「僕の太陽:34」<変わり行く何か> |
それからの司の態度に、やはり変化というものはみられなかった。 あと1年「弟」として過ごさせてほしい。 司はその言葉のとおりにリコの家族であり続けていてくれた。 「・・姉さん、単車の免許をとったらどうかな。」 「免許?バイク?」 「ああ。今はいいけど、俺が居なくなったら仕事の帰り道はひとりになるだろ。深夜なんだし。姉さんはとろいから、特に危ない。赤谷さんがおせっかいを焼きそうだけど、それも悪いしな・・。」 「・・そ、そうか・・そうだね。」 1年後、司はこの家を出て行く。 そのための努力も行っているようだった。 表面上は変わりなく、毎日は過ぎていく。 春休みの間にも司は学校に出かけ受験勉強をし、そうしてその合間にバイトに行っていた。 リコは司に勧められたように、仕事の合間に自動車学校に通うことにした。 出て行く司に心配をかけるわけにはいかなかった。 そうして4月。リコはひとりの青年と親しくなった。 それは職場であるフランス料理店に頻繁に来ていた青年だった。 物腰の柔らかなその青年は、出会って一ヶ月目にこう言った。 「リコさん。お願いがあります。」 青年はひどく真面目な表情で目の前のリコをみつめた。 「・・僕の婚約者になってもらえないでしょうか?」
僕の太陽34
5月の風は心地よい。 開け放した窓からは涼やかなそれが流れ込み、司の髪を揺らしていく。 「うーん、気持ちいいねえ。」 目の前で二ノ宮が大きくのけぞった。思い切り伸びをして機嫌良さそうに笑う。 「だな。何が悲しくて図書館で勉強会だって思ってたけど、こういうのもいいよなあ。」 隣では神崎がやはり気持ち良さそうに頷いた。 司も小さく息を吐く。窓から広がる空を見あげると、確かに白い雲がなだらかな放射線を描いて空色の絵版の上に広がっていた。 「本当だよー。今日は勉強会の参加者がかんちゃんとワンちゃんだけだからムサくて臭くてどうしようって思っていたけど、こんな空を見れたんだからまあいい日だよね。」 「ムサくて臭いって・・お前ねえ。そんな失礼なことをいうなよ。ってか俺も司も臭くない!」 「んー。なんか高校3年の男子なんて臭いイメージがあるじゃない。」 「イメージで物を言うなよ・・。繊細なんだぞ。高校少年のココロってのは。なあ、司。」 「・・そういやあのチビは今日はこないのか。」 図書館での勉強会。 現代の高校生にしてはひどく地味なこの企画には、意外なことに幾人かの参加者が常に居た。その参加者のひとり、背の低い少女の姿が今日は見えない。 「チビって・・お前ねえ、本人にそんなことを言ったら張り飛ばされるぞ・・。」 「チビはチビだろ。」 「うわ。ひどい!」 その少女は今日は帰宅したとのことだった。二ノ宮によると家の用事があるのだという。 その少女ひとりが休みなだけで「ムサくて臭い」呼ばわりでは割に合わない。 腑に落ちない気分で参考書をめくろうとすると、神埼がペットボトルの蓋を開けながら司をみやった。 「なあ・・そういえばさ、リコさん元気?」 「・・なんなんだ。いきなり。」 司は顔をしかめた。なんとなく、この友人には自分の気持ちが悟られているような気がしていた。 神崎は馬鹿だし無神経だし鈍感だが、勘と・・まあ、性格だけは良い。 「最近おまえ機嫌いいだろ?っていうか落ち着いている感じ。うまくいったのかって思ってさ。」 「・・・。」 「うまくいったんならいいんだ。」 神崎はそう言ったが、どこか歯切れが悪かった。単純なこの少年にしては珍しい物言いである。 司は眉をひそめた。 「・・何かあったのか?」 「いや・・じゃああれは職場の人、とかかな・・。」 「何が。」 「いややっぱやめとく。だってお前・・。」 神崎はしまったと言わんばかりに首を振ったが、それですむはずがなかった。 「いいから。」 その真剣な声音に、今まで黙って話を聞いていた二ノ宮が目を見開く。 そうしてきょとんとした表情でふたりの少年の顔を交互にみやった。 神崎は空けたペットボトルを所在なげに手で弄びながら、しぶしぶと口を開いた。 「リコさんが男の人と歩いていたんだよ。その男がこう、IT企業のエリートって感じのぱりっとした男の人でさ。リコさんもなんか親しげで・・。」 「リコさんってワンちゃんの好きな人なんだねえ。」 その帰り道のことだった。 家が反対方向の神埼と別れた司は、隣を歩く少女に目をやる。 二ノ宮のことだ。興味しんしんに目を輝かせていると思ったが、 やけに真剣な表情で前方のアスファルトに目を落としていた。 「あかりちゃんから少しだけ聞いたことがある。リコってお姉さんの名前だよね。」 「・・ああ。」 「お姉さん思いだって聞いてたけど・・それだけじゃなかったんだねえ。」 「血の繋がりはないからな。」 「なるほど。」 二ノ宮はうーんと唸った。後方の高い位置でくくってある長い髪がさらさらと風に揺れている。 「あかりちゃんとか、他の女の子たちとつきあっていたころから?」 「・・ああ。」 「最低だねえ。」 「そうだな。」 司は息を吐いた。重々、それはわかっていた。 「日比谷は元気か?」 「うん。」 「そうか・・。」 あれからあかりとは話していない。見事なくらい出会うこともなかった。 多分・・いや、おそらく避けられているのだろう。 最後に交わした言葉を思い出すと胸が痛い。 きっと、あれはあかりの精一杯の優しさだったのだ。 今ならばそれがわかる。 「大丈夫だよ。」 ふいに二ノ宮がにっこりと笑った。 「女の子は強いからね。それに最近のワンちゃんは変わったもん。少なくとも少し前までのサイテー男じゃないよ。あかりちゃんだってわかってるよ。」 「・・お前って。」 「うん?何?」 「案外いい奴なんだな。」 「あれ?なに、今頃気づいたの?ワンちゃんの目は節穴だね〜。」 二ノ宮はけらけらと笑う。 そうしてくるりと顔を司に向けると、今度は瞳を輝かせた。 「で?お姉さんには告白するの?」 「・・・もう終わったよ。」 「え?嘘!?」 二ノ宮は今度はきょとんとした。素っ頓狂な声をあげる。 「で、ど、どうだったの?」 「玉砕。姉さんには好きな奴がいるからな。そういやお前も知ってるんだっけ?赤谷さんって人なんだが・・。」 「嘘!?」 「あの人にずっと片想いしてたんだ。で、このあいだ振られた。とはいえまだ好きなんだと思うんだが・・。」 ちらと司は眉をよせた。先ほど神崎に聞いた言葉が脳裏に蘇る。 「・・もしかして、吹っ切れた・・のかもしれない。」 「ふええ・・なんちゅう衝撃情報・・。心臓に悪い。というか吾郎さんもやるなあ。って、あれ、ちょっと待って!」 二ノ宮はぱちりと両手を打ちつける。そうして混乱した頭を落ち着けるようにその手を自分の頭に当てた。 「ワンちゃん自身はリコさんに振られて、それでもう吹っ切れちゃったの?やけに落ち着いてるじゃない。」 「まさか。」 司は即答した。そうして小さく肩をすくめる。 「正直俺はしつこいし、独占欲が強いんだ。・・今もその名前も知らない相手の男に腹わたが煮えくり返ってる。」 「はあ・・そうは見えないよ。」 「姉さんと会ってもう10年以上経つんだ。演技もうまくなるさ。」 「・・ワンちゃんも辛い恋愛してるんだねえ。・・でもみんないいなあ。そういうのって、少し羨ましいよ。」 最後につぶやいた言葉は本当にかすかなものだった。 それに違和感を感じて二ノ宮の顔を見たが、しかしいつものような明るい顔でにこにこ笑っている。 司の表情に気づいたのか気づいていないのか、二ノ宮は小走りに司の前に回りこんだ。 そうして後ろ向きに歩きながらさらに笑う。 「ワンちゃん頑張ってね。あたし、応援するからさ!」 「・・ああ。」 その笑顔はいつものように底抜けに明るい。 それにほっとしながら答えると、二ノ宮はさらに続けた。 「もちろんかんちゃんもだよ。かんちゃん、ワンちゃんのこと本当に心配してるんだか・・。」 その台詞の途中で二ノ宮の身体がぐらりと傾いだ。 その足元から空き缶がすぽんと転がり出ていく。 ああ、それを踏んだんだな。 どこか冷静に思いながらも、司はその手を伸ばしていた。 「・・・。」 「・・・。」 「・・大丈夫か?」 「だ、大丈夫。ひえええ・・びっくりしたあ・・。」 お互いに身体が密着しているという傍から見るととんでもない格好だが、気まずい雰囲気にならないのがこの二ノ宮という少女の特徴かもしれなかった。 腰から抱きしめているような格好から二ノ宮の体勢を立て直し、そうして手を離す。 「ありがとワンちゃん。助かったよ〜。」 二ノ宮に照れた様子は全くない。司はそれをどこか面白く思った。 この友人は少し変わっているが良い奴だ。 思わず苦笑が洩れる。 「後ろ歩きなんかしているからだろ・・。」 そのとき司は、二ノ宮の背後、わずかに離れたところに立っている人影を認めてその言葉を途切れさせた。 「・・姉さん?」 声をかけると、その人影はびくりと震えた。 何故だか戸惑ったような、今にも泣きだしそうな顔をしていた。 「姉さ・・。」 再度声をかけようとすると、その人影はくるりと踵を返す。 そうしてゆっくりと夕闇に染まっていく人並みの中、その姿は直ぐに溶け込んでいってしまった。 ・・・・・・・・・・
変わり行く何か
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