「僕の太陽:29」<戸惑い> |
少年は怪訝そうな表情を浮かべている。 男はそれを見て、笑みをいっそう深いものにした。 「ほんまやで。自分が10代の頃に思うとった30歳と、自分がなってみて思う30歳はまったく違うもんでな。 実際、俺の中身なんて10代の頃のまんまや。」 だからなあ。 男は続ける。 「いろいろ悩むし馬鹿みたいなこといっぱいするし、いっちばん大事な奴を傷つけたりする。毎日思うねん。まったく俺はしょーもない奴やってな。」 少年は黙り込む。 「せやから司くんが今、いろいろ悩んでじたばたすることは悪いことやないねん。間違うこともあるやろ。 けどな、問題はそのあとや。自分はどんな未来を望むのか。そしてどのために自分が今何ができるのか。 そうして間違ったことをちゃんと考える。考えただけやったら誰にでもできるからなあ。ちゃんと行動に移さなあかんけど。」 そこまで言って男は片手で自分の顔を撫で上げる。 そうしてどこか照れたように笑って見せた。 「なんて偉そうなことを言っとる俺かて、毎日じたばたしとるんやけどな。」
僕の太陽29
あれから、3週間がたった。 それからの司はまったくそのことに触れることはなかった。 冷静な顔も態度も変わらなかったし、リコに対する距離も以前と変わらないように思えた。 部屋は結局交代しないことになった。司がそう言い出したのでリコは素直に頷いた。 理由は結局わからないまま。尋ねることもできないまま、時間は流れていく。 ただひとつだけ。 仕事の終わり、真夜中の駅に司は毎日迎えに来てくれる様になった。 リコは正直とまどっていた。 しかし司が何もなかったような態度で居る分、わざわざそのことを尋ねるのもおかしいような気がした。 自分が戸惑っているのを司に知られると余計に心配をかけてしまうような気もしていた。 何より司は頑張っているようだった。 バイトのシフトを増やしたようだし、家に居る時にはずっと勉強をしているようだった。 三者面談の前に司は言った。 「俺、消防官になりたいと思っている。」 リコはびっくりした。 「え、で、でも・・司くん、火が苦手なんじゃ・・。」 司はあの火事のあと、火を苦手としているようだった。 司は隠しているようだったが、火とはできるだけ係わり合いにならないようにしている節があったのだ。 だからリコは司があまり料理をしなくても良いように気をつけていた。 それを強制するのは、あまりにも残酷のような気がしたから。 リコの言葉に司は苦笑を浮かべた。 「やっぱり知っていたのか。」 「う、うん。ごめんね・・。」 「・・苦手だけど、嫌いじゃなくなったんだ。それに、あのとき俺は消防士に助けられた。 よく考えてみれば凄い格好よかったんだよな。その人たち。」 「・・で、でも・・。」 「・・俺は弱いから、火事のことしか考えてなかったんだ。親を奪ったのは火だって恨んでた。 それは姉さんも知っているんだろう?」 「う、うん。なんとなく・・。」 「だからその時に、あんな火の中を飛び込んできて助けてくれた人たちの事を考えたことがなかったんだ。 それをようやく、最近になって考えることができるようになった。」 「・・司くん。」 「姉さんが俺を火に近づけないように世話をやいてくれていたことも最近になってようやくわかった。・・今更だけどな。」 リコは目の前の少年を見上げた。 司はリコと目が合うとかすかに笑う。司に今までのような苛立ちの気配はない。 それが本当に不思議に思えた。 そうして、何故か落ち着かなかった。 「・・高3の9月に試験があるんだ。それを受ける。・・受けさせて欲しいんだ。」 「ねえワンちゃん。こないだ吾郎さんと青春してなかった?」 司は教科書から目を上げた。 目の前には神崎、そしていつのまにか背の高い少女が目を輝かせて立っていた。 「青春?」 神崎の言葉に少女はこくこくと頷いた。 「そう。土曜日にね、河川敷を二人でぐるぐる走っていたんだよ。あたしびっくりしちゃった。 なんか一昔前の青春漫画みたいだった。吾郎さんは似合うけどワンちゃんは似合わなかったな〜。」 「お前、赤谷さんと知り合いなのか?というかワンちゃんってなんだ。」 「犬丸だからワンちゃん。ワンワンでもいいよ?」 「やめろ。」 心底嫌そうに顔をしかめる司を見て、少女はけらけらと笑った。 「で、赤谷さんって誰だよ?」 神崎の言葉に司は息をついて答えた。 「・・俺、消防官の試験を受けるからな・・。身体検査があるから、少しは体力をつけようと思ってその人にいろいろ教えてもらっている。」 「え?お前公務員試験受けんの!?」 「ああ。」 「うわ〜凄いねえ・・。なんか将来を見据えてる・・。」 神崎と二ノ宮は驚いたように顔を見合わせた。 「ワンちゃん更正したんだねえ・・。顔がいいだけのスケコマシじゃなくなったんだねえ。お母さんは嬉しいよ。」 「ワンちゃんすげえな・・。俺も見習わないとなあ。」 「・・お前らなあ・・。」 司は再び教科書に目を落とす。 今はなにより時間が惜しかった。 自分に出来ることを考えると、それは思いのほかたくさん現れた。 問題はそれからだ。 出来ることを「実施する」こと。 それは想像以上に困難なことだ。 それでも「実施する」ことに意義があると、今の司は思うことができた。 「・・ワンちゃん。春休みに暇な時があったらここの図書館で一緒に勉強しない?」 「え?」 二ノ宮はふいに真面目な表情でつぶやいた。 「図書館でね、ずっと勉強していた人が居たの。それであたしと友達も一緒に勉強してたんだ。 そしたら間宮先生とかもだんだん協力してくれるようになってきてね。けっこう充実した勉強ができるようになったの。」 「聞いたことがある。それってあの、有名な不良のことか?」 「・・うん。」 二ノ宮は一瞬だけ俯いたが、しかし次の瞬間にはいつものような明るい笑顔を浮かべた。 「真面目に勉強する気があるなら、結構身になると思うよ?良かったら一緒に勉強しようよ。ね?」 「おはよリコちゃん。弟くん元気?」 赤谷は店を掃除をしているリコに声をかけた。相変わらず朝からこの妹分は良く働いている。 リコは赤谷の言葉に慌てたように口を開いた。 「は、はい。元気です。でも、なんかすごく最近忙しそうで・・。」 「ふーん。頑張ってるんやなあ。偉いなあ。」 「・・はい。」 赤谷は素直に感心したが、何故かリコの顔は浮かない様にも思えた。 こころなしか、蒼ざめているようにも見える。 「・・どうしたん?リコちゃん。なんか最近元気がないように見えるけど。」 「そ、そんなこと・・。」 リコはふるふると首を振る。 しかしその拍子にその身体がぐらりと傾いだ。 「わ!な、リコちゃん!?」 あわてて手を出して抱きとめる。 リコの手にしていたモップが床に落ちてがらんと乾いた音を立てた。 「リコちゃん、リコちゃん!?」 腕の中のリコの返事はない。 赤谷の大事な妹分は蒼ざめた顔のまま、その意識を手放してしまっていた。 ・・・・・・・・・・
戸惑い
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