する。 「あれ、リコさんじゃん。」 「・・・。」 神崎が初めて司の家に遊びに行ったのは、高校に入学して2週間目のことだった。 そのころから司はバイト三昧で忙しく、なかなか休日というものがないようだった。 ようやく約束を取り付けたときは嬉しかったのを覚えている。 犬丸司という少年は出会ったころから無口で、積極的にクラスになじもうとしていなかった。 学校に来てもほとんど寝てばかりで、部活にも入っていなかった。 そのくせ勉強も運動も、そうして顔までも良いのだから男子生徒からは概ね受けがよくなかった。 しかし神崎は違った。 相手のことを良く知りもしないのに嫌ったりするのは勿体無いと思ったのだ。 神崎という少年は子供の頃から「人間」が好きだった。 どんなに怖そうでも無愛想でも「よいところ」は必ずある。 だから声をかけた。 司は面倒臭そうにしていたが、それでもきちんと神崎の言葉に耳を傾けてくれた。 そうして話をしてみれば無愛想だが人間嫌いというわけでもなかったし、彼が生活のためにバイトを続けているのもわかった。 そうして、そのために学校では部活にも入っていないこと。奨学金を貰っている為に学業も一定のレベルを保たなくてはならないことなどを知った。 神崎は驚いた。素直に凄いなあと思ったし、尊敬もした。 ただひとつ・・女癖が悪いことを覗いては。 ・・しかし。 「いらっしゃい。」 司の家に入った神崎を迎えたのはひとりの可愛らしい女の子だったのだ。 嬉しそうににこにことした笑みを浮かべている。 「神崎くん・・ですよね?司くんと仲良くしてくれてありがとう。これからもよろしくしてあげてね。」 「あ、ども・・。」 正直いって可愛かった。 動物でたとえるならレッサーパンダやうさぎだろう。 人畜無害そうな雰囲気と、今にも蕩けそうな笑顔がふわふわしていて愛らしかった。 女の子は神崎と司にお茶と手作りであろう焼き菓子を出すと、にこにこと出て行った。 「ふわあ、可愛いなあ。司の妹?」 「・・姉。」 だから司がぶっきらぼうにそう答えたときは心の底から驚いた。 「まじで。すっごい可愛いじゃんか。いいなあ・・。」 「・・・。」 「なあ、彼氏とかいるのかな。俺に紹介・・。」 「断る。」 わくわくと言い掛けた神崎を遮ったのは、氷点下よりも冷たい司の声だった。 普段の司とは違う。明らかに不機嫌なその声に神崎は驚いたが、司は自分の変化を自覚してはいないようだった。 「姉さんは鈍臭いし美人でもないし頭も良くない。やめたほうがいい。それに・・。」 そうして司は苦く笑った。 「・・好きな奴が・・いるからな。」 司は姉が・・この、血の繋がらない梨子という女性のことが好きなのだろう。 それはすぐにわかった。 鈍いと言われる神崎でさえわかるというのに、しかし当の司はしばらくそれを自覚していない風ではあった。 完全無欠の友人が本命に対しては初心な子供のようになる。 口にこそしなかったが、それはどこか微笑ましくみえた。 (あいかわらずリコさんには弱いんだなあ。) そう思いながら、神崎は司の視線の先に居る女性をみやった。 いつもより小奇麗な格好をして、微笑んでいる司の姉。 そうして・・その隣に居るのはいつか見た若い男だった。 「あ。」 神崎は思わず声を洩らした。 慌てて司を見ると、隣の少年はわずかに強張ったような表情で二人を見ている。 そうして口を開いた。 「・・神崎。」 「あ、ああ、何?」 「この間言ってた男って、あいつか?」 神崎は視線を戻した。 高そうな黒塗りの車の前に立つ若い男。 優男といって良い程の女性のような綺麗な顔立ちをしているのが印象的だった。 「ああ、うん。」 「・・そうか。」 「あ、ちょっと待てよ司・・。」 神崎はふたりに向かって歩き始めた司の後を追った。 司の怒りを含んだような表情に、背筋をひやりとしたものが走る。 「お、落ち着けって、司・・。」 その声にリコが振り返った。 大きな目をさらに瞠りふたりを見る。 そうしてぽかんとした声を洩らした。 「・・つ、司くん・・。」 ・・・・・・・・・・
五月の花火
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