「僕の太陽:32」<リコの質問> |
「男として、どう思っとるん?」 リコはぽかんとした。 ただただびっくりして言葉がでなかった。 赤谷さんは何を言っているんだろう。 問われた時はそう思った。 だけど時間が経つにつれて、その言葉はじわじわとリコの頭の中に染み込んできた。 男。 ・・司くんが? 司くんは、家族で、弟で・・。 そりゃあ性別は男の子だけど、だからって・・。 ぐるぐると考えているうちに駅に着いた。 改札口を出て、そうしてリコは見た。 司は街灯の下、ガードレールにもたれるようにして手にした参考書に目を落としていた。 無造作に片手をポケットに入れている。 3月の真夜中はひどく冷える。白く、吐息が流れていた。 それは最近毎日見ることのできる光景だった。 姉さんはぼんやりしているから危ない。そっけない口調で言うくせに、それでも必ず迎えに来てくれる弟。 そういう司だって先ほどまでバイトをしていたはずだった。 そうして、休むまもなくリコを迎えに来る。 リコには勉強をする暇もないように見えていたが、しかし進級テストの結果は驚くほど良かった。 「犬丸君なら結構良い大学をめざせるんですけどね・・。」 三社面談の時、担任の教師が残念そうにつぶやいた。 だからさすがのリコも驚いて大学を進めたが司は頑として自分の進路を譲らなかった。 司は自分には気づいていないようだった。 参考書に目を通す姿は真剣そのもので、司がこのような小さな時間の中で努力をしていることをリコは知った。 白い手がページを捲る。 これだけ冷え込むというのにその手には手袋を着けていなかった。 どうしてだろうと考え、リコはその手が随分と大きくなっていたことに気がついた。 ああそうか。前に買ってあげてた手袋は小さくなっちゃったんだ・・。 腕も。肩も。体格も。 そして、その中身も。 全部大きくなったから。だから・・。 その時車道を、一台の自動車が通り過ぎた。 眩いばかりのライトが光る。 そうしてほんの一瞬、司の姿をくっきりと照らし出した。 「・・・・。」 リコは呆然とした。 呼吸をすることも忘れて、ただ、立ち尽くした。 そうしてしばらくしてリコはつぶやいた。 するりと、滑り落ちるように言葉は零れ出た。 それはリコの、心からの感情そのものだった。 「・・どうし・・よう・・。」
僕の太陽32
次の日の朝もリコはおかしかった。 食卓にはトーストにかりかりのベーコン。そして目玉焼き・・の残骸らしきものが並んでいた。 目玉焼きを作ろうとして失敗したのかもしれない。 「・・おはよう。」 声をかけると、食卓の前でぼんやりとしていたリコがびくりとした。 そうして司を見上げるといきなり大きく息を吸い込んだ。 「お、おはようございます!」 不自然に大きな、すっとんきょうな声だった。 「つ、司くん、ちょっとそこに座ってください!」 「・・なんで敬語?」 「き、きにしないで下さい!」 「別にいいけど。」 司は内心首を捻りながらいつもの座布団に座る。 食欲をそそる香ばしい匂いが胃袋を刺激してくるが、今は目の前の姉の妙な様子の方が先決だった。 目を移すと、リコはロボットのような動きでポットから急須にお湯を注いでいた。 その側には犬の絵柄のついた2つのカップが置いてある。 この家に来たばかりの時にリコと買いに行ったものだった。 「司くんの好きなカップを買おうね。」 リコはにこにことそう言ったが、司が他の物を見ている間にもその視線はそのカップに注がれていた。 最も、本人は隠しているようだったが。 司の趣味とはまるで違う可愛い絵柄。しかし結局、司はそれを選んだ。 リコは心底嬉しそうにし、「わたしも同じのにしよう」と色違いを持ってきた。 そうして今まで、そのカップは割れることもなくこの家のテーブルの上に置かれている。 リコは不器用な手つきで急須をくるりと回した。そうして2つのカップにお茶を注ごうと傾ける。 しかし次の瞬間には見事にそれをひっくり返してしまった。 「ああっ!」 「・・・。」 司は黙って立ち上がり、布巾を台所から取ってくると慣れた手つきで零れたお茶を拭き始めた。 このようなことは、この姉との生活の中では、別段珍しいことではない。 「あああ・・ご、ごめんね司くんっ!わ、わたしが拭くから・・。」 「もう終わった。」 リコがあわあわしている間にも作業を終えた司は、台所に布巾を置いてくるとすぐに戻った。 姉に比べるとうんと早い動作だった。 リコは結局、急須を手にしたまま中腰の状態でおろおろしているだけだった。 しかしこれも別に珍しいことではない。 司は実に慣れた様子で姉に目を向ける。 「で、姉さん。何か話があるのか?」 「う、うん。」 促すと、リコは素直に頷いた。 急須を置き、そうして仕切りなおしのように正座で座りこんだ。 「そうなの。は、話があります。」 「・・だから、なんで敬語?」 「ま、真面目な話だからです。」 「・・まあいいけど。」 司はリコを眺めやった。 昨日から様子のおかしい姉の瞳は真っ赤になっている。 もしかしたら一睡もしていないのかもしれなかった。 リコは司の視線を受けてひるんだように瞬く。 しかしすぐに大きく深呼吸をし、そうして鼻から大きく息を吐き出した。 テーブルの上に置いてあったテイッシュがひらひらと揺れる。 「・・・。」 鼻息が荒い22歳独身女性。色気も何も、あったものじゃなかった。 「・・・・・。」 思わず頬が緩みそうになる。しかしリコはそんな弟の様子には気づかないようだった。 あくまでリコは真面目なのだ。 真面目だからこそ、おかしいことがいろいろあるのだが。 司も息を吐いた。なんだか肩の力がすとんと抜ける。 リコはリコだ。 司の知っている、姉の姿だ。 「何?」 どこか安堵した司は再度リコを促した。 リコは唇を引き結んでじっとしていたが、意を決したように司の顔を見あげた。 「つ、司くんに、聞きたいことがあります!」 今度は声が裏返っている。しかしそれには突っ込まず、司は冷静に先を促した。 「ああ。」 「間違っていても、怒らないでください。ええと、多分間違っているような気がするんだけど、その、間違っていると、思うんだけど、とりあえず間違っていたら、ごめんなさい。謝ります。うう、だから、ええと・・。」 「ああ。」 長くなりそうだったので、司は促すように頷いた。 リコを見ると、何故だか姉の顔はこれでもかというほど真っ赤に染まっていた。 ぱくぱくと口を開き、閉じる。その度にその顔の赤みが増してくる。 何度かそれを繰り返した挙句、やがてリコは素っ頓狂な声で、「とんでもない質問」をしてきた。 「つ、つ、司くんはわたしのこと、す、好き、だったりする・・の・・?」 ・・・・・・・・・・
リコの質問
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